第4話

 翌日――。

「そんじゃ、オレは行ってくる」

 朝から重い吐息を何度も繰り返して、オレは白いワンピースに着替えた。やたらフリルが多いのは完全にセラの趣味だ。

 ちなみに、現在オレはあのふわふわした空間にいる。最初に目が覚めたあの異様な空間だ。とりあえずここのことを便宜上「天界」と呼ばせてもらう。

「はーい、いってらっしゃい!」

「ったく……」

 昨日はあれからセラに女子としてこれからやっていくためのいらん講釈を延々と聞かされた。感想としては、女子というのは相当面倒くさい、と。そんだけ。

「ハンカチ、ティッシュ持ちました? あと生理用品も……」

「はいはい、ちゃんと持っていますよ」

 ――すっかり保護者気取りだな、コイツ。

「あ、そうそう。学校にも大分慣れてきたところで、天使としての仕事もレクチャーしないといけませんね」

 ――また長い講釈が始まるのか。

 先が思いやられるな、こりゃ、と思いながら俺は頭をポリポリと掻いた。

「その話は学校が終わってからでいいか?」

「はい。それまでに、もしすっごく大きな幸せを感じている人がいたら教えてくださいね」

 ――大きな幸せを、感じている?

「具体的にはどんな?」

「何でもいいんです。百円を拾ったとか、世界の半分を手に入れたとか、とにかくすっごいでっかい幸せを感じているなぁ、と思った人がいないか見ておいてください」

「へいへい……」

 よく意味が分からなかったけど、相当良いことがあった人間がいたら教えろ、ってことか。

 そんな人間、果たしてそうそういるものだろうか。


 オレは現世(これも便宜上そう呼ぶことにする)に足をつけて学校へと向かっていった。ちなみに、どうやって天界と現世を行き来しているのかというと、学校付近にはすっかり寂れてしまった商店街がある。シャッターを閉じている店が何軒も連なっているのだが、そこの一角にある店舗の裏口が天界と現世を繋ぐ扉になっている。ちなみに、そう改造したのはセラなのだが。元々人もいない上に、おあつらえ向きに鍵が壊れていたので本人曰く問題はないそうだ。本当に問題がないのかどうか、オレは知らん。

 オレは鞄を背負いながらとぼとぼと通学路を歩いていく。同じく通学中の児童どもがキャッキャッとはしゃぎながら無邪気にすれ違っていく。

 ざっと見渡していくが、特別幸せを感じているような人間など見かけない。サラリーマンも、女子高生も、老人も、犬の散歩をしている主婦も、ただ淡白に当たり前の日常を過ごしているだけだ。  

 ――幸せ、ねぇ。

 「当たり前の日常が幸せ」とはよく言ったものだが、残念なことに人はそういうのをイチイチ幸せと感じるこは少ない。逆に不幸はどんな些細なことでも大きく捉えてしまう。羨ましいものだな、と思う。本当の“不幸”というのがどんなものだか知らない癖に、な。

 さて――。

 こうしていても仕方がない。あまり期待はしていないが、万が一大きな幸せな人間が見つかったら後でセラに報告しておくか。

「あー、おっはよー! 福ちゃん!」

 突然後ろからやけに馴れ馴れしい声が聞こえてきた。

「えっと、誰だっけ?」

「あー、ほら! 自己紹介したじゃん! 同じクラスの玉越たまこしリカ!」

 ――そういやそんなのもいたな。

 転校生の洗礼というものか、昨日オレはクラスの連中に質問攻めにあった。適当に返してやり過ごしていたが。その中にいたような気がする、こんな目立つ金髪の女が。

「あぁ、玉越さん。おはよう」

「おは! どう? 学校は慣れた?」

 ――慣れるわけないだろ!

 と言い返したかったが、転校前から慣れ親しんだ学校だからある意味では間違ってはいないな。イエスともノーとも答え難い質問だが、

「うーん、ぼちぼち、かな」

 こう答えるのが正解か。無意味な嘘は自滅の元だ。

「そっかー! まぁ仲良くしよ!」

 玉越とかいう女子はオレの顔を見てにっこり笑った。

 ――面倒くさい。

 明らかに染めた色だが、この長い金髪はやたら印象に残った。他のクラスメイトにも色々話しかけていたっけ。それなりに和気藹々と会話が弾んではいたようだが、何人かは明らかに引きつったような表情を浮かべていた。恐らく本人は気付いていないだろうが。

「うん……、よろしく」

「あ、で、そうそう! 隣の席になんかいたっしょ?」

 ――隣の席?

 というと、おそらくは鹿野とかいう女子のことだろうか。

「もしかして鹿野さんのこと?」

「そうそう。笑っちゃうよね、カノカノンなんて名前! 髪の色は派手な癖にくらーい性格だしぃ。転校生さんも気を付けなよ。あまり関わるとジメーっとした性格が移っちゃうよぉ」

 ――随分な言いようだな。

 女子の世界は怖いというが、こりゃまたかなり闇が深そうだな。言っている本人の思慮は相当浅そうだが。感情だけで悪口を言う生き物の気持ちなどオレには到底理解ができん。

 とりあえずは……、

「あぁ、うん。分かった」

 こういうのは相槌だけで共感しておくに限る。正論で「酷いこと言うな」とか説教した日には何をされるか分かったもんじゃない。少しでも平穏に過ごしておくに越したことはないだろう。

「それじゃ、また後でねぇ」

 玉越はそう言って手を振って去っていった。

 あんな戯言を真に受けるほどオレは阿呆ではないが、そういう言い方をされた後だと鹿野とは少々顔を合わせづらいな……。

「……おはよう」

「わあああああああああッ!」

 突然か細い声を掛けられて、オレは思わず素っ頓狂な声を挙げてしまった。

「ごめん、びっくりさせた?」

「あ、ううん。大丈夫……」

 流石にびっくりした。そこにいたのは、今さっき話題に上がっていた鹿野佳音だった。

「拓斗さんを見かけたから、つい声を掛けた……」

「そ、そうなんだ……。おはよう」

「学校は慣れた?」

 ――また同じ質問か。

 ボキャブラリーというものが乏しいのか、うちのクラスの連中は。とはいえ、昨日転校してきたばかりの人間との会話レパートリーなど乏しくて当たり前か。

「まぁ、ぼちぼち、かな」

「……そう」

 玉越とは違い、非常に淡白な返事がきた。

「あ、鹿野さんはどう? この学校は楽しい?」

「……別に」

 素っ気ない返事がきた。

 ――参ったな。

 会話の間が持たないぞ、こりゃ。歩幅もほとんどオレと同じだし、下手に走り去ったら避けられているようにと感じるかも知れない。

 オレはそのまま黙り込み、じっと鹿野の顔を見る。

「……ん? どうしたの?」

「あ、いや、何でも……」


 ――あれ?


 そういえば、この鹿野って……。

 オレの脳裏にふと一人の顔が思い浮かぶ。

『アンタにこれあげる』

 前世で、オレはコイツに話しかけられたことがあった。どういういきさつだったかは覚えていない。何をくれたのかも覚えていない。ただ、会ったことがある。それだけ。

 ま、だからどうだという話なのだが。恐らくは大した話をしたわけではないだろう。

「早くいこう……。遅刻するよ」

「あ、そうだね!」

「そういえば……」鹿野はいきなり立ち止まって、「今日、給食にプリンが出るって」

「プリン……」

「多分、それだけが唯一の楽しみ」

「うん……、楽しみ、だね」

 それだけ話して、オレたちは急ぎ足で学校へ向かっていった。


 ――プリン、か。

 確かに、そいつは楽しみだ。

 とはいえ、大きな幸せとまでは言えないだろう。


 大きな幸せ、ねぇ……。

 果たしてこの学校に大きな幸せを感じている人間がいるのだろうか――。


「はーい、皆さんおはようございます! さてさて、今日はまず皆さんにご報告がありまあああああっす! 実は、先生、昨日……、五年付き合っていた彼氏にプロポーズされちゃいましたぁ! キャッ!」


 ――いた。

 昨日の真面目な挨拶とは打って変わって、担任の美濃みのがこれ見よがしに婚約指輪をギラつかせながら赤面で惚気ている。

「おおおおッ!」

「なんて言われたんですか!?」

「式はいつなんですか!?」

 で、クラスの連中も乗っかって騒ぎ出す。

 やれやれ、何が面白いのやら。オレにはこのお祭り騒ぎが理解できない。が、本人の幸せを否定はすまい。

 ま、ここはおあつらえ向きの人材が見つかったということで。


 帰ったら、セラに報告するとしますか――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る