第7話 簪の持ち主


「————え? 令月様が?」

「ええ、もう夜も遅いですし、お止めしたのですが、どうしてもと……」


 令月が訪ねたのは、後宮にいる二十人の側室の中で最も古株である翠蓮すいれん妃。

 現王が即位後に真っ先に手をつけたが、元は先王の側室の侍女であった。

 幼い頃から後宮で下女として育ったため、当時の後宮事情を一番よく知っている。


「いいわ。お通しして。令月様なら、こんな時間に訪ねてきても妙な噂は立てられないし……あの方が自分以外の女人に全く興味がないのは、陛下もわかっているからね」


 残念ながら王との間に生まれたのは王女一人のみ。

 一度でも王子を産めば四煌妃よんこうひという側室の中でも上位の位を与えられるのだが、すでに適齢期は過ぎている為、これ以上その地位が上がることはないと言われている。

 他の側室から、敵対視されることのない唯一の側室である。


「……————さすが翠蓮妃様。話が早くて助かります」

「うふふ、どうせあなたは陛下の命令しか聞かないことくらいわかっていますよ」


 侍女が了承を得たと伝える前に、令月はさっさと翠蓮妃の前に座った。

 やや遅れて、慧臣も一緒に中に入る。


「……あら? その子は?」


 翠蓮妃は令月がいつも連れている侍女ではなく、見知らぬ少年と共に来たので驚いた。

 一瞬、ついに侍女に男装させる趣味にでも目覚めたのかとドキッとする。


「お、男の子……よね?」


 まだ令月が慧臣を拾ったことは、宮中では浸透していないのである。


「ええ、そうですよ。藍蘭が休暇中なので、代わりに雑用を任せています。慧臣、翠蓮妃様にあれを……」

「は、はい」


 慧臣は翠蓮妃に一礼すると、押入れから見つかった簪を翠蓮妃に手渡した。


「まぁ、これは……!! 先王様の……!!」


 先王の側室であれば皆が持っているその簪は、翠蓮妃にとっても思い出の品。

 すでに亡くなってしまったが、侍女として使えていた四煌妃の一人だった主人が大事にしていた簪と同じものだ。

 翠蓮妃は侍女だった当時、錆びないように毎日それを磨いていたので、見間違うことはない。


「どこでこれを……?」


 先王は退位したとはいえ、側室妃やその親族にとってこの簪は家宝だ。

 それをこんなに黒く変色させるなんて、翠蓮妃からしたら信じられないことだった。


「後宮の事故物件————愛桜堂の押入れの中です」

「愛桜堂……? なぜそんなところに……?」

「それを知りたくて、こんな時間に訪ねてきたのですよ。愛桜堂を使っていた側室や女官について何か知っていることはないかと……記録によれば、最後にあの部屋が使われたのは三十年前ですが、おかしなことに、使っていた側室についての記載があまりに少ないので……————今、この後宮で知っているのはあなたくらいかと」

「……そうね、確か——……」


 翠蓮妃は、愛桜堂に住んでいた側室の名を口にする。


「あそこにいたのは桜琳おうりん様。愛桜堂の名前も、その桜琳様の名前から、先王様がお付けになったのよ————」




 *



 あれは私がまだ十代前半の頃だった。

 桜琳様はお手つきになる前、後宮で女官として働いていたの。

 後宮の女官たちの食事を作っていてね、特に桜琳妃の作る甘味は美味しいって人気だったわ。

 その話は先王様の耳にも入って、そんなに美味しいものなら食べてみたいと仰せになられて……


 今思えば、それが全ての始まりね。

 先王様は桜琳様の作る甘味を気に入って、遠征についてくるように命じられたの。

 その遠征先で、桜琳様は先王様のお手つきになったわ。


 先王様は熱しやすく冷めやすい性格だったから、一度火がつくと止められないのよ。

 遠征中は毎晩のようにお通いになられたって噂に聞いていたわ。

 それと同時に、「桜琳が甘味に薬を盛った」のではないかって噂も流れたわね。

 あまりにも先王様のご寵愛がすぎるんじゃないかって……


 私は何度か桜琳様とお会いしたことがあったから、とてもそんな大それたことをするような人には思えなかったわ。

 おそらく、嫉妬した他の側室妃の誰かが流したのよ。


 でも、その噂のせいで桜琳様は肩身が狭くなってしまって……

 先王様も噂を信じたのか、飽きたのか————後宮に戻ってきてからは側室として部屋は与えたけど、通うのをやめてしまってね……

 その矢先に、桜琳様は体調を崩されたの。

 ご懐妊されていたようだけど、子は流れてしまったんですって。


 それから心を病んでしまったようで、首を吊って亡くなっているのが発見されたの。

 確か、発見したのは桜琳様の診療にきていた若い医官だったはずよ。

 発見した時にはもう手遅れで、手の施しようもなかったって聞いたわ。


 桜琳様の記録が少ないのは、確かにお手つきになって、側室とはなていたけどまだ妃の位を与えられる前に亡くなっているからじゃないかしら?

 先王様には十人の側室がいたと言われているけど、中には桜琳様のようにすぐに亡くなってしまった方もいるの。

 同じ時期に後宮にいた最大が十人というだけで、実は他にもそういう人はいるのよ。


 あの部屋は、亡くなった桜琳様にちなんで、愛桜堂って名前に替わったのだけど……

 あの部屋から女のすすり泣く声が聞こえるとか、白い影が見えるとか……そういう噂が広まって、あそこには人があまり近づかなくなってしまったの。

 若い宦官たちが肝試しに入って、真っ青な顔で出てきた————なんて話もあったわね。


 それにしても————


 *



「————どうして、こんな色になってしまったのかしら? 他の部分は綺麗なままなのに」


 翠蓮妃は改めて簪を見つめ、首をかしげる。

 色が変わっているのは先の方だけで、それ以外は古いものではあるが布団の間に挟まっていたせいかほとんどサビも曇りもない。

 今でも少しの光を反射して、金魚の細工部分はきらりと光る。


「何かサビさせるようなものに触れさせたのかしら? 先王様から賜ったものを故意に汚すとは思えないし……」

「わかりませんよ。父上に放置されたのが憎くてやったかもしれません。まったく、大事にできないなら、最初から手をつけなければ良いものを……」


 令月は先王の女癖の悪さには呆れているようで、やれやれとため息をついた。


「————失礼いたします」


 そこへ、翠蓮妃の侍女が入ってくる。


「翠蓮妃様、お夜食をお持ちしましたが……後ほどにしましょうか?」

「いえ、いただくわ。よろしければ、令月様たちもどうぞ」


 侍女が持ってきたのは、真っ白な陶器に入った粥だった。

 漢方薬のような香りがして、令月は苦手なのか一瞬顔をしかめる。


「私は結構」

「あら、健康にいいのですよ?」

「……慧臣、お前は頂きなさい。ただでさえその体は栄養が不足しているのだから」

「え!? いいんですか!? いただきます!!」


 食べ物の好き嫌いがまるでない慧臣は、初めて食べる味にわくわくしていた。

 令月に拾われてから食事に困ることはなくなったが、まだまだ痩せている。

 銀の匙を手にとって、嬉しそうにすくい上げ、ふと思う。


(そういえば、後宮の匙や箸は全て銀でできていると聞いたな……理由は、確か————)


「————毒……」


 慧臣がそうぽつりと呟いて、その場にいた全員がピタリと動きを止めて固まった。



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