第13話 ただの人間に興味はありません


「————まったく、李楽の奴め!! 今度会ったらただじゃおかない」


 豊玉楼へ行く道中、馬車の中で令月はかなり怒っていた。

 自分が女人に興味がないのは事実であるが、決して不能でも、男色ではない。

 ただの人間に興味がないだけである。

 女人に興味がないという話を聞いた上、従者をしている慧臣が美少年である状況から、万来は令月は男色なのだと勘違いをしてしまっていた。

 必死に謝られたが、「悪いのはそう勘違いをさせるような言い方をした李楽だ」と、万来にはその怒りの矛先は向いていない。


「前にも私が不能だと勘違いされたこともある。あの時も、原因は李楽だった。そうだ……あの時だって、あいつのせいで幼女趣味だと思われて——————……ああ、今思い返しただけでも腹が立つ!!」


(……一体、何があったんだ……?)


 変人とはいえ、王弟殿下をこんなに怒らせて大丈夫なのかと、万来も慧臣も不安になる。

 妓楼についてもこの調子でいられたら……と思うと、店の評判が悪くなってしまわないかと心配し、令月には聞こえないように慧臣に小声で訪ねた。


「王弟殿下の好みの女人は? 男色ではないのなら、一体どういう女人が好みなんです?」

「さ、さぁ……知りません。俺、まだ従者になって十日くらいしか経っていないので————侍女の藍蘭らんらんって人なら、知っているかもしれませんが、休暇中なんです。俺が言えるのは、これだけです————」

「え、なんです?」

「————令月様は、ただの人間に興味はありません」

「……!?」


 とりあえず好みの妓女に相手をさせて、機嫌を直してもらおうと考えていた万来は、頭を抱えた。


「それじゃぁ、どうしようもないじゃないか……!」


 そうこうしているうちに、馬車は煌神国随一の花街・密苑みつえんに到着する。

 妓楼や酒屋、宿屋が多く並んでいるこの街で一番大きな建物なのが、豊玉楼————先先代の王の時代に、宮廷妓女が廃止されてから妓女や遊女の管理は民間が行なっている。

 その中でも、一番の老舗で格式も高い高級妓楼である。


「うわぁ……なんかいい匂い」


 貧乏で花街なんてものとは無縁に育ってきた慧臣は、まずその匂いに驚いた。

 甘い花のような香りが、街全体に漂っている。


「慧臣、お前にはまだ少し早い世界だ。不用意に知らない女人に着いていくなよ? お前なんて簡単に食われるぞ」

「そ、それぐらいわかっていますよ!」


 街中には客を引こうと肌の露出の多い娼婦や妓女たちがうようよいる。

 男たちは鼻の下を伸ばしながら、次々と引っかかって、まだ昼を少し過ぎたばかりだというのに、店の中に消えていった。

 まだ幼い慧臣を揶揄って、わざと手を振ったり、胸元を寄せて見せたりしてくるお姉様たちもいて、慧臣はドキドキが止まらない。


(め、目のやり場に困る……!!)


 耳まで真っ赤にしながら、令月と万来のあとに着いて行く。

 令月は普段のそのままの姿では、すぐに王弟殿下であることがわかってしまうため、軽く変装をしていた。

 王族が妓楼に入ってく姿など、不用意に見られてはそれこそただでさえ好色だと噂されている王の印象を決定づけてしまうだろう。

 若いのに髪が白いのは目立つため結い上げ、つばの広い黒笠を目深に被った。

 衣も決して王族とわからないように、できるだけ庶民的なものを本人は選んだつもりでいるが、その立ち居姿、ふとした瞬間の所作が非常に美しく、すれ違った女たちは目で追わずにはいられない。


「まぁ、どこの殿方かしら」

「とっても素敵……」


 どうしても色めき立ってしまうため、令月は仕方がなく清風扇子で顔を隠しながら、豊玉楼の門をくぐる。


「美しすぎるのも罪なものだ。なぁ、慧臣」

「そ……そうですね」


(もう機嫌がなおってる……褒められるのがお好きなんだな)



「————すみません。本人は今出かけているようなので、こちらの部屋でお待ちいただけますか? 例の人形は部屋の中にありますので……」


 そうして通された一番奥にあるその妓女の部屋の入り口には、多くの贈り物の山があちらこちらに積み上がっている。

 この妓楼では、人気の妓女となると一人部屋を与えられるらしい。

 そこで自分を指名した男の相手をする。


「あれか……」


 部屋に入った途端、めまいがしそうなほどに甘い香りが充満していた。

 後宮とは違って、明らかに女人の匂いがかなり強い。

 男をその気にさせるような工夫が施されているようだが、その気も、その人形を見たら萎えてしまう。


 この部屋の主人の帰りを待っているかのように、その人形は椅子に座っていた。

 木製の体、古く所々の塗装が剥げている顔。


「この髪は人毛か……?」


 艶のある黒々とした髪、衣は着せ替えることが可能なようで、絹で作られた赤い生地の漢服が着せられている。

 令月はまじまじとその人形を見つめ、触れることはしなかったが、特にその顔に注目した。


「これはすごい。目は描かれているのかと思ったが、これも彫ってあるのだな。こんなに精巧に作られた人形であれば、確かに壊すのは惜しい……」


 人形の顔は、無表情だった。

 角度によっては笑っているようにも、泣いているようにも見える。

 まっすぐに正面を向いている目。

 本当に小さな子供がそこに座っているように思えて、気色悪いほど精巧に作られている。


「慧臣、お前も近くで見てみろ。これはすごいぞ……」

「は、はぁ……」


 正直怖かったが、慧臣もその人形を近くで見てみる。


(確かに、これが夜勝手に動いたとなると、気味が悪いな……————)


 夜伽の最中ということは、うす暗い中————ということだろう。

 昼に明るい場所で見る人から見れば、美しくて綺麗な芸術品と呼ばれてもおかしくはないが、暗い夜に勝手に動かれては恐ろしいことこの上ない。


「目の部分だけ何か特別な材質でできているんじゃないですかね? 妙に輝いて見えます」

「……そうか? 私にはそうは見えないが」


 令月は慧臣のいっていることが理解できなかった。

 それもそのはずで、その妙な輝きは霊感と呼ばれる類のものを持っていない人間に、その輝きは見えないものなのである。


「まぁ、なんにせよ、こいつが動くのはその妓女が相手をしている最中ということですよね? 令月様がお相手なさるのですか?」

「そうだな。その妓女がどれだけの上物かは知らないが、お前には無理だろう? 私はただの人間には興味がないが……どうすれば良いかくらいは弁えている」

「ただの人間って……豊玉楼って、この国で一番の妓楼ですよね? その一二を争う妓女なんだから、きっと令月様より美しいに決まってますよ」


(あんなに贈り物もたくさんもらってるんだし……)


 きっと令月も気にいるだろうと慧臣は思った。


「もし人形のせいで身請け話がまた破談になったとしても、令月様が代わりに身請けされたらいいんじゃないんですか? むしろ不気味なこの人形の方が欲しいんですから……」

「人形のために、好いてもいない女人を妾にしろと……?」

「……まぁ、実際にあってみてから考えましょう」



 ところが、夕方になってもその部屋の主人が戻ってくる気配はない。

 仕方がなく慧臣は一人部屋を出て、一体どうなっているのか確認することにした。


「あの……」


 慌ただしく開店の準備をしている使用人の一人に声をかけようとしたその時、慧臣の視界が急に暗くなる。

 後頭部に一発、何者かの手刀を食らった。


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