第29話 それは人か、化け物か
「天主様……を、殺した————?」
あまりの衝撃に、来紅は瞬きするのを忘れるほどに目を見開いて驚いた。
天主様がいるからこそ、皆こんな村地下の村でめげずに生活をしていた。
今さえ乗り越えれば、きっとこの村は安泰だと。
天主様の力で、新たな国を作ることだって、人が増えれば可能なはずだった。
それが、どうしてこんなことになったのか理解できない。
天主様を側仕えである声類が殺す理由がわからない。
「ごめんなさい。殺すつもりはなかったんです。でも、でも……天主様は————天主様は僕を、殺そうとしたんです。だから、僕は……うっ……天主様を————」
声類の話によれば、代替わりした天主は失敗が多かった。
それが月の石の効果が薄れているのではないかと、天主本人も自覚があったらしい。
どうしたものかと思っていた矢先、新しい月の石がこの村に落ちる予知夢を見た。
そこで、声類が朝になって村中を探し回ると、天主が見た夢の通りの場所に月の石が落ちていた。
それが、あの大きな屋敷の屋根を突き破って、床に埋まっていたものだ。
声類はそれを持って、井戸から地下へ戻り、すぐに天主に新しい月の石を手渡した。
ところが————
「『この石の力が本物か確かめたい。そうだ声類、そなた一度死んでみよ』と……天主様が僕を殺そうと小刀を手に襲ってきたのです。僕は恐ろしくて、抵抗しました。揉み合いになって……————気づいたら、小刀は天主様の体に刺さって————助けようと、引き抜いたのです。ですが、血が、止まらなくて……」
殺してしまったことを後悔している割には、天主の言葉を話すときに裏声になるのが気持ち悪くて、慧臣は眉間にしわを寄せる。
(抜いたら余計に血が出ることも知らなかったのか……この人は)
この村の住人たちは、天主の力に頼りすぎていた。
怪我や病を治すのは、医師ではなく天主。
月の石を使った不思議な力。
だからこそ、医学的知識に乏しい。
今の時代であれば、誰でも知っているような常識を知らない。
今回起こったのは、十年もの間、地下に隠れ住んでいた弊害である。
「天主様が動かなくなってしまったので、僕は月の石を使いました。天主様を生き返らせようと……使い方は、見てきたので知っていました。でも、僕がどう頑張っても、天主様は蘇りませんでした。失敗したんです」
仕方がなく天主をあの水で上昇する井戸の装置に無理やり押し込んで、他の失敗作と同じように地上へ出してしまった。
そのことがバレないように、声類は天主が生きているように見せかけるために死体を蘇らせ続けた。
どれも失敗作で、その死体もまた、地上へ出してしまっている。
「————それでは……天主様のお体は……?」
声類は目を伏せたまま、来紅の問いに答えた。
「もう何日も前のことです。すでに日の光を浴びて、塵になって消えていると思います」
*
「————それで、月の石は手に入ったんか?」
夜が明けて、地上に戻った。
あの水は、高濃度の塩が溶かされているらしい。
泳げなくても、勝手に上に体が上がる。
「ああ、
「消えたで。太陽の光を浴びた瞬間にな、気色悪い叫び声あげながら消えた」
朝焼けの空に、塵が舞い上がって消えていくのを慧臣は見つめる。
もうこの村で
天主の死は、村人たちが地上へ戻るのに十分な理由となった。
天主がいないこの村に未来はないと村人たちは嘆いていたが、月の石を手に入れた代わりに、令月は地下に暮らしていた者たちが再び地上で安心して暮らせるように、勝手に税を上げて私服を肥やしていた国司を糾弾することを約束した。
王族とはいえ、月宮殿の王弟殿下にそんな権限はないのだが……
「私は末弟だからな、国王陛下とは二十も歳が離れている。それに、この顔だ。可愛がられていないわけがないだろう?」
得意気にそう言ってニヤリと笑い、手に入れた月の石をまた撫でる。
「————李楽、隣町まで戻ったら、国司について噂を集めて来い。村長に聞いたが、この地域の国司はほぼ世襲制だそうだ。叩けば埃が山ほどでるだろう」
「ああ、ええで。その代わり————」
「わかっている。この村の石切職人たちの技術でいいか?」
「さすが殿下! よぉわかってるわ!」
李楽は地下から三人が戻ってくるまでの間、この村の建物を見て回っていた。
石を使った高い建築技術、それに装飾も一流。
上手く使えば、いい商品ができること間違いなしだと踏んでいた。
「慧臣、お前はこの村で見聞きしたこと、李楽が聞いてきた話を報告書に書き起こせ。後で兄上に上奏するのに使う」
「は……はい」
「それから、藍蘭」
「はい」
「お前はこの村の全ての家をもう一度確認しろ。
「かしこまりました」
(令月様って、欲のためにしか動かない変わり者の王族としか思っていなかったけど、意外にも民のことも思っているか?)
てきぱきと指示を出した令月に対して、慧臣はそんな風に思ったが、当の令月本人は、決して自ら何かするわけでもなく、一人で月の石を何度もニヤニヤと笑いながら眺めているだけだった。
(気持ち悪い……)
慧臣は、思わず口から出そうになった自分の口元を抑える。
これで、廃村の
「え、死んだ?」
天主を殺した声類が、死んだ。
その知らせが届いたのは、慧臣たちが村の問題を解決し、宮廷に戻ってから一ヶ月後のことであった。
「例の夜行奇行病になったそうや。殺人の罪で労役していた山の現場で、発症してな。一人で勝手にあの村に戻って————あのえらい大きな屋敷の屋根の上に勝手に登ったところを、後ろから蹴り落とされたんやて」
李楽が聞いた話では、彼を蹴り落としたのは、熱心な天主の信者だったそうだ。
中央から夜間奇行病の調査のため、医官が派遣されたのは、その後だった。
すでに声類の遺体は、感染を恐れた村人達によって焼かれ、今はもう、どこにもない。
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