第11話 そんなこと、ありえない
合点が帰った後、慧臣は寝所に甘味を持って行く。
案の定、床には脱ぎ捨てた衣や、使えないとわかった収集品が乱雑に置かれていた。
(まったく、片付けるってことができないのか、この人は……)
慧臣は床に落ちていた清風扇子を拾い上げパタパタと扇ぎ、その甘い香りを令月の方へ送る。
「なんだ。私は何も食わないぞ……?」
「合点様が持ってきてくれました。ものすごく美味しいですよ? 食べないなら、悪くなる前に俺がたべちゃいますよ?」
壁の方を向いて寝ていた令月だったが、その甘い香りに腹の虫がぐうと鳴く。
「…………よこせ」
起き上がる気力はないようで、令月は寝返りを打ち大きく口を開ける。
(食べさせろってことか……)
仕方がなく木匙で口まで運んでやると、令月は三途の川を渡り掛ける前にパクリと食べた。
「————なんだこれ……美味いな。美味すぎないか!?」
さすが、先王が気に入って遠征まで連れて行った桜琳の甘味だ。
本当に、何か不思議な薬でも入っているんじゃないかというくらい、癖になる味である。
勢いよく起き上がって、慧臣の手から木匙を奪って自分で食べ始める。
「令月様、そんなに急いで食べたらお腹を下しますよ? 落ち着いてください」
「うるさい。お前のせいで、三途の川も見えなかったではないか。もっともってこい」
「はいはい。厨房にいって何か作ってもらってきます。ところで……————」
色々なものが床に転がっているが、あの金魚の銀の簪だけは、机の上に綺麗に置かれていることに慧臣は気がつく。
随分立派そうな光沢のある布が下に敷いてあって、他は適当に扱っているのに、あれだけは、本当に大切にしているのが見て取れた。
「……なんだ? 言ってみろ」
「その、あの簪は……誰のものですか? あの時、令月様言っていましたよね? 『私の母を殺したのもお前か』と……」
(どう言う意味だったんだろう……)
合点が見つけた氷梨の記録では、自殺または行方不明とされていたのは桜琳以外に四人いたが、そこに令月の母はいない。
あの二人が自供した被害者の中にも、令月の母はいなかった。
「ああ、それか……————実は私の母も、行方不明なんだ。生きているのか、死んでいるのかもわからない。だから、聞いたのだ。もしかしたら、母もあの男に殺されたのではないかと……」
「では、あの簪は……————」
「側室妃だった母のものだ。私には母の記憶はない。けれど、あの簪だけは母のものであることはわかっている。父上がそう言っていた。その父上も、もう死んで十五年になるがな……」
令月の母であった側室妃は、記録上では令月を産んですぐに死んだことになっている。
だが、その死には不審な点が多いことに気がついたのは、大人になってからだ。
真偽を確かめようにも、父である先王も令月が五歳になる前に死んでしまった。
「それでは、もしやお母上の死の真相を知るために、あの様な……幽霊とか、怪奇話を集めているのですか?」
「少し違うが、概ねそうだ。もともと不思議なものには興味がある。私には見えないが、幽霊というものが存在しているなら、ありえないと思われている他のものも、実在しているのではないかと思っているのだ」
「他のものとは?」
「例えば、この世のものではないもの。幽霊、妖、もののけ……空の向こうに側に住む人々、月の民」
(空の……向こう……? は?)
令月は壁に掛けてある掛け軸の方を指差した。
白い髪の美しい女が、月を背景に描かれている。
それは令月の母の絵らしい。
「父はよく話していた。私の母は、この煌神国の民ではなかったそうだ。私と同じく白い髪を持った、美しい月の民だったらしい」
「つ……月の民?」
(え? 何言ってんだ? この人……)
「最初にお前に会った時、言っただろう? 私は『いつか月に行く男だ』と。月は母の故郷なのだ。もしかしたら、母は月に帰ってしまったのではないかと、そう思っている。私がこの月宮殿で奇妙な話を集めているのは、その月へ行く手がかりを探している為だ」
慧臣は、令月の突拍子もない、ありえない話にあからさまに顔をしかめる。
月の民なんて、そんなおとぎ話の様なことが、現実にあるとは思えない。
一体どうやって、空の上にある月に人が住めるというのか……
「その顔、お前、私の話を信じていないだろう!」
「痛い!! 何するんですか!!」
令月はそのしかめ面が気に入らなかったようで、木匙で慧臣の頭を叩いた。
「うるさい! 主人の話を信じないお前が悪い。信じないならもう良い、さっさと厨房に行って何かもってこい!! 腹が減った!!」
「もう!! わかりましたよ!! まったく、自分で食べないって宣言してたくせに……」
「なんだと……!?」
慧臣はこれ以上、叩かれたくなくて、逃げる様に寝所を後にする。
「何が、月へ行く————だ。そんなこと、ありえない」
(でも、もし、本当にそんなことができたとしたら————……)
口では否定していても、慧臣は想像を膨らませる。
(月では兎が餅をついているって、本当だろうか?)
気になって、ついまだ月の見えない青空を見上げてしまった————
「ん……?」
その時、奇妙な物体が空に浮いているのが見えた。
白くて丸い球体三つ、雲の間に消えていく————
「なんだあれ?」
【第一章 王弟殿下と後宮の事故物件 了】
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