第32話 死人に口あり


「だからね、私は死んだわけ。でも、絶対おかしいの」

「……何が……ですか」

「私どこも悪くないのよ。悪くなかったの。それなのに、死んだのよ?」

「いや、悪くなかったって……」


(信子様は幼い子から病弱だったって————)


 慧臣はこの状況に理解が追いつかなかった。

 自分の体から魂が離れてしまっていることもそうだが、無理やり肉体から魂を引き剥がされた元凶である信子は、どう見ても幽霊。

 ところが、幽霊とは思えないほどよく喋る。


 見た目としては後宮の事故物件にいた桜琳おうりんに近い存在のように見えるが、言葉がはっきりしている。

 月宮殿に来た万来ばんらいは、どこからどう見ても人間にしか見えず、違和感がまるでなかったが彼も幽霊だった。

 信子はその両方を兼ね備えた、不思議な存在だ。

 死人に口なしというが、これでは完全に死人に口ありである。


「つまりさ……ゴホゴホッ、私は不治の病でもなんでもなかったのよ。ゴホゴホ……」


 時折咳き込みつつも、信子は話を続ける。


(いや、めっちゃ咳してますけど……!?)


 慧臣にツッコミを入れる隙を与えない。


「私ね、多分誰かに殺されたんだと思うわけ。毒でも盛られたんじゃないかって思っているの。何度も医官に診てもらって、薬とか健康法とか、色々試して『ちょっと回復したかもー』って、思ったらまた具合が悪くなってね。その度に母上が心配してさ……ゴホゴホ……それで、ゲホッ……————私、もしかしてこの家の風水が悪いんじゃないかって思ったりもしたわけ。で、早ければ来月の終わりにでも本当はお嫁に行くはずだったの。相手は三十歳も年上のおじさんだったけど、肖像画を見せてもらったら、これが結構な美男子なわけよ。それに、向こうは医学も進歩しているって言うし、『もう世継ぎはたくさんいるから、子供が生まれなくても問題ないよー』って、そう言う話だったの。その条件でお受けして、あちらの国で作ったっていう薬を飲んだらだいぶ体が楽になって……『本当に治るかもー』って浮れてた矢先に、死んじゃったわけよ」

「は、はぁ……」

「本当はね、嫁入り前に令月叔父様に相談したかったんだけど、気づいたらもう幽霊なわけ。動かない自分の体の囲んでね、母上も父上も近所に住んでた伯父上も、使用人達もみんな泣いていて……誰も私がまだ近くにいることに気づいてないの。でも、梔子だけが私の姿見えるみたいだからさぁ、見えそうなの連れて来るように頼んだのよ。梔子は言葉が話せないけど、昔から人には見えないものが見える体質だったの。私は嘘か本当かわからなくて、半信半疑だったけど、私の姿が見えるってことは本物じゃない? だから、同じように見える人はいないか探してくるように頼んだのよ。令月叔父様の侍女なら、きっと見えるはずだから連れて来てって。でも藍蘭さんは今日見当たらなくてね……」


 藍蘭は今日、休暇中である。

 どういう基準なのか慧臣は知らないが、藍蘭は二、三ヶ月に二週間ほど私用で休暇を取るらしい。

 今は慧臣がいるので、藍蘭不在の間に月宮殿が汚れることはないが、護衛の面では少々不安を抱えている。


「私はどういうわけかこの離れの周辺しか移動できないの。壁とか天井は簡単にすり抜けちゃえるくせにさ。今私の死体がある部屋はここから遠くて、何故かたどり着けないのよ。仕方がないから、令月叔父様の従者ならきっと霊感があるだろうと思って……梔子に連れてくるように頼んだの。————あ、それと、あの封筒、なんだかわかる?」

「封筒? ああ、寝台の上にあった」

「そう、それ。あれね、実は結婚できずに死んじゃった私が可哀想だって、母上が用意したものなんだけど……————あ、冥婚めいこんって知ってる?」

「……なんですかそれ?」

「知らない? 結婚前に死んでしまった私のように可哀想な子と、生きてる男を結婚させる古くからある儀式のことなんだけど……」


(結婚? 生きてる男? へ……?)


 全く意味がわからなかったが、慧臣はこれだけは察した。


(俺、何か、とんでもないことに巻き込まれてる!?)


「赤い封筒の中にはね、死者の名前と顔の描かれた紙と髪の毛が入ってるのね。で、それを拾った人と結婚することになるのよ」

「え……?」

「と言うわけで、あなた、私と結婚してくれない? ちょっと私の好みの系統とは違う顔だけど、全然問題なし。いでしょう?」



(————な、なんだって!?)



 *



 一方、慧臣がとてつもなく強引な求婚をされているその頃、令月は棺に横たわる信子の冷たい頬を指で優しく撫でる。


「信子……まだ、こんなに幼いのに。お前がいなくなったら、私の話をちゃんと聞いてくれる同志が減ってしまうじゃないか」


 声をかけても、返事がないのが悲しかった。

 体の調子がいい時は、よく話をしたものだったが、あの可愛らしい声はもう聞こえない。

 聡明で、活発的な子だった。

 本当は外に出て遊びたいんだと何度も令月に言っていたが、それは令月にも叶えてやれない難しい願いだった。


「令月……」


 呼ばれた方を見ると、芳白が喪主の黒い衣で立っている。

 久しぶりに会ったが、頰がこけてやつれているように見えた。

 愛娘が死んでしまったのだから、仕方がない。

 現に令月がこの屋敷に到着した時には、倒れて横になっているという状態だった。


はくの兄上、体調がすぐれないと聞きましたが……大丈夫ですか?」

「ああ、少し休んだ。まったく、喪主が倒れてしまうとは……我ながら情けない」

「仕方がないですよ。我らもいますから、あまり無理はしないでくださいね」


 令月は六人いる兄の中で、芳白が一番優しい人であることを知っている。

 いつも心おだやかで、愛妻家で、子煩悩で……それがここ数年、すっかり老け込んでしまったように思えた。

 信子の看病で、家族も疲弊していたのだろう。

 妻の莢迷きょうめいにも労いの言葉をかけようと思ったが見当たらない。


「白の兄上、莢迷さんはどちらに?」

「ああ、妻ならあそこだ」


 芳白が指をさしたのは、白い喪服を着た多くの参列者の背中だった。

 泣いている莢迷を励まそうと皆で声をかけているらしく、令月の位置からは白い喪服を着ている参列者と黒い喪服の近しい親族に囲まれていて、その中心にいる莢迷の姿はよく見えない。


「莢迷さん……」


 近づいて声をかけると、彼女を囲っていた親戚縁者達がさっと、身を引いた。

 ところが、割れたその白と黒の間から現れた莢迷の姿に令月は絶句する。


(————は?)



「ああ、令月様もお越しくださったのですね。ありがとうございます。あの子も……信子もきっと、喜んでいると思います」



 煌神国では、葬儀の際着る衣の色が決まっている。

 喪主や近しい親族は黒、それ以外は白だ。

 莢迷が着ていたのは、上質な絹であつらえた真紅の衣だった。



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