第9話 三度目の正直


 三度目の愛桜堂は、昼や黄昏時とは比べ物にならないくらい恐ろしいものに思えた。

 月は雲に覆われたり、覆われなかったりを繰り返して、ほぼ闇である。

 慧臣が手に持っている提灯の明かりだけが頼りだ。


「どうだ? いるか?」

「ちょ、ちょっと待ってください……!!」


 なかなか中に入りたがらない慧臣を、令月が無理やり幽霊のいた部屋に押し込む。

 慧臣だけが部屋の中に入り、部屋の外に令月、その後ろに不安そうな空言という並びだった。


「い、います。立ってます……!!」

「それならほら、話しかけてみろ! 早く!」


 真っ暗な室内の中に、ぽつんと立っているその女の霊は本当に気味が悪い。


「あ……あの————」


 慧臣が恐る恐る声をかけると、首だけがぐるんと回ってこちらを向く。


「ひっ!」


 思わずまた短く悲鳴を上げてしまう慧臣。

 今すぐ逃げ出したい衝動を抑えて、続ける。


「お……桜琳様————ですよね?」

「…………」


 口から血を流しているその霊は、何も言わなかった。

 ただじっと、入り口の前に立っている慧臣の方を見つめる。


「あ、あなたを殺した、氷梨……さんは、もう、後宮にはいません。だから、その……もう、誰も殺されることはないので————安心してください」

「…………」

「成仏してください。もう、大丈夫ですから……」


(つ、通じてるのか? これ……は?)


 よくわからないが、段々とその霊は慧臣の方へ近づいて来る。

 足は動いていない。

 瞬きをする度に、こちらに寄って来ているような、不思議な状態だった。


 そして、慧臣の目の前まで来ると、ピタリと止まった。

 生きている人間とはちがう、白い瞳に黒い瞳孔の対比はやはり近くで見ると怖すぎる。

 怖すぎて、慧臣は懐に手を入れた。

 こういう時のために、月宮殿から持ってきた『除霊砂じょれいすな』が入った袋を掴む。

 その名前の通り、振りかければ除霊することができるらしい。

 慧臣が見た収集品の中では、これが一番輝いていて、効力があるように見えたのだ。


 ところが……————


「へぇっ!?」


 霊は慧臣に重なる。

 その瞬間、流れ込むように女の声が慧臣の頭の中に響く。


「————ウ。違ウ……殺サレタ……殺レル…………————私を殺したのは」


 霊は慧臣の体を通り抜け、その先にいる令月たちの方へ————



「お前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前だ」


 何度もそう繰り返して————


「うわああああああああっ!!! やめろ!! 僕じゃない!! 僕は、僕は、何もしていない!!」


 空言に襲いかかった。


「な、なんだ!? 何が起こった!? どうしたんだ、急に……!! 悪霊に取り憑かれたのか!?」


 この状況でも、何も見えていない、聞こえていない令月は、懸命に清風扇子で空言を扇ぐが、全くもって効果がない。


「やめろ……やめろ……やめてくれぇぇぇ」


 首元を抑え、泣きながらのたうち回る空言。

 慧臣はその様子に、唖然とする。


 一瞬ではあるが、霊と自分が重なった瞬間、流れてきた記憶。


 床に伏していた金魚の簪を頭に挿した女。

 その侍女らしき女と若い医官の密談。


 女は金魚の簪を抜き取ると、粥の入った器を持ってきた侍女が見ていないところで、密かに木製の匙ではなく、その簪の先をつける。

 すぐに黒く変色した銀の簪。

 わざと器を落とし、侍女が片付けて部屋を出て行った隙に、あまり自由のきかない体をなんとか起こして押入れの布団の間にその簪を押し込んだ。

 その若い医官の顔は、空言とよく似ている。



(ああ、そういうことか……)


 慧臣は全てを理解して、懐から手を出した。

 襲われて当然だ。

 この男が、命を奪った張本人だ。


「お、おい、慧臣! どうなっている? 何が起きているか、ちゃんと説明しろ!! 私は見えていないんだぞ!? ずるいじゃないか!!」


(……まったく、この人は————)


「何がずるいですか!! こんな人殺し、恨まれて当然ですよ」

「は!? どういう意味だ!?」

「ですから、つまり、犯人はこの医官様です。そうですよね?」

「なんと……!! では今、これはあれか? こいつは桜琳の霊に襲われているのか?」

「そうです。きっと、この人は他の人も殺していますよ」


 慧臣はこのまま何もせず放置しようと思ったが、空言は足掻く。


「やめろ……!! 僕は…………俺は……————ただ、あの女の言った通りに…………俺は、悪くない……悪くない……————」


 それでも自分は何も悪いことはしていないと主張し続ける空言。

 桜琳の霊に首を閉められているというのに、絶対に認めなかった。


「なんと無様な……————桜琳、この男を殺すのはもう少しあとにしてはくれないか? 他にも多くの人間を殺しているなら、見つけてやらねばならない者がいるんだ」


 令月は見えないながらにも、桜琳がいるあたりに向かって話しかける。


「このまま殺しては、氷梨の罪も問えないぞ?」


 聞こえているのか、いないのか、桜琳はピタリと動きを止め、顔だけぐるりと回して令月の方を見た。



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