第18話 その老人の如意棒


 令月だけではなく、老人の姿を見ることができているのは、慧臣と藍蘭のみ。

 その老人の霊らしき半透明の何かが、この人形を動かして、どういうわけか珠華の邪魔をしていた。


(ど、どうしようこれ……)


 慧臣は見えはするが、一体どう対応したらいいのかわからないでいると、その老人は自分の姿が慧臣に見えていることに気づいたのか、バツの悪そうな顔をして慧臣の方を見ると、さっと人形から離れ、壁をすり抜け、向こうの部屋に姿を消してしまう。

 藍蘭は急いで追いかけたが、壁をすり抜ける相手では、室内は不利だ。

 壁が邪魔をして、いちいち回り込まなければならない。



「逃げられたわ……何だったのかしら、今の」

「なんだ? やっぱり何か見えたのか、藍蘭」

「ええ、恰幅のいい髭の老人が、人形を動かしていました。特に目のあたりをこう、指で何度も触って————」

「恰幅のいい髭の老人?」


 珠華は乱れた衣を着なおしながら、髭の老人で思い当たる人物の顔を思い浮かべる。

 しかし、たったそれだけでは絞れない。

 年配の客であれば、ほとんどが髭を生やしているし、さらに恰幅がいいなんて金持ちの典型だ。

 花街に女を買いに来る恰幅のいい髭の老人なんて、山ほどいる。


「私が見た感じ、おそらく生き霊か……術者だと思います。死んでいる人間の霊とは違う気がします」


 藍蘭は部屋に置いてあった墨と筆を借りて、その老人の似顔絵を描いてみせる。


「こんな感じの爺さんよ」


 慧臣はその絵を見てギョッとする。

 全く似ていない。

 それどころか、まず人間にも見えない。



「いや、分かるわけないだろう!! 藍蘭、お前、本当に絵心がないにもほどがあるぞ!!」


 令月のいう通りものすごい下手くそな絵だった。


「……筆を。俺が描きます」


 呆れて、慧臣は別の紙に今見た老人の似顔絵を描き直す。

 それがあまりにも上手で、令月は感心する。


「ほぉ、なかなか上手いな。慧臣、お前画家になれるんじゃないか?」

「母の遺伝だと思います。人形職人を目指していたのは知りませんでしたが、母はとても器用な人で————絵も上手でしたから」


 さらりと描いて、それを珠華に見せる。

 珠華はすぐにそれが誰か思い当たった。


「これ……持参じさんだわ」

「じさん……? 誰だ?」

「一番最初に私を身請けしたいと、申し出した人よ。身請け金は十分だったんだけど、あまりに年の差がありすぎるから、お断りしたの……それに————」


 珠華は当時のことを思い出したのか、本当に嫌そうな表情をしながら言った。


「————『儂は妖術が使えるから、お前を儂の如意棒にょいぼうで毎晩天国に連れてやろう』って、ものすごく気持ちの悪いことを言われたの」


 もうこれは生理的に無理だと、今では接近禁止にしている変態じじいである————




 *



 一方、変態爺こときん持参は、自分の屋敷に慌てて戻った。

 持参は、珠華に話していた通り妖術を使える老人で、いわゆる幽体離脱を得意とした男である。

 たくさん金を持っているのは、その妖術で宗教的な活動をしていた時期があり、その信者たちから巻き上げたからだ。

 肉体から離れた持参の魂は、よっぽどの霊能力を持った人間でなければその姿を見ることができないくせに、物を動かすことができる。

 生き物には触れないが、椅子を倒したり、突然ものを浮かせて見せたりできるため、持参の魂が見えない人はその不思議な現象を神の力と信じたりした。


「くそ……!! 見られてしまった!!」


 触ろうと思わないと触れないため、壁のすり抜けは自由にできる。

 最短距離で自分の肉体がある自分の寝室まで戻り、魂を戻した。

 寝台から飛び降りると、すぐに身の回りにある大事な荷物をまとめ始める。

 姿を見られたということは、この呪いの人形騒動の犯人が自分であることがバレてしまった可能性が高い。

 幽体離脱中の肉体は無防備で、もしその間に肉体の方に何かされてしまっては、二度と戻れなくなる。


「しかも、二人も……!! なんなんだ、あのガキども……!! それに、あの男————一度ならず二度も、儂の珠華に手を出しおって!!」


 普通なら、人形を恐れて二度と珠華には近づかなくなる。

 今までもそうだった。

 それが、今日突然覆されてしまった。


「珠華……儂の……珠華…………趣花しゅか


 持参には若い頃、惚れた女に先立たれた過去がある。

 偶然、妓楼で珠華を見た時、その姿があまりにその女に似ていて、珠華をその女の生まれ変わりだと確信したのだ。

 名前も漢字は違うが同じ

 珠華のためならいくらでも金を使おうと、毎晩妓楼に通い詰め、妓楼も珠華の太客として最初は丁重に扱っていたが、次第にその下品な本性が露わになってしまい、自慢の如意棒を使うこともできず、接近禁止を食らった。


 さらに自分の申し出を断った上で、珠華の身請けの話が決まりかけていた。

 その相手がとんでもない男であることを知って、珠華を守ろうと妖術であの人形を操り妨害。

 その後も何度かあった身請け話も、相手が気に入らないからと妨害し続けた。

 結局のところ、持参は相手が誰だろうと、認めるつもりはないのだ。

 そんな権限は、彼にはないというのに……


「だ、旦那様、突然、どうなされたのですか……?」


 使用人の男は、突然主人が家中の金目のものを袋に入れ始めたので、驚いて尋ねたが、持参は話している余裕はない。


「とにかく、金目のもの……大事なものを今すぐまとめるんだ!! それと、馬だ!! 馬を用意しろ!! この屋敷を出るぞ!!」

「え、そんな……もう夜ですよ!? お出かけになるなら、明日の朝にした方が…………」

「うるさい!! いいから、儂の指示に従え!!」


 持参が大声で怒鳴りつけていると、別の使用人が血相を変えて走ってきた。


「————大変です、旦那様!! 今、屋敷の外に……王族の方が来ています!!」

「なんだ、儂は今忙しいんだ!!…………ん? 今なんて言った?」

「ですから、王族の方がお見えなんです!! 旦那様に今すぐ会わせろと……!!」

「お、王族!?」


 王族の知り合いなんて、持参にはいない。

 金持ちではあるが、持参自身は貴族や官吏だったこともなく、平民だ。

 表向きは、商人ということになっている。

 実際は、妖術師としての稼ぎの方が大きいため、どうやって財をなしたのか不思議がられるくらいであるが、身分が違いすぎるため王族と関わったことなど、一度もない。


「王族……って、一体、誰だ? 誰が儂にこんな夜中に……————」

「王弟殿下です。国王陛下の一番下の……令月様です」

「れ……令月様だと!?」


 そんな高貴な方が訪ねて来る理由がわからない。

 だが、そんな高貴な身分のお方を、外で待たせるなんてことはできない。

 仕方がなく、持参はわけがわからないまま、王弟殿下を迎え入れるために走った。

 ぼってと突き出た腹の肉が激しく揺れる。



「ほぉ……お前が持参か。これは、確かに恰幅のいい髭の老人だな」



 まさかそれが、一度ならず二度も、儂の珠華に手を出したあの男だとは知らずに————


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