第6話 2日目 帰宅-後編
こんなに狭い部屋なのに、場違いに大きな勉強机。
安物でも良かったのに机はちゃんとしたものがいいと、母さんが無理をして買ってくれた。
「ぼく、いっぱいべんきょうして、えらいひとになるね」
「それなら母さんもいっぱいお仕事して、海斗をいい大学に入れてあげないとね」
小学校入学当時のやり取りは今でも忘れない。
運動が苦手だったから、勉強だけは頑張りたかった。
だけどそれも、受験に失敗して成果を見せることができなかった。
教科書、参考書、授業で使ったノート……。
机の上から床に下ろしては、ビニール紐で束ねていく。
そんな様子を、死神が僕の定位置だった椅子に座りながら眺めている。
「何をされているのです?」
「身辺整理だよ。もう必要ないからな」
「死を受け入れたと?」
「受け入れようが受け入れまいが、その日が来れば僕は死ぬんだろ?」
「なるほど、悟られたというわけですね」
薄笑いを浮かべる死神が腹立たしい。
だけどそれには構わず、今度は引き出しの中身をゴミ袋に放り込んでいく。
そこへ、玄関の方から物音が聞こえてきた……。
「――ただいま」
母さんが仕事から帰ってきた。
「海斗、今晩はちょっと豪勢にお寿司買ってきたの。食べるでしょ?」
「えっ、ああ、うん」
「ちょっと待っててね、お味噌汁作るから」
スーパーのレジ袋をちゃぶ台に置くと、母さんは台所に向かう。
いつも通り振る舞おうとするその姿に胸が痛む。
母さんだって辛いはずなのに。
僕が勇気を出さなくてどうする。
母さんが帰ってきたら、今度は絶対に言うって決めただろ。
「母さん! 実は僕の寿命、あと1週間なんだ」
母さんは振り返ると、無理やり作った笑顔で僕を見つめる。
「まったく、もう。なにやってんのよ、あなたは」
笑顔だったはずなのに、みるみると歪んでいく母さんの表情。
顔中をくしゃくしゃにして、目からは涙が零れ落ちた。
僕の目にも涙が溜まっていく。
視界がぼやけて、母さんの顔がますます歪んで見える。
「朝は言えなくてごめん」
次々と涙が溢れてきて止まらない。
そんな僕を母さんが強く抱きしめる。
僕も畳に膝を突いて、母さんに抱きついた。
僕は子供の頃のように、しゃっくりが出るほど思いっきり泣いた。
こんな風に母さんに甘えたのは何年振りだろう……。
◇
三人でちゃぶ台を囲む。
「…………」
「…………」
「…………」
「寿命が1週間になったってどういうことなの? 詳しく教えて?」
「自殺しようとしたんだ。そこを死神に見つかって……寿命を1週間にされたんだ」
「ああ、もう、あんたって子は、なんてバカなことをしたの!」
呆れたような怒鳴り声。
だけどとっても優しく感じられて、僕の目頭が一気に熱くなる。
自分が仕出かしたことを、何度思い返しても後悔しか浮かばない。
ごめん、母さん。本当にごめん……。
「それで、どうして自殺なんてしようと思ったの? 母さんに話してくれる?」
「実は僕、中学の時からずっといじめられてて……」
僕は自分の過去を全部話した。
高校までいじめ続けられていたこと。
心配を掛けないように黙っていたこと。
そんな状況だったから大学受験に失敗して、それも言えずにいたこと。
心配をかけると思ったから話さずにいたのに……。
打ち明けてみたら、母さんは優しい目でうなずきながら黙って聞いてくれる。
僕は思い出すままに隠し事を吐き出し続けた。
不安感が消え去って、気持ちがスッキリする。
なんだ、もっと早く話せば良かったのか……。
「そうだったの……。海斗がそんな目に遭って苦しんでたこと、母さんわかってあげられなくて本当にごめんね」
「黙ってた僕が悪いんだ。僕の方こそ、今まで隠しててごめん」
「でも、話してくれてありがとうね」
母さんは僕に微笑むと、スッと立ち上がって台所へ向かう。
その背中は小刻みに震えていた。
「海斗、晩ごはん、食べようか。お味噌汁はなしでいいね」
しきりに鼻をすする母さんに、僕はまた目頭が熱くなる。
辛い話ばっかりだったよね。でも聞いてくれてありがとう、母さん。
狭いちゃぶ台に並んだのは、二人で食べきれるかわからないほどのお寿司。
死神はいつの間にか、どこかへ行ったらしい。
母さんと一緒にお寿司を食べた。
愛情をたっぷり注いでくれてありがとう……母さんの子で本当に良かった。
◇
(side 死神)
上空から夜景をひと眺めして、戻ってみれば二人は居間で枕を並べて眠った様子。
今からホテルに行くのもなんですし、私は一人静かに台所で読書でもしますか。
「死神様、お願いです。うちの子をなんとか助けてあげてください」
おや、母親はまだ起きていたようですね。
それにしても、悲壮感漂う表情が痛ましいです。
「手帳に寿命を記したら、もうそれを延ばすことはできません。ですから、息子さんを助けることは不可能です」
「そこをなんとかお願いします! 代わりにあたしの命を差しあげますから」
子を思う親の気持ちは尊いですね。
自らの命を、こうも容易く差し出せるのですから。
ですが、あなたでは息子さんの身代わりにはなれないのですよ。
「刈り取った者に、寿命を返すことはできないのが死神界のルール。こればかりは、私にもどうすることもできません。諦めてください」
「それなら、あたしも一緒に連れて行ってください。あの子一人で死なせるなんて、そんな可哀そうなことできません」
両方の寿命を刈り取るのは造作もないことですが、必要以上の命を奪うのは私の美学に反する。
とはいえ本人が強く望むのであれば、やぶさかではありません。
「どうしてもというなら、その願いを叶えることは可能です。ですが、海斗くんはそれを喜ぶのでしょうかね」
「うっ、うぅっ……海斗……」
母親は冷たい台所の床に座り込んだまま、いつまでも息子の名前をつぶやきながら泣き続けた……。
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大井 愁です。
ここまでが序章となります。
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