第12話 3日目 誕生日おめでとう

 残り4日。


 ずっと虐げられていた阿久津に仕返しが出来て胸がスッとした。

 誰がなんと言おうとあれは僕の勝ちだ。


 心残りが一つ消えて、満足感に浸りながら家に帰る。


 だけど拳が痛い。

 それに、阿久津の顔面を殴りつけた時の気持ち悪い感触もまだ残ってる。


 ちょっと嫌な気分だ。


 やり残していた用事を済ませて、玄関のドアを開ける。

 すると、もう仕事から帰っていた母さんが出迎えてくれて、僕を見るなり顔色を変えて迫ってきた。


「海斗! どうしたの、そんなにあざだらけになって。誰にやられたの?」

「いや、今日は僕がやってやったんだよ」

「本当に? またいじめられたんじゃないの?」

「大丈夫。今日はやっつけてやったから」


 ちょっと得意気に言うと、僕の目をジッと見た母さん。

 その目を逸らさずに見つめ返すと、母さんはそれ以上は何も尋ねてこなかった。


「もう家に入りなさい。怪我の手当てしないとね」

「その前に、これ」

「ん? なあに? このお金」

「銀行口座に残ってた僕の貯金。もうちょっとあったと思ったんだけど……ごめん、五千円ぐらいしかなかった」


 ATMから引き出してきた僕の全財産を手渡す。

 苦しい家計の中から毎月くれてたお小遣いだから、返すのが一番だと思った。


 すると母さんは、顔を引きつらせながら笑顔を作る。


「海斗ったら……馬鹿ね。そのお金は自分のなんだから、あなたが欲しいものを買いなさい」

「でも僕は母さんに使ってもらいたいよ」

「それは母さんも一緒。母さんは海斗に使ってもらいたいの」


 母さんはどうしても受け取ってくれない。

 どうしよう。自分のために使えと言われても……。


「ちょっと、どこ行くの? 海斗、晩ご飯はどうするの?」

「すぐ戻る。帰ったらちゃんと食べるから」


 プレゼントを買うために、僕は再び街へ向かった。

 一つはすぐに決まった。それはホールケーキ。


 そして残ったお金でもう一つ、ハンドクリームも。


 僕は家に帰って、ケーキの箱を母さんに差し出した。


「えっ、なぁにこれ? どうしてケーキなんか……」

「誕生日おめでとう、母さん!」


 目を見開いた母さん。だけどすぐに、呆れたような苦笑いが浮かんだ。


「もう、いやね、海斗ったら。母さんの誕生日は半年も先じゃない」

「でもさ、半年後は僕、もういないから。生きてるうちにお祝いしようと思って」


 母さんは開いた口を手で隠す。

 そしてすぐに、僕に背中を向けた。


 エプロンの裾を掴んで、目を覆う母さん。


 再び振り返った母さんは、笑顔でケーキの箱を受け取ってくれた。


「ほら、おうちに入りなさい。晩ご飯の用意できてるから。これは、その後に食べましょうね」


 ちゃぶ台に並んでいたのは、肉じゃがとブリの照り焼き。

 どっちも僕の大好物だ。


 やっぱり母さんは、僕の好きな物をわかってくれているんだな。


 奥側に正座して、顔の前で両手を合わせる。


「いただきます」

「はい、召し上がれ」


 夕飯が始まったところで、僕はポケットからハンドクリームを取り出す。


 気恥ずかしさで気まずくなりながらも、それも母さんに手渡した。


「あとこれもね、誕生日おめでとう」

「もう、この子は。だから母さんの誕生日は半年後だっていうのに……」


 そう言いながらも、表情は優しい笑顔に包まれている。


「いつも働いてくれてありがとう、母さん」

「ありがとうね、海斗。でも、使うのがもったいないわね」

「えーっ、使ってよ。そのために買ってきたんだから」

「ふふっ、そうね。大事に使わせてもらうね」


 お金なんてかけなくてもこんなに喜んでもらえるなら、毎年誕生日や母の日を祝ってあげれば良かった。


 中学に上がったあたりから、照れ臭くてお祝いをしてあげなくなってたことを激しく後悔した……。


「ごちそうさまでした」

「お粗末さま」


 夕飯も終わって、いよいよケーキの時間。

 母さんが冷蔵庫に入れておいたケーキの箱を、ちゃぶ台の中央に置く。


「さぁ、いただこうかな。海斗はどんなケーキを買ってきてくれたのかな?」

「待って、母さん。ケーキに緑茶はないんじゃない? 僕がコーヒー淹れるよ」

「あら、珍しい。じゃぁ、お願いね。眠れなくなっちゃいそうだけど、しばらくお休みもらってるから関係ないしね」


 お湯を沸かしていると、母さんから声が掛かった。


「そんなに大きなケーキ買わなくても良かったのに。お金なくなっちゃったんじゃないの?」

「でも、母さんは僕の誕生日にはホールケーキを買ってくれたけど、自分のときはカットケーキで我慢してたじゃない。だから大きくなったら、ホールケーキで誕生日祝ってあげたいって思ってたんだよ」

「そっか、却って気を遣わせてたんだね。ありがとうね」


 僕が二つのマグカップを手にして居間に戻ると、母さんが笑顔で迎えてくれる。


 ちゃぶ台に置いた、香ばしさが漂ってくるコーヒー。

 インスタントでも充分にリッチな雰囲気は味わえる。


「あら、海斗。ミルクは?」

「今日はブラックで飲んでみようと思って。母さんは?」

「海斗ったら大人ぶっちゃって。じゃぁ母さんもブラックにしようかな」


 まずは一口コーヒーを啜る。

 苦い。やっぱり格好つけるんじゃなかった。


「母さんが開けてよ。母さんのために買ってきたんだから」

「そう? じゃぁ開けるわね。楽しみね、海斗が買ってきてくれたケーキ」


 箱の側面を開いて、母さんが中の土台ごとケーキを引っ張り出す。

 スルスルとケーキが姿を現すと……。


 ――見るも無惨に崩れていた。


 急いで帰らなきゃと、箱を振ってしまったらしい。

 最後の最後まで締まらないなと、僕は自分が嫌になった。


「ふふっ、ふふふっ、もう、ドジねぇ、海斗は。崩れちゃったけど、食べられないわけじゃないんだし、元気出しなさい」

「でも……」


 母さんはそんな僕に、ケーキを取り分けてくれた皿をスッと差し出す。


「ほら、食べましょ。味は変わらないから」

「うん、誕生日おめでとう」

「ありがとうね、海斗」



 一息ついた後、母さんの背中にまわって肩に手を乗せる。

 感謝の気持ちをもっと表したくなったものの、急に気恥ずかしくなった。


「ん? なぁに?」

「いや、肩揉みしようかなって……」

「じゃぁ、お願いしようかな」

「うん」


 ぎこちない動きで母さんの肩を揉む。

 すると深く息を吐きながら、嬉しそうに母さんが感想を漏らした。


「ああ、気持ちいい。ありがとね、海斗。疲れが飛んでいくよ」


 凝り固まった肩。

 これぐらいの恩返しなら、毎日だってできたのに……。


「腰もマッサージしようか」

「ほんとに? じゃぁ、お願いしちゃおうかな」


 畳の上に、うつ伏せになって寝転ぶ母さん。

 僕は慣れない手で、母さんの腰をグイグイと押してやる。


「気持ちいいよ。もうちょっと強くしても大丈夫よ」

「あ、うん、これぐらい?」

「そうね。ああ、そこそこ、そこをもっと押してくれる?」


 こんな小さな身体で毎日働いて、僕をここまで育ててくれた。


 母さん、ありがとう。

 今までできなかった分、僕はとことん母さんにマッサージをしてあげた。


 残りあと4日。僕は何ができるだろう……。

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