第3章

第13話 4日目 死神の帰還

 ――ガタタン!


 台所の方から怪しげな物音が響いて、僕は目覚めた。

 母さんは隣で寝息を立てたまま。


 まだ明け方なのに、いったい何事?


 不審者だったらどうしようと心臓をバクバクさせつつ、慎重に台所に歩み寄る。

 だけど足が震えて、なかなか前に進めない。


「死神!?」


 早朝の薄明りに照らされた黒装束はボロボロで、流しに手をついてやっとの思いで立っているみたいだ。


 よく見れば身体中が傷だらけ。


 身体を貫通するほどの穴が空いていたり、骨が見えるほどあちこちの肉がえぐれていた。

 その骨だって、何か所かはありえない方向に曲がっている。

 人間だったら死んでなければおかしいほどの大怪我だ。


 どうして死神がこんな目に……。


「おい、大丈夫か?」


 聞くだけ無駄だった。どう見ても大丈夫じゃない。

 足はふらついてるし、眼光からは鋭さが消え失せ、漆黒の髪もだらりと垂れ下がっている。


 こんな状態で僕の寿命がきたらどうなるんだよ。

 あの少年に寿命も受け渡せずに、無駄死になんていうのは勘弁してくれよ?


「布団まで行くぞ。もう少しの我慢だ」


 返事のない死神に肩を貸すと、ズシリと体重が圧し掛かる。

 よろけながらもなんとか踏ん張って、さっきまで寝ていた僕の布団に座らせた。


 死神は声をあげないながらも、傷が痛むのか時折顔を歪めている。


「待ってろよ。すぐに救急車呼ぶから」


 枕元で充電中の携帯電話に手を伸ばそうとすると、死神が僕の身体を掴んだ。

 それって電話を掛けるなってこと?


 僕がなおも携帯電話を取ろうとすると、首を横に振る死神。

 そんなに辛そうなのに大丈夫なのか?


 だけど確かに、死神は死ないと聞いたことがある。


「本当に呼ばなくていいんだな?」


 携帯電話に伸ばした手を引っ込めると、死神がうなずいた。

 そこまで頑ななんじゃ仕方ないな。僕は救急車を呼ぶのを諦めた。


 死なないと言われても、何をしたらいいのかわからない。

 とりあえずコートとスーツを脱がせて布団に横たえる。


 全身に及ぶ無数の傷。それも人間だったら致命傷になるものばかり。

 こんなものを見てしまったら、放っておけるわけがない。


「まったく……どうしたらこんなことになるんだよ。ちょっと待ってろ」


 洗面器に水を汲んで、タオルを浸して持ってきた。

 それを固く絞って、顔や身体の汚れをそっと拭き取る。


 大きな傷に触れると、身体をビクリと振るわせて唇を噛みしめる死神。

 死なないと言いながらも、痛みはあるみたいだ。


「死神って、血は出ないんだな」


 洗面器の水が泥で黒く濁ってきた。

 水を替えに台所へ立ったついでに、救急箱を持って居間へ戻る。


「何があったんだ? ケンカでもしたのか?」


 死神は答えない。というか、答える余裕がなさそうだ。

 これはどうみてもケンカで出来るような傷じゃないけど、死神のことなんてわからない僕が推測したってわかりっこない。

 今は回復に専念してもらうしかないか……。


 夕べ母さんにしてもらったように、消毒液を含ませたガーゼで傷を押さえて包帯を巻いていく。

 やっぱり母さんのようには、上手くできないな。


 僕がもたついていると、死神が表情を険しくした。


「もう気遣うな……」


 気遣うなというその言葉を、そっくり返したくなる。


 ろくに動けず手当されてるっていうのに、その口ぶり。

 どれだけプライドが高い死神なんだ。


「そう言うけど、ここに逃げ込んだってことは救いを求めたってことだろ。気遣うに決まってるじゃないか」


 突然死神が起き上がろうとしたので、僕は慌てて押さえ込む。


「言い方が悪かった。頼ってくれて嬉しいよ。ただ、怪我人は怪我人らしくおとなしく寝てろってことだよ」


 死神にとっては、こんな手当ては余計なことなのかもしれないけど、僕はそうせずにはいられなかった。


 数日一緒に過ごしたせいで、情が移ったのかもしれない。


 出会った頃を思い返すと、こうして看病する日が来るなんて夢にも思わなかった。そんなに何日もたったわけじゃないけど。


「おまえには酷い目に遭わされたな。だけど、これが元々の寿命だったんだって思うことにしたよ」


 何を言ってるんだろう、僕は。

 だけどこうして死神に話し掛けているのは、自分に言い聞かせようとしているのかもしれない。


 天井をジッと見ている死神は、少し虚ろな目をしている。

 死なないっていうのは嘘じゃないかと、ちょっと心配になる。


「死神に余命を宣告されたら、もう戻せないんだろ? 割り切るしかないよな」


 見つめる僕から目を背けた死神。それってやっぱり否定の意味だよな。

 まだ少し期待してたなんて、僕はまだこの世に未練があるらしい。


「だったらせめて、僕の寿命を引き継ぐあの少年を幸せにしてやってくれると嬉しいかな」


 相変わらず何も言ってくれない死神。

 嘘でもいいから、『考えておきます』ぐらい言って欲しかった。


 その冷淡さがちょっと腹立たしい。


「薄情だよな、死神って」


 死神の目に少しだけ鋭さが戻って睨みつけてくる。

 怒らせちゃったかな?


 僕の言い方も、少し冷淡だったかもしれない。


「『八神やがみ』です」

「ん?」

「私の名です。死神と一括りにされたくない」

「へぇ、死神にも名前ってあるんだ」


 ちょっとビックリした。そして嬉しかった。

 名前を教えてもらったことが特別な気がして。


 死神はみんな、元は人だったというのは聞いたことがある。

 僕は死神の過去に少し興味が湧いた。


 出会った時には殺されかけて寿命まで奪われた。

 だけどその後は、ホテルに泊めてくれたり阿久津から守ってくれたり……。


 冷酷さしかないと思ってた死神だけど、八神からは人情が感じられる。


「八神には、感謝してることもあるんだ」


 命を奪う相手に感謝するなんておかしいのかもしれない。

 だけど僕にとって、八神は特別な存在といえる。


 これまでに感じたことを、八神には知っておいて欲しいと思った。


「命の大切さがわかった。余命が決まってからは、充実してる気がするよ。ささやかだけど、母さんに感謝の気持ちを伝えられたし、阿久津にもやり返すことができた」

「寿命を奪う相手に感謝するなんて、お人好しもいいところです」

「それでもお前には感謝してるんだよ。ありがとう!」


 布団に横たわる死神は、溜息をつきながら呆れ顔で見上げている。

 あまりにもジッと見つめるものだから、なんだか気恥ずかしくなってくる。


「余命宣告される前に気付ければ、もっと良かったんだけどな!」


 おどけてみせたものの、気恥ずかしさが消えない。

 居たたまれなくなった僕が洗面器の水を捨てに立つと、背後から声が掛かった。


「考えておきます」

「ん? なんか言ったか?」

「いえ……」


 少年に命を渡すその日まで、僕は今の時間を大切に過ごそうと改めて思った……。

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