第23話 旅立ちの時

 風雅くんの心臓が止まった……。


 僕は八神を病室から押し出して、その胸倉に掴みかかる。


「おい、八神! 風雅くんの寿命はまだ1週間あったんじゃなかったのかよ!」

「間違いなく残っていましたよ。ですが、本人が手放せば寿命はそこで終わります」


 役所仕事のように淡々と事実を述べる八神。

 後ろを見れば、世界が終わったように風雅くんの家族が力を失くしているのに。


 今僕が寿命を差し出せば、きっとまだ間に合う。

 だけど時間はいくらも残されていない。


「母さん……」


 家に帰るって約束したのに……。

 だけどそんなことをしてたら、風雅くんは助からない。


 僕はどうすれば……。


「ごめん、母さん」


 やっぱり風雅くんの命を終わらせるわけにはいかない。

 だって、寿命を彼に使ってもらうつもりで覚悟を決めたんだから。


 時間がない。


 大丈夫。最後の僕の決心は、きっと間違ってない。


「八神、まだ間に合うよな? 僕の寿命を風雅くんに渡してくれ!」

「そうすると、あなたはもう母親に会えなくなるのですよ?」


 それを言われると、胸が張り裂けそうになる。


 昼間僕が買って帰った材料で、今頃はご馳走を作って待ってくれてるはず。

 それに残された時間で、まだまだ最後の親孝行をするつもりだった。

 感謝の気持ちだって、ちっとも伝えきれてない。


 だけど……。


 このままじゃ僕の寿命が無駄になってしまう。

 風雅くんに親孝行させてあげたいという望みが叶えられなくなってしまう。


 華音さんだって泣き崩れたまま。

 高校時代に憧れた、彼女の笑顔をもう一度見たい。


 母さん、ごめん。最後の最後まで、親不孝で……。


「いいんだ。今すぐ寿命を風雅くんにあげてくれ」

「わかりました。いいんですね? あなたが今この場で命を落としても」

「いいって言ってるだろ、早くやってくれよ! 間に合わなくなる!」

「では」


 死神が懐から手帳を取り出す。

 そしてサラサラとペンを滑らせると、僕の身体がフッと軽くなった。


 ――バタンッ!


 廊下に身体が叩きつけられる音が響く。

 でも僕は立ったまま。


「あれっ? まだ意識があるぞ?」

「もちろん意識はありますよ。今のあなたは意識そのものですから」


 足元に転がる僕の身体。それを見下ろすように意識だけになった僕が立っている。

 実体を失くした僕が目の前で両手を広げてみると、向こう側が見えるほど透き通っていた。


 その時、病室の中から歓喜の声が盛大にあがる。


「おおっ、奇跡だ! 息を吹き返したぞ」

「バイタル安定してます!」

「風雅は、風雅はどうなったんですか!?」

 

 そうか、風雅くんは助かったのか。


 医師も看護師も死の淵から舞い戻った奇跡を喜んでいる。

 涙を流しながら抱き合う、華音さんと風雅くん。

 良かった。最後に華音さんのあの眩しい笑顔が見られて。


 だけど……。


 家に帰れなかった。それだけが心残りだ。


 最後になるかもしれないってお別れはしてきたけど……。


 あれが最後になるなら、もっといっぱい感謝の言葉を伝えて、もっといっぱい抱きしめて、もっといっぱい甘えておくんだった。


 八神に連れられて歩く、夜の病院の廊下。

 後ろの方から、華音さんの嬉しそうな声が聞こえてきた。


「三ッ沢くん、風雅が一命を取り留めたよ! えっ、三ッ沢くん!!!」


 病室から出てきた華音さんが、僕の亡骸に気付いてくれたらしい。

 しかも身体を抱き上げて、涙を流してくれている。


「ひょっとして、今風雅が生き返ったのって、三ッ沢くんのおかげだったの? ごめんなさい、気付いてあげられなくて」


 ああ、あんなにギュッと抱きしめてもらって。頬ずりまでされちゃって。

 自分の身体なのに、なんだか羨ましいや。


 あれだけ覚悟を決めてたのに、ちょっと悔しくなってきたよ。


 もうちょっとだけでいいから、生きていたかったな……。


 あれ? 涙が止まらない。


 だけど僕はもう行かなきゃならない。

 そうだよな、八神……。


「どうした、八神。冥界に連れて行ってくれるんだろ?」


 八神を見ると足を止めたまま。

 相変わらず頭一つ分も上から、僕のことを見下ろしている。


「海斗くん。まだこの世に未練がありますか?」

「そりゃ、あるよ。最後にひと目だけでも母さんに会いたかったし、僕の寿命を引き継いだ風雅くんも気がかりだし」

「そうですか。ならば少しだけ昔話をしましょう。死神になる前の私は、風雅くんのような病弱な子供だったんです。そしてその病気のせいで、私は命を落としました。そんな私が今もこうしているのは、死神にしてもらったからなのです」


 死神は元は人間なのは知ってたけど、八神にもそんな過去があったなんて。

 だけど、どうして八神が昔話を始めたのか、僕にはわからなかった。


「海斗くんも死神になる覚悟があるのなら、この世に留まれます。どうしますか?」


 かと思うと、突然八神が選択を迫る。しかも簡単に決められない、重大な内容を。


 死神になれば、多くの人の死を見届けることになるのは間違いない。

 そんな辛い役目が僕に務まるのか?


 だけど、母さんに別れを告げられていないことがどうしても悔やまれる。

 それに風雅くんが、幸せになってくれるのかも見届けたい。

 僕は八神への返事を決断した。


「死神になるよ。僕はまだこの世に留まりたい」

「わかりました。それではこれを」


 八神はコートの内ポケットに手を入れると、黒い手帳と一本の角を取り出した。

 そして、僕に向かってそっと差し出す。


「これは?」

「受け取ってください。死神になるために必要なものです」


 意味がわからなかったけど、僕は八神の言葉通りにそれらを受け取った。

 すると少し満足そうに、八神が微笑んだ。


「さぁ、海斗くん。その角を、私の心臓に突き刺してください。命を落とした人間が死神の角で心臓を貫く、それが『死神の殺し方』です」

「なんで……どうして僕が、八神を殺さなくちゃいけないんだよ」

「死神を殺すと、その人間が役目を引き継ぐことになるのです。それが今あなたがこの世に留まれる唯一の手段なのですよ」


 この世にはとどまりたい。

 だけどそのために八神を殺さないといけないなんて。


 何度も恨み言を言ったけど、今の僕には大切な存在だ。

 友人、いや、それ以上の感情を抱いている。


「八神を殺すなんてできないよ」

「母親に会いたいのでしょう? 風雅くんの将来を見届けたいのでしょう? だったら一思いにやってください」

「そんなこと言われても……」

「いいのです。今の私は死神失格、あなたを冥界に連れて行きたくないと思ってしまいました。どうか私の代わりに、死神となってくれませんか?」


 それでも決心のつかない僕に、八神はさらに言葉を続ける。


「管理する魂を見届けるのも死神の役割。私になり替わって、海斗くんがお母さんや風雅くんを見守ってあげてくれませんか?」


 母さん……。

 やっぱり母さんを思うと、このまま死ぬわけにはいかない。


 僕は八神から受け取った角をギュッと握り締めた。


「さぁ、ここです。一思いにどうぞ」


 僕の手を取った八神は、すでに抉れた痕のある心臓の場所に自ら導く。


「八神は本当にそれでいいのか?」

「私のことならお気になさらず。私もこうやって、先代から死神を引き継いだのですから。それにもう、人の死を看取るのにも疲れました」

「わかった。八神の後は、僕が引き継ぐ」

「はい、お願いしますよ、海斗くん」


 角を掴んだ手がガタガタと震える。

 その手の上に八神が手を重ねて、躊躇する僕を後押しした。


「さぁ、どうぞ」

「八神!」


 八神の心臓を角で貫いた。


 すると、八神の身体が少しずつ薄くなっていく。

 逆に僕の身体は濃度を取り戻していく。


「これであなたは死神です。私の代わりに人の魂を導いてあげてくださいね」

「だけどいきなり死神なんて言われても、僕は何をしたらいいのか――」

「こんなこともあろうかと、その手帳の最後のページに全て書き記しておきました」


 八神の姿がみるみると薄くなっていく。

 その表情は満足げで、笑顔まで浮かべて。


 お前もそんな顔するんだな……。


 僕は死神になった。

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