第22話 命が終わった日
タクシーなんて通りかからない場所だったから、八神に呼びに行ってもらった。
危篤の風雅くんの元に向かう車中は空気が重苦しい。
運転手はミラー越しにさっきからチラチラとこっちを見ているけれど、雰囲気を察して話し掛けてはこない。
「風雅……」
歩道側の席に座る末崎さんは、両手を身体の前で組みながら弟の名前をつぶやく。
彼女の苛立ちが伝わってくるけど、隣の僕は黙って見守ることしかできない。
制限速度通りに走るタクシー、停止する赤信号。
末崎さんは僕の前に身を乗り出すと、奥で悠然としている八神に詰め寄った。
「死神様! 風雅の寿命はまだ残ってるんじゃなかったんですか? それなのに、どうして危篤になるんですか!」
「ご心配なく、弟さんの寿命はまだ1週間あります。ですが病魔に蝕まれているのは確かですから、発作などから逃れることはできません」
「そう、ですか」
寿命がまだあると聞いて、末崎さんは少し落ち着いたらしい。
すると今度は、僕の目をジッと見つめてきた。
今までにない至近距離だったので、緊張のあまり手汗が滲む。
ひょっとしたら、さっきの返事をもらえるんじゃ……。
「三ッ沢くんの寿命、本当にいただいてもいいの? 弟のために使ってくれるって言ってたけど……」
なんだ、そっちか。
ガッカリしたような、ホッとしたような、微妙な気分だ。
「もう覚悟は決めたから。風雅くんには僕の想いも託してきたし。一方的にだけど」
「でも、そのために三ッ沢くんが亡くなるなんて、申し訳なくて」
「一度刈られた寿命は、もう戻すことはできないらしくてさ。だからいいんだ、むしろ僕の命が人の役に立って良かったよ」
「そう、なんて言ったらいいのかわからないけど……ごめんなさい」
僕としては『ありがとう』って笑顔で喜んでくれた方が嬉しいんだけどな。
申し訳なさそうに小さくなる末崎さん。
思い詰めている彼女を見ると居たたまれなくなる。
病院はまだかよ。
「お願いします。急いでください」
「だけど、交通ルールは守らないとだから……」
信号を守るタクシーを、僕は少し恨めしく思った。
◇
病院の正面玄関に横付けされるタクシー。
ドアが開くなり、華音さんが滑り出る。
「お願い、これで払っておいて!」
財布を投げるように手渡し、彼女が駆け出して行く。
僕は彼女愛用の財布を少し眺めてから、運転手に料金を差し出した。
八神の一声で受付をすんなり通った僕たちは、早歩きで風雅くんの病室へ向かう。
面会時間を過ぎた夜のせいで、廊下は薄暗く静まり返っていた。
寿命が尽きるのを待っているのか、死神がうろついているから余計に不気味だ。
やっぱり病院は命を扱う場所なんだと、つくづく感じる。
エレベーターがなかなか降りてこない。
僕はたまらずエレベーターを呼ぶボタンを連打してしまった。
「これは少々まずいかもしれませんね」
「まずいって、どういうことだよ」
「私の思い過ごしだといいのですが……」
エレベーターに乗り込むなり、顎に手を当てて考え込む死神。
不穏なつぶやきは、僕の質問に全然答えてない。
とはいっても詳しい答えを求めるのが怖くて、それ以上は何も聞けなかった。
上を見上げても、なかなか階数表示が増えない。
エレベーターが到着すれば、風雅くんの病室はすぐなのに。
くそっ、早く着けよ……。
――ピンポーン。
到着を告げる電子音と共に、エレベーターのドアが開いた。
「点滴パック急いで!」
「心拍弱くなってます!」
「おい、まだなのか? 一刻を争うんだぞ」
いきなり聞こえてきた騒々しさ。
その言葉はどれも切迫した状況を示している。
小走りで病室へ向かうと、ひっきりなしに出入りする看護師や医師たち。
誰一人余裕のある者はいなくて、それぞれの役割をただ必死にこなしている。
「ひっ、死神様!」
「死神だと!? 命を刈りに来たのか!? とにかく早く血圧上げろ!」
姿を見せた八神に動揺する、看護師や医師。
それは、集まっていた末崎さんの家族も同じだった。
八神の下に、涙を浮かべた両親が駆け寄ってくる。
「話が違うぞ! 風雅はまだ大丈夫って言ってたじゃないか!」
「もしも寿命が足りなくなったのなら、私のを使ってください!」
「風雅くんの寿命はまだあります。今は励ましてあげる方が先決では?」
「こんなに苦しんでるんだぞ! 本当に大丈夫なのか?」
「お願いです。私の寿命を削ってもいいですから、あの子の苦しみを取り除いてやってください!」
八神の黒いコートに
そんな二人の間に、華音さんが割って入る。
「死神様の言う通りだよ。今は風雅を信じて励ましてあげよう?」
その言葉で冷静になったのか、両親はペコリと頭を下げて病室へ向き直った。
医師や看護師の邪魔にならないように、少し離れた場所で見守る家族たち。
お互いに手を握り合って、祈るように風雅くんの名前を繰り返す。
病室のカーテンの中では、医師や看護師の処置が続いている。
だけど心音と同期した電子音の間隔が、徐々に長くなっている気がする。
「鎮痛剤追加! これ以上苦しむと、患者の精神が持たないぞ!」
「手配済みですが、まだ到着してません」
「とにかく早くしろ!」
病室から聞こえてくるのは不穏な会話ばかり。
『寿命のことでは嘘は言わない』と言っていた八神だけど、その言葉を疑いたくなってくる。
すると突然奥のカーテンが開いて、医師がみんなを呼び寄せた。
窮地を脱したのか? その割には医師の表情は暗い。
僕は込み上げてくる不安感で、胸が押し潰されそうになった。
「風雅くんの意識がある内に、お話を……」
医師の言葉を察した家族が、風雅くんのベッドに駆け寄る。
「風雅! 風雅!」
「頑張って! もう少しでいいから頑張って!」
「死神様も風雅の寿命はまだあるって言ってたよ。だから頑張って!」
風雅くんの手を取って、必死にはげます家族たち。
僕と八神は一歩後ろから、そんなみんなを祈るように見つめる。
苦痛に顔を歪めていた風雅くんが、一瞬だけ微かな笑顔になった。
「もう、いいの……ごめん、なさい」
――ピー。
風雅くんの心臓が停止した……。
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