第21話 告白

 胸に振り下ろされたナイフの刃先は、身を守った僕の腕の骨に当たって止まった。


 痛い、痛い、痛い。


 だけどその痛みをこらえて、渾身の力で阿久津の急所を蹴り上げる。


「うごぁぁっ! うぐふぅぅ……」


 白目を剥くほどに悶絶しながら、股間を押さえて無様に床に転がる阿久津。

 僕は傍らに落ちていたナイフを拾い上げて、彼の喉元に突きつける。


「今度こそ負けを認めるか? 阿久津」

「誰がお前なんかに……」


 ナイフを少し押し付けると先端がわずかに刺さって、湧き出た赤い血が小さな玉を作る。


 真っ青な顔になっていた阿久津は、さらに血の気が引いてガタガタと震え出す。

 目には涙を浮かべて、アワアワと声にならない息を吐き出している。 


「認めるっ、認める。俺の負けだ、だから命だけは助けてくれ!」


 情けない声で命乞いをする阿久津。

 だけど、どうせ残り3日の命。だったら、こいつを殺して警察に捕まっても別にいいんじゃないか?


 それで中学時代から続いた恨みを晴らせる。


 そう思ったら、ナイフを握る手に力が入った。


「頼むっ、頼むぅ。死にたくない、まだ死にたくない!」


 顔をひしゃげて、阿久津が泣きすがる。

 鼻水まで垂らして、普段の強気なあいつはどこにもいない。


 そんな顔を見たら、仕返しなんてどうでもよくなった。

 それに阿久津を殺したら、風雅くんにあげる寿命がけがれる気がする。


 僕は何をやってるんだろう。


 ここに来るまでに、全部スッキリさせてきたはずじゃないか。

 それにここへ来たのは末崎さんを助けるためであって、阿久津を殺すためじゃない。


 僕は阿久津から離れると、ロープを解くために末崎さんの元へ向かった。


「へへん、油断したな、海斗。今度こそ覚悟しやがれ」


 背後から駆け寄った阿久津に、ナイフを奪われた。

 やっぱり僕はお人好しなのか?

 阿久津の言葉なんて、信じるんじゃなかった。


「阿久津……負けを認めたくせに汚いだろ」

「ああ、認めたさ。だけど敗北は次の戦いの始まりなんだ。これが第2ラウンドのゴングなんだよ!」


 阿久津は興奮した様子で鼻息を荒げ、血走った目で再びナイフを構えた。

 後ずさりする僕は、末崎さんにぶつかる。


「避けるなよ? 海斗。避けたらこのナイフは華音に刺さるぞ」


 背中越しに末崎さんを見ると、小さくなってガタガタと震えている。

 僕は両手を大きく広げて、末崎さんの身をかばった。


「海斗ぉっ! やってやらぁ!」


 僕に向かって一直線に突っ込んでくる阿久津。

 真後ろには末崎さん。


 逃げ場のない僕は覚悟を決めて、固く目を瞑った。


「ぐえぇぇっ!」


 僕が恐る恐る目を開くと、阿久津が後方に吹っ飛んでいる。


 一体何が起こったのか。

 阿久津も身体を起こしながら、ビックリした顔をしている。


「あなたは少々調子に乗り過ぎましたね。死神を馬鹿にするとは良い覚悟です。その寿命を無惨に刈り取って差し上げますので覚悟してください」

「八神……」


 僕は思わずその名前をつぶやいた。

 胸のど真ん中にはえぐれたような穴が開いてるけど、間違いなく八神だ。助けに来てくれたんだ。

 するとその後ろから、左耳の上だけに角が生えたもう一体の死神が現れた。


「待てェ、八神ィ。そいつはァ、俺にやらせろォ!」

「ひっ、ひぃっ、神西……。許してっ、許してください!」


 阿久津が激しく怯えだした。名前を呼ぶってことは、面識があるらしい。


「貴様ァ、死神の殺し方はァ、角を心臓に突き立てるとか嘘を教えやがったなァ! 死なねェじゃねえかァ。確かに心臓に角を突き立てたのにィ!」

「あぁっ、あぁぁっ……助けてっ、助けてくれぇっ!」


 床にへたり込んでいた阿久津は立ち上がると、背中を向けて逃げ出した。


「絶対にィ許さねェ! 俺様に嘘をついた貴様はァ、こうだァ!」


 神西と呼ばれた死神は阿久津に向かって手を伸ばすと、その手のひらをギュッと握り締めた。


 その瞬間、阿久津の身体が一瞬で小さな肉塊になる。

 そして一瞬の後に床に落下して、赤い血溜まりを作った。


「ちきしょゥ、えらい目に遭ったぜェ。俺様は約束した通りィ街を出るゥ。八神ィ、貴様とはお別れだァ」

「あなたとは、もう二度と顔を合わせることはないでしょうね」

「結局ゥ、死神の殺し方なんてものはァ、無かったってこったなァ。あばよォ!」


 そのまま舞い上がって、壁をすり抜けて消えていった神西という死神。

 八神は薄笑いを浮かべながら、それを見送った。


「ふふっ、ほとんど正解だったんですけどね……」


 一連の出来事に、ただただ茫然とするだけの僕。

 少なくとも僕が手を下すことなく、阿久津の命が絶たれたのだけは間違いない。


 だけどなんだかスッキリしない。


 中学時代からいじめられ続けて命も狙われたのに、阿久津の絶命を素直に喜べない僕はやっぱりお人好しなんだろうか……。


「末崎さん、大丈夫?」


 末崎さんの口を塞いでいたタオルをほどくと、震えた声が僕の耳に届いた。


「うぅっ、助けてくれてありがとう、三ッ沢くん」

「結局、最後は死神に助けられたんだけどね」

「そんなことない。三ッ沢くんが来てくれなかったら、どうなってたかわからないもの。本当にありがとう三ッ沢くん。それに死神様も」


 僕がロープを解いてやると、末崎さんはようやく安堵したようで表情が緩む。


 彼女を救えたことが本当に嬉しい。

 以前の僕だったら、こんなに思い切った行動はできなかったと思う。


 これも八神のおかげってことなのかな?


「じゃぁ、帰ろうか。末崎さん」

「えっ? でも三ッ沢くん、このままってわけには……」

「ご心配なく、私が後始末をしておきますので」


 後は八神に任せて、僕と末崎さんは倉庫の外に出た。

 外はすっかり日が落ちて、薄暗い街灯が灯っている。


 今だ、今しかない。

 まだ実行できてない、僕が死ぬまでにやらなければならないこと。


「実はさ、末崎さん」

「なぁに? 三ッ沢くん」

「高校の時からずっと好きでした!」

「えっ?」


 時間が一瞬止まった。

 そしてその直後、顔が火照って真っ赤になる。

 自分で告白したくせに、この場から逃げ出したくなる。


 だけど打ち明けられた満足感で、全身に鳥肌が立った。


「あの……ありがとう、三ッ沢くん。えーっと……」


 言葉を必死に探している末崎さん。

 この雰囲気じゃきっとだめだろう。


 でも、フラれても構わない。


 僕はずっと言えずにいた想いを伝えられて、それで充分満足だ。


 ――ピロロロロ、ピロロロロ……。


 突然、着信音が鳴り響く。

 その音の出所は末崎さんのスマホだった。


「はい……はい、そうです……えっ? そんな……風雅が、危篤なんて……」

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