僕が死神と過ごした一週間

大井 愁📌底辺貴族の雑魚悪役

第1章

第1話 人生が終わった日

 寒風が吹きつける断崖絶壁から海を見下ろす。

 この高さから身を投げれば、間違いなく死ねるはず。


 中学時代から阿久津あくつたちにいじめられ続けて、身も心もボロボロ。

 大学の受験だって失敗した。


 心残りと言えば、同じクラスの末崎まつざき 華音かのんさん。

 せめて彼女に僕の想いを伝えておきたかった。


 だけどそれも諦めた。所詮、僕には高嶺の花だったんだよ。


「もう、生きる望みなんてどこにもないだろ。僕の人生はこれで終わりだ」


 遥か眼下には、繰り返し打ち寄せる白波。

 まるでおいでおいでと、僕を呼んでいるみたいだ。


 目を固く瞑り、足を震わせながら崖の先に踏み出す。

 だけど最後の最後、肝心の一歩が踏み出せなかった。


「母さん……」


 振り払えなかった、女手一つでここまで育ててくれた母さんへの想い。

 自分のことは二の次で、いつも僕の幸せを願ってくれていた。


 やっぱり母さんは悲しませられない。

 僕は足を引っ込めて、涙を拭い取った。


「帰ろう。まだやり直せるさ……」


 顔を上げてみれば日光を反射して、煌めいている水平線。

 美しいその景色にちょっと見惚れてしまう。


 せっかく思い止まったのに、突風に煽られて転落したら意味がない。

 僕はこの場から逃げるように、クルリと海に背を向ける……。


 するとそこには、身長2メートルほどの大きな男が立っていた。

 黒いスーツに黒いロングコート。一見して普通の職業には見えないいでたち。

 そして端正な顔立ちの額には、ヌッと生えた一本の角。


「どうも、死神です。あなたが手放そうとしている寿命をいただきに参りました」


 そう言って口角を上げる薄い唇。

 切れ長の目には冷徹な光が宿り、漆黒の瞳に吸い込まれそうになる。


 僕は得体のしれない恐怖にすくみあがって、全身に鳥肌が立った。


「何をしているんです? 早くそこから飛び降りてもらえませんか? 私も忙しい身なのでね」


 恐ろしい言葉を顔色一つ変えずに言う。

 しかも薄ら笑いまで浮かべて。


 逃げ出したいのに足が動かない。

 まるで魔法でも掛けられたように、僕の身体が強張った。


「まだ手放してません……っていうか、手放しません。自殺はやめたんです!」

「今さら困りますね。あなたの寿命の使い道はもう決まっているのですから」


 冗談じゃない、やり直そうって決めたばっかりなのに。

 死神に宣告されたって、はいそうですかと死を受け入れるわけにはいかない。


「勝手なこと言わないでくれ! 僕の寿命は僕が使う」

「聞き分けのない人ですねぇ。死神に憑りつかれたら、死から逃れられないことぐらい子供だって知ってますよ?」

「僕だって知ってるよ! だけど頼む、お願いだから帰ってくれ」


 スーッと漂うように、迫ってくる死神。

 額の立派な角で貫かれそうで、僕は思わず身構えた。


 その距離が詰まるたびに、押し寄せてくる死の威圧感で身体が震え出す。


三ッ沢みつざわ 海斗かいとくん」

「き、気安く呼ぶなよ……」

「悪く思わないでくださいね」


「えっ?」


 足場が一瞬にして無くなった。

 死神の姿が遠ざかる。

 あいつ、僕のことを突き飛ばしやがった。


 フッと身体が軽くなった無重力状態。


 だけど次の瞬間、僕の身体は激流渦巻く波間に呑み込まれた。


「苦しい……死ぬ……」


 全身を突き刺す、海水の冷たさ。

 一瞬で身体がかじかんで、もがく手足がとてつもなく重い。


 朦朧としていく頭の中に、過去の思い出が蘇る。

 ああ、死ぬ間際に見る走馬灯って、これのことか……。


 ろくでもない人生だったけど、全てが悪いことだったわけじゃない。

 校内絵画コンテストで銀賞をもらったり、恋だってできた。


 もうちょっとだけ辛抱してたら、人生だって好転したかもしれないのに。


 今は母さんの手料理が食べたくて仕方がない。


 ああ、母さんのトンカツ、もう一度食べたかったな……。



「げほっ、がほっ……はぁっ、はぁっ……くそっ、死ぬかと思った……」


 海の藻屑になりかけながらも、やっとの思いで這い上がる。

 見上げれば高くそびえる崖の岩肌。その麓にある狭い岩場で僕は激しくむせた。


 無我夢中で何をどうやったかわからないけど、どうやら助かったらしい。


 だけど僕の目の前に、さっきの死神がニコニコと微笑みながら舞い降りた。


「やれやれ、助かってしまったんですか。悪運の強い人ですね」


 両手を大きく広げて、ゆっくりと首を左右に振る死神。

 人をバカにしたようなその態度に腹が立つ。


「突き落とすなんてあんまりだろ。死ぬところだったんだぞ!」

「そもそも、あなたは死のうとしてたじゃないですか。苦しまずに楽にしてあげようとした私の親切に、むしろ感謝してもらいたいものですね」

「今、めちゃくちゃ苦しんでるよ!」


 気管に入った海水が、気道を狭めてヒューヒューと喉を鳴らす。

 繰り返し咳き込む僕を、死神が嘲笑うように見下ろす。


「気が変わりました、あなたの強運に免じて少しだけ猶予をあげましょう」


 猶予? ひょっとして僕は許されたのか?

 それなら、今度こそ心を入れ替えて親孝行しよう。

 来年に向けて受験勉強もし直して、末崎さんにも告白するんだ。


「三ッ沢 海斗くん」


 死神がしゃがみ込んで、肩に手を掛ける。

 冷ややかな笑顔を僕に向けると、耳元に口を寄せて彼が囁いた。


「あなたの寿命は今日から1週間です」



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 大井 愁です。


 今回は自殺を志願した主人公と死神の絆をテーマとしたお話です。


 普段書かないジャンルですので、ちょっと意外かもしれません。


 次話投稿は4/2の朝8:10を予定しています。


 『この男’s(メンズ)の絆が尊い! コンテスト』にも応募していますので、

 ご声援のほどよろしくお願いいたします。

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