第2話 人生が終わる日

(side 死神)


「ご親切に道案内、ありがとうございました」


 深々と頭を下げて、お礼の言葉を告げる老婆。

 私は手帳を開くと、二重線を引いて案内を終えた老婆の名前を消します。


「仕事ですから。では、私はこれで」


 これが死神の仕事。

 それはこの手帳の先頭にも、神が定めた死神のルールとして記されています。


●死神は、死んだ人間の魂を冥界へ送り届ける役目を担う。


●この手帳に名前を書き込むことでその人物の寿命は死神のものとなり、冥界へ送り届ける日時を書き加えることで現世に留まれる時間が確定する。


●死神は、刈り取った寿命を他の者に分け与えられる。


●刈り取った者に、寿命を返すことはできない。


●死神は、増えることも減ることもない。


●死神は、条件が揃わない限り死ぬことはない。


 こんなものが定められているばっかりに、死神は増えることがないなんて。

 もう少し数を増やしてもらえれば、もっとのんびりできるのに……。


 それにしても、冥界は辛気臭い。

 この雰囲気が好きになれない私は、元が人間だからなのかもしれません。

 地中奥深くにあるこの場を離れるために、強く地面を蹴って地上を抜け上空へ。


 空中に身体を漂わせながら、温かい陽の光を浴びると心地いい。

 遠くに海も臨めるこの地が私は大好きです。


 さて、一息入れたところで、次の仕事に取り掛かりましょうか。

 死神のトレードマークとなっている漆黒のコートの衿を正して、街の中へと舞い降ります。


 向かう先は地域で一番大きな総合病院。

 その小児病棟の特別個室に入院している少年のところです。


 白と若葉色の目に優しい壁の廊下を進むと、そこかしこに死神の姿が。

 私のように、担当する魂の様子を見に来ていたり、管理下に置かれていない新たな魂を探しに来ていたり。

 皆さん仕事熱心なようです。


 ――コンコン。


 開きっぱなしの引き戸をノックしても、反応がありませんでした。

 人間相手に遠慮することもないので、カーテンを捲ってベッドの脇へ。どうやら眠っているようですね。


 狭い病室の中には、いつ来ても絶えることのない鮮やかな切り花。そして退屈することがないようにと置かれた、小説やマンガの数々。


 そんな部屋の大半を占める大きなベッドに眠るのは、青白い顔、こけた頬、弱々しく震える小さな身体の少年。

 酸素マスクや、点滴、繋がれたカテーテルを見ると、人間だった頃の私にそっくりです。


 この子との出会いは1カ月前。小学校の校庭。

 死の香りに誘われて向かってみると、体育の授業中に倒れた様子でした。


 死に往く人間を見つければ、その魂を管理するのは死神の役目。

 最後の時を迎えるその日までこうして見守ってきましたが、それもあと10日。

 治療法が見つかっていない難病なので、無理もありません。


 そろそろ冥界へ連れていく日時を記入しようと、懐から手帳を取り出します。

 すると少年が目覚めて、クリっとした目を私に向けました。


「あっ、しにがみのおじちゃん……ぼく、もう死んじゃうの?」

「まだ死にませんよ。ですが、そろそろお迎えの日取りを決めないといけませんね」

「だったら、その前に学校に行きたい。おともだちとおわかれさせてよ」


 少年は幼いながらも、私の言葉の意味を理解したみたいです。

 不平等な死なのに、素直に受け入れられるとは恐れ入りますね。


「お友達とだけでいいのですか?」

「おとうさんやおかあさんも、それにおねえちゃんともおわかれするよ。いっぱいいっぱいいろんなことお話しして……でも……」

「でも?」

「ぼく……病気だからしかたないんでしょ? うぅっ……死にたくないよ……」


 病院のベッドから出ることもままならない、痩せ細った小学4年の男の子。

 命を落とすには少々早すぎるかもしれません。


 ふむ、この子に過去の思い出が重なって、同情心が沸いてしまったらしい。


「それなら私があなたの寿命を延ばしてあげましょう」

「えっ? そんなこと、できるの?」


 肩で大きく息をしながら、少年が目を見開いています。

 身体の痛みで顔を歪めていますが、私の言葉に興味津々なようです。


「私は死神ですからね。その程度のこと、造作もありません」

「ほんとう? しんじていいの……?」

「私の言葉が信じられませんか?」

「んーん、しんじるよ。じゃぁ、まってるね。しにがみのおじちゃん!」


 病室を後にする私を、少年は微かな笑みで見送ってくれました。


 少年と約束したものの、そのためには他人の寿命が必要です。

 さて、どうしましょうか。


「……ねぇ、ちょっとアレ……」

「……うわっ、死神さま!?」


 聞こえてますよ?

 私が顔を向けると、看護師たちが一目散に逃げだしてしまいました。


 この額に生えた一本角が恐ろしいのでしょうか。他の死神には、髪に隠れるほど小さかったり、羊のように愛くるしい巻角だったりする者もいるのですが。

 それとも、死神そのものを畏怖しているのか……。


 人間界では死神を、命を刈る者として恐れる者も多いようです。

 むやみに命を奪うほど暇ではないのですけどね。

 

「おや、死の香りが……。となれば仕事ですね……」


 さっそく5階の窓から身を乗り出して、勢い良く飛び降ります。

 人間ならひとたまりもないでしょうが、私はそのまま上空へ。


 察知した死の香りに向かって、身体を滑らせるように漂い進んでいきます。

 この先にあるのは、海に向かって切り立った断崖絶壁のはず。


 そこで死の香りとなれば、きっとアレでしょう。

 他の死神に先を越されないように、少し急ぎましょうか。


「やっぱり自殺志願者でしたか」


 青年が崖の突端に立って、ガタガタと身を震わせていますね。

 顔は深刻そうですが、行動が伴っていない。

 こうして死神の私が来てあげたというのに、なにをモタモタしているのやら。


 でもこれで、あの子に受け渡す寿命の算段がつきました。


「これは、たっぷりと寿命を残した良い命ですね……」


 それにしても、静かに死ねないものでしょうか。ブツブツと独り言など。

 しかも、一度出し掛けた足を引き戻したりして。早く飛び降りればいいのに。


 生き続けたいのに失われようとしている命。

 生き続けられるのに手放そうとしている命。

 私から見ればどちらもただの命ですが、ついつい病床の少年に肩入れしてしまう。


 自ら投げ出そうというのだから、この命を使わせてもらっても構いませんね。


『もう、生きる望みなんてどこにもないだろ。僕の人生はこれで終わりだ』


 ようやく覚悟が決まったようですね。

 それでは遠慮なく、その寿命を使わせていただくとしましょうか。


 自殺を決心したせいか精悍な顔つきですが、ひょろっとした貧弱な体格。

 みすぼらしい服装を整えるだけでも、もう少し格好良くなりそうなものを……。


 三ッみつざわ 海斗かいと


 読み取った彼の名前を、ポケットから取り出した手帳に書き記します。


 これでこの男の寿命の管理者は私に。

 あとは日時を書き足して、彼がこの世に留まれる時間を確定させるだけです。


『帰ろう。まだやり直せるさ……』


 目の前の彼が足を止めて、こちらに振り返りました。

 私の姿を見た彼は、目を見開いて大層ビックリしている様子です。


 それにしても、ここまで来て思い止まるとは……。


「三ッ沢 海斗くん。悪く思わないでくださいね」


 私は目の前の彼を、崖から突き落とした。

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