第3話 運命の出会い
取り返しのつかないことをしてしまった……。
ずぶ濡れの服に寒風が吹きつけて、歯がガチガチと音を立てるほど身体を震わす。
僕は膝を抱えて小さく丸まって、死神から突きつけられた現実を噛み締める。
「たった一週間じゃ、なんにもできないよ。せめて一か月! それだけあれば少しは――」
「残念。もうこの手帳に書き込んでしまった以上、あなたの余命は確定済みです。身辺整理の時間を差し上げただけでも感謝してもらいたいですね」
純粋な善行をしたような、死神の得意気な顔。
死神は黒い革の手帳を開くと、僕に向かって見せつける。
そこには僕の名前と、一週間後の日付が書かれていた。
「僕が何をしたって言うんだよ……」
「しましたよね? 自殺」
「思い止まったのに! 今だって、こうして生きてるのに……」
うつむいた目に映るのは、黄土色の岩肌だけ。
次々と滴る水滴が、地面に吸い込まれていく。
「母さんに……なんて言えばいいんだ……」
「正直に言えばいいじゃないですか。余命が一週間になったと」
「言えるわけないだろ、そんなこと……」
「言えないなら言わなくてもいいんじゃないですか? それでも、あなたが1週間後に死ぬことに変わりはありませんが」
『死ぬ』とハッキリ言われて、焦燥感が沸き立つ。
震えている身体がより一層激しく震えだした。
「とりあえずあなたが今やるべきことは、残された1週間をどう過ごすかじゃないんですか?」
死神に正論を言われて、僕は溢れ出す涙が止まらなくなった……。
◇
「はぁ…………」
日が傾き始めた公園のベンチで、僕は溜息ばかり。
生乾きの服からは潮の香りが漂っている。
もうすぐ母さんが仕事から帰って来る。
そうしたら、今日の出来事を打ち明けなきゃならない。
やっぱり出るのは溜息だけ。
なんて切り出したらいいのか、どうやって説明すればいいのか、アイデアは何一つ出てこなかった。
「いつまでこうしているつもりですか?」
隣に座っているのは死神。
これ見よがしに長い足を組み、背もたれに右腕を引っ掛けながら、偉そうにふんぞり返っている。
「おやおや、無視ですか」
人の寿命を奪った挙句、こうして付き纏われたらたまったもんじゃない。
母さんへの言い訳だって、全然考えつかないじゃないか!
「付いてくるなよ。もう、ほっといてくれ……」
「なんだか今のあなたは情緒不安定みたいですからね。投げ捨てる命をすぐに拾えるように、しばらく行動を共にさせてもらいます」
投げ捨てるもんか。これ以上寿命を縮められるか!
言い返したかったけど、今の僕にはそんな気力も残ってない。
なにしろこうしてる間にも、僕の寿命は刻一刻と削られているんだから。
「こうしているのも暇ですから、私に付き合ってもらえませんか?」
「暇じゃないよ! 母さんになんて言うか考えてるんだから!」
感情を露わにすると、死神はすっくと立ち上がった。
そして僕の正面に立って、頭上から冷酷な視線を突き刺す。
「あなたに拒む権利はありません。その命はもう私の物なんですから」
「わ、わかったよ……」
ゾクッと背筋が凍った僕は、素直に従うことしかできなかった……。
死神は行き先も告げずにスタスタと歩き出す。
まさか、このまま冥界へ連れて行かれるんじゃないだろうな?
人通りの多い商店街もお構いなしで、表情も涼しげなままの死神。
僕はうつむきながら、それに付き従う。
すれ違う人たちの同情的な眼差しが痛い。
「……ねぇ、あれって……」
「……だよね。うわぁ、可哀そうに……」
死神と行動を共にするっていうのはそういうこと。
こんなに注目されたのは、たった18年とはいえ生まれてこの方初めてだ。
太陽が沈み始めて、空が紫に染められていく。
吠える犬、建築中のマンション、少し寂れた商店街。
僕が生まれ育った街は、こんな感じだったっけ?
小学校の頃は買い物に付いていくたびに、お肉屋さんでコロッケを買ってもらったことを思い出す。
「着きましたよ」
「ん? 病院?」
「ええ、あなたに紹介する人物はここにいます」
街で一番大きな総合病院。県内でも名医揃いと評判で、遠くから受診に来る人も少なくない。
正門から堂々と入った死神は、周囲の白い目を物ともせずに闊歩する。
病院に死神。
最悪の取り合わせ。
後ろを歩く僕の方が、なんだか申し訳ない気分だ。
「面会の方は……って、死神様!」
「通らせていただいて構いませんよね?」
「どうぞどうぞ。そちらは、お連れ様でしょうか?」
「彼も一緒にいいですよね?」
「もちろんです」
死神に
受付でもそんな風に見られるんだな……。
廊下を進むと角、角、角。
看護師さんたちはうつむきながら、死神と目を合わせないようにスッと道を開く。
そんな中を、死神は当然のように突き進んでいく。
「ここです」
死神に案内されたのは個室。ドアには『面会謝絶』の札まで下がっている。
それなのに死神は形式的にノックをすると、中へと入っていった。
「何をしてるんです? 早くいらっしゃい」
「お、お邪魔します」
赤の他人なのに、こんなところに入っていいのか?
僕は後ろめたさを感じながら、病室へと足を踏み入れる。
すぐ隣にあるナースセンターから向けられる、看護師さんたちの視線が痛い。
「どうやら眠っているようですね。強い薬の影響で、この子は毎日大半の時間を寝て過ごしてるんです」
個室のベッドに横たわっていたのは、おびただしい線につながれた幼い少年。
医療機器に囲まれる中で、静かに目を閉じている。
「実は彼、もうすぐ死ぬんです。もちろん、本人には詳しく話してませんが」
「えっ!?」
この状況でこんな紹介のされ方をすれば、鈍感な僕にだってすぐわかる。
だけど恐る恐る尋ねてみた。
「もうすぐって……あとどれぐらい?」
「彼の余命はあと10日です」
「それって、やっぱり……」
「お察しの通り、あなたの余命はこの子に分け与えられます」
悪びれもせず、サラリと軽い口調の死神。
人の命を車のガソリンみたいに……。
それでも死神の行動には抗えない。
それがこの世の
「良かったですね。最後の最後にこんな素晴らしい人助けができて。きっとこの子も大喜びで、あなたに感謝することでしょう」
満足そうに笑みを浮かべる死神。
中学、高校では阿久津にいじめられ続けて、やっと卒業したと思ったら死神。
僕の人生は常に他人に踏み荒らされて、自分でも自分が哀れに思えてくる。
「くそっ……僕の命なのに……」
「おや? 今、『僕の命』とおっしゃいましたか? これは笑わせてくださる」
「だって、そうじゃないか。僕の大事な命を、勝手に人に与えるなんて……」
死神の漆黒の瞳が不気味に輝いた。
笑顔だった表情を引き締め、冷淡な口調で僕に詰め寄る。
「その大切な命を、あなたが手放したんじゃありませんか。私はそれを正しく使ってあげているだけのこと。地面を平らにならしているに過ぎません」
「…………」
自殺を企てた後ろめたさと、死神の威圧感で何も言えなくなる。
「これ以上病室で長話もご迷惑でしょうから、私たちは帰るとしましょうか」
「はい」
結局死神の言いなりになっている自分がたまらなく嫌になった。
それにしても、この後どうしよう。
家に帰れば母さんと顔を合わせなきゃならないし、かといって死ぬつもりだったから持ち合わせもない。
僕は溜息をつきながら途方に暮れた……。
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