第3話 運命の出会い

 取り返しのつかないことをしてしまった……。


 ずぶ濡れの服に寒風が吹きつけて、歯がガチガチと音を立てるほど身体を震わす。

 僕は膝を抱えて小さく丸まって、死神から突きつけられた現実を噛み締める。


「たった一週間じゃ、なんにもできないよ。せめて一か月! それだけあれば少しは――」

「残念。もうこの手帳に書き込んでしまった以上、あなたの余命は確定済みです。身辺整理の時間を差し上げただけでも感謝してもらいたいですね」


 純粋な善行をしたような、死神の得意気な顔。


 死神は黒い革の手帳を開くと、僕に向かって見せつける。

 そこには僕の名前と、一週間後の日付が書かれていた。


「僕が何をしたって言うんだよ……」

「しましたよね? 自殺」

「思い止まったのに! 今だって、こうして生きてるのに……」


 うつむいた目に映るのは、黄土色の岩肌だけ。

 次々と滴る水滴が、地面に吸い込まれていく。


「母さんに……なんて言えばいいんだ……」

「正直に言えばいいじゃないですか。余命が一週間になったと」

「言えるわけないだろ、そんなこと……」

「言えないなら言わなくてもいいんじゃないですか? それでも、あなたが1週間後に死ぬことに変わりはありませんが」


 『死ぬ』とハッキリ言われて、焦燥感が沸き立つ。

 震えている身体がより一層激しく震えだした。


「とりあえずあなたが今やるべきことは、残された1週間をどう過ごすかじゃないんですか?」


 死神に正論を言われて、僕は溢れ出す涙が止まらなくなった……。



「はぁ…………」


 日が傾き始めた公園のベンチで、僕は溜息ばかり。

 生乾きの服からは潮の香りが漂っている。


 もうすぐ母さんが仕事から帰って来る。

 そうしたら、今日の出来事を打ち明けなきゃならない。


 やっぱり出るのは溜息だけ。

 なんて切り出したらいいのか、どうやって説明すればいいのか、アイデアは何一つ出てこなかった。


「いつまでこうしているつもりですか?」


 隣に座っているのは死神。

 これ見よがしに長い足を組み、背もたれに右腕を引っ掛けながら、偉そうにふんぞり返っている。


「おやおや、無視ですか」


 人の寿命を奪った挙句、こうして付き纏われたらたまったもんじゃない。

 母さんへの言い訳だって、全然考えつかないじゃないか!


「付いてくるなよ。もう、ほっといてくれ……」

「なんだか今のあなたは情緒不安定みたいですからね。投げ捨てる命をすぐに拾えるように、しばらく行動を共にさせてもらいます」


 投げ捨てるもんか。これ以上寿命を縮められるか!


 言い返したかったけど、今の僕にはそんな気力も残ってない。

 なにしろこうしてる間にも、僕の寿命は刻一刻と削られているんだから。


「こうしているのも暇ですから、私に付き合ってもらえませんか?」

「暇じゃないよ! 母さんになんて言うか考えてるんだから!」


 感情を露わにすると、死神はすっくと立ち上がった。

 そして僕の正面に立って、頭上から冷酷な視線を突き刺す。


「あなたに拒む権利はありません。その命はもう私の物なんですから」

「わ、わかったよ……」


 ゾクッと背筋が凍った僕は、素直に従うことしかできなかった……。


 死神は行き先も告げずにスタスタと歩き出す。

 まさか、このまま冥界へ連れて行かれるんじゃないだろうな?


 人通りの多い商店街もお構いなしで、表情も涼しげなままの死神。

 僕はうつむきながら、それに付き従う。


 すれ違う人たちの同情的な眼差しが痛い。


「……ねぇ、あれって……」

「……だよね。うわぁ、可哀そうに……」


 死神と行動を共にするっていうのはそういうこと。

 こんなに注目されたのは、たった18年とはいえ生まれてこの方初めてだ。


 太陽が沈み始めて、空が紫に染められていく。

 吠える犬、建築中のマンション、少し寂れた商店街。

 僕が生まれ育った街は、こんな感じだったっけ?


 小学校の頃は買い物に付いていくたびに、お肉屋さんでコロッケを買ってもらったことを思い出す。


「着きましたよ」

「ん? 病院?」

「ええ、あなたに紹介する人物はここにいます」


 街で一番大きな総合病院。県内でも名医揃いと評判で、遠くから受診に来る人も少なくない。

 正門から堂々と入った死神は、周囲の白い目を物ともせずに闊歩する。


 病院に死神。

 最悪の取り合わせ。

 後ろを歩く僕の方が、なんだか申し訳ない気分だ。


「面会の方は……って、死神様!」

「通らせていただいて構いませんよね?」

「どうぞどうぞ。そちらは、お連れ様でしょうか?」

「彼も一緒にいいですよね?」

「もちろんです」


 死神にかしこまりながらも、僕に向ける視線はあわれみの目。

 受付でもそんな風に見られるんだな……。


 廊下を進むと角、角、角。


 看護師さんたちはうつむきながら、死神と目を合わせないようにスッと道を開く。

 そんな中を、死神は当然のように突き進んでいく。


「ここです」


 死神に案内されたのは個室。ドアには『面会謝絶』の札まで下がっている。

 それなのに死神は形式的にノックをすると、中へと入っていった。


「何をしてるんです? 早くいらっしゃい」

「お、お邪魔します」


 赤の他人なのに、こんなところに入っていいのか?

 僕は後ろめたさを感じながら、病室へと足を踏み入れる。


 すぐ隣にあるナースセンターから向けられる、看護師さんたちの視線が痛い。

 

「どうやら眠っているようですね。強い薬の影響で、この子は毎日大半の時間を寝て過ごしてるんです」


 個室のベッドに横たわっていたのは、おびただしい線につながれた幼い少年。

 医療機器に囲まれる中で、静かに目を閉じている。


「実は彼、もうすぐ死ぬんです。もちろん、本人には詳しく話してませんが」

「えっ!?」


 この状況でこんな紹介のされ方をすれば、鈍感な僕にだってすぐわかる。

 だけど恐る恐る尋ねてみた。


「もうすぐって……あとどれぐらい?」

「彼の余命はあと10日です」

「それって、やっぱり……」

「お察しの通り、あなたの余命はこの子に分け与えられます」


 悪びれもせず、サラリと軽い口調の死神。

 人の命を車のガソリンみたいに……。

 それでも死神の行動には抗えない。


 それがこの世のことわりだから。


「良かったですね。最後の最後にこんな素晴らしい人助けができて。きっとこの子も大喜びで、あなたに感謝することでしょう」


 満足そうに笑みを浮かべる死神。


 中学、高校では阿久津にいじめられ続けて、やっと卒業したと思ったら死神。

 僕の人生は常に他人に踏み荒らされて、自分でも自分が哀れに思えてくる。


「くそっ……僕の命なのに……」

「おや? 今、『僕の命』とおっしゃいましたか? これは笑わせてくださる」

「だって、そうじゃないか。僕の大事な命を、勝手に人に与えるなんて……」


 死神の漆黒の瞳が不気味に輝いた。

 笑顔だった表情を引き締め、冷淡な口調で僕に詰め寄る。


「その大切な命を、あなたが手放したんじゃありませんか。私はそれを正しく使ってあげているだけのこと。地面を平らにならしているに過ぎません」

「…………」


 自殺を企てた後ろめたさと、死神の威圧感で何も言えなくなる。


「これ以上病室で長話もご迷惑でしょうから、私たちは帰るとしましょうか」

「はい」


 結局死神の言いなりになっている自分がたまらなく嫌になった。


 それにしても、この後どうしよう。

 家に帰れば母さんと顔を合わせなきゃならないし、かといって死ぬつもりだったから持ち合わせもない。


 僕は溜息をつきながら途方に暮れた……。

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