第4話 1日目の終わりに

(side 死神)


 病院を出たと思ったら、また公園ですか。

 この青年は、いったい何をしたいんでしょう。溜息ばかりついて。


 そこまでこの公園が好きってわけでもないでしょうに。

 

「家に帰らないんですか?」

「…………」

「また無言ですか。そこまで思い詰めるなら、いっそのこと死んだらどうです?」

「だから、自殺はもうしないってば!」


 人間というのは、面倒臭い生き物ですね。

 いや、主語が大きすぎました。私にはこの青年がどうしたいのかわかりません。


 まだ春も浅くて寒いせいか、虫がいないのがせめてもの救い。

 あれも人間並みに疎ましいですからね。


 それにしてもです。


 こんな退屈な夜の公園で、溜息ばかりの人間と居ても面白くもなんともない。

 かといってほったらかしにして、夜中にむくろになって転がられても、魂を管理している私の沽券にかかわる。


 仕方がありません。場所を移しましょうか。

 私もシャワーでも浴びて、サッパリしたいですし。


「このままじゃ埒が明きません。私に付いて来てください」

「僕のことはほっといてくれ。今は何もしたくないんだよ」


 人間のこの程度の言動、普段の私ならなんとも思わないはずなんですが……。

 なぜでしょう、この青年を見ているとイライラしてしまいます。


「立ちなさい。そして私に付いて来なさい」

「はっ、はい」


 大型犬に吠えられた子犬のように、潤んだ瞳で身体を震わせ始めました。

 人間はそうでなくては。


 私は彼を連れて、駅の近くにあるシティホテルへ行くことにしました。



 高い天井にはシャンデリア。ロビーのソファーも悪くない座り心地。

 スタッフたちもキビキビ動いているようですし、悪くないホテルですね。


「し、死神様でいらっしゃいますか。お部屋をご所望で?」

「二名利用で一泊お願いできますか? 普通の部屋で結構ですよ」

「かっ、かしこまりました。早急にご用意させていただきます」


 フロントで部屋を用意してもらい、ベルボーイに案内してもらいます。


 例の彼は落ち着かない様子で、あっちを見たり、こっちを見たり。

 あんなにソワソワして、ホテルがそんなに珍しいのでしょうか。


「どうかしたんですか?」

「ホテルなんて初めてだから、どうすればいいのか……」

「わからないのに格好をつけてどうするんですか。あなたは黙って私に付いてくればいいのです」


 案内された部屋は最上階。

 ベルボーイがドアを開くと、夜景が一望できる素晴らしい眺めです。


 普通の部屋でいいと言ったのに、この部屋はスイートルームですか。

 どうやら私に気を使ってくれたようですね。


「うわっ、なんだ、この部屋! こんな景色、見たことないや」


 まったく騒々しい。

 大きなガラス窓に、カエルのようにへばりついて。


 相手をするのも馬鹿らしいので、さっそくシャワーを浴びるとしましょう……。



「凄い、このベッド、気持ち良く眠れそう。うほぉっ、なんだこの枕、柔らかすぎ」


 まだやってたんですね。

 私がシャワーを浴びている間中、ずっとこんな感じだったんでしょうか。


 彼はベッドの上で身体を弾ませてみたり、羽根枕に顔を埋めてみたりとはしゃいでいる様子。

 さっきまで『今は何もしたくない』なんて言ってたくせに、現金なものです。


「あなたもシャワーを浴びてきたらいかがですか? 目の前でそうしていられると、いささか煩わしいです」

「シャワー、使っていいの?」

「使っていいから勧めたのです。あまり私を苛立たせないでいただきたい」

「わ、わかった」


 やれやれ、やっと行きましたか。これで少しは落ち着けそうです。

 私はコートに忍ばせている文庫本を取り出して、のんびりと読書でも――。


「このシャワー、お湯ってどうやって出すんだ?」

「お湯が出せないのなら、水浴びでもすればいいでしょう!」


 ここまで感情を昂らせたのは、どれぐらいぶりでしょうか。

 人間風情が腹立たしい!


 いっそのこと、今すぐに命を刈ってしまいましょうか。


 いやいや、それは低俗な人間と同じ発想。そんな衝動で命を奪ったら、私も同じレベルに落ちぶれた気持ちになってしまう。

 それに一度与えた猶予を感情的に取り上げるなど、私の美学に反します。


 ここは落ち着いて、読書で気持ちを鎮めるとしましょう……。


「ふむ、読書はいいですね、気持ちが安らぎます。それに人間の色々な感情を知ることは、死神から見ても実に興味深い……」


 おや、彼がシャワーから戻ってきたようです。

 バスローブを着て、身体から湯気を立ち昇らせているところを見ると、どうやらお湯も出せたらしい。


 まったく人騒がせな……。


 ――ぐぅ~……。


 今度はなんとも情けない音が、室内に響き渡りました。

 しかも一度では収まらず、繰り返し鳴り続く。これは彼のお腹の音でしょうか。


「耳障りです。その音を止めなさい」

「そんなこと言われても、朝から何も食べてないから……」

「そこにルームサービスのメニューがあるでしょう。フロントに電話をすれば、なんでも好きなものを持ってきてくれます」

「えっ、注文していいの?」


 まったく、彼といると調子が狂います。


 写真入りのルームサービスメニューを見て、目を輝かせている彼。

 ついさっきまで公園で頭を抱えていたのと、本当に同じ人物なのでしょうか?


「えーっと、死神様は、何にする?」

「何に、とは?」

「食事だよ。お腹とか空いてないの?」


 これだけ身近な存在なのに、私たちの生態はあまり知られていないみたいですね。


「それではいただきましょうか。あなたの寿命を」

「えっ? ちょ、ちょっと待って。冗談……だよね? 僕なんて食べても、美味しくないよ?」

「冗談ですよ。死神は食事をしませんので、あなたが食べる分だけ頼みなさい」

「なんだよ、冗談かよ……。ホントに食べられちゃうかと思ったよ……」


 冗談も通じないとは……。

 しかも、私がいただくと言ったのは寿命であって、身体ではないのに。

 頭からボリボリと掻き食らうとでも思ったのでしょうか、まったくおぞましい。


 しばらくして届けられたルームサービスを、貪るように食す彼。


 ビーフシチューにローストビーフにビーフステーキ。さらに寿司まで。

 確かに好きな物をとは言いましたが、遠慮というものを知らない。


 それにしても、目を輝かせてまるで幼い子供のようです。


「こんなに贅沢していいのかな……。なんだこれ、すごく美味い!」

「まったく……騒音を撒き散らして鬱陶しかったから食事を許したのに、もう少し静かに食べられないものですかね?」

「だって、こんなにおいしい料理に囲まれるなんて、夢みたいで」


 憎む相手からの施しを、恨み言を放ったその口で頬張るなんて、彼にプライドはないのでしょうか?

 まったくもって、よくわからない人物です。


 ん? なんだか、おとなしくなりましたね。


「…………むにゃ……」


 はしゃぐだけはしゃいで寝てしまったようです。

 本当に身勝手な人ですね。


 ですが、これでやっと静かになりました。

 死神は寝る必要がないので、さっきの本の続きでも読むことにしますか。


「おや?」


 寝返りを打った彼のバスローブがはだけて、内ももが覗いています。

 肉付きの悪い細い脚は、生白くてとても不健康そう。


 そこに、茶色く変色したあざを見つけました。


「おや、ここにも」


 気になった私は彼の腰紐をほどいて、前面を広げます。

 そこにあったのは、大小さまざまな傷痕の数々。


 切り傷、刺し傷、内出血に火傷の痕。


 私は傷痕に手を当てて、それが出来た時の様子を読み取ります。

 痕跡を遡って当時を再現して見るのは、死神にとっては造作もないこと。


「なるほど、これがイジメというものですか」


 毎日のように殴る蹴る。しかも外見からは見えない場所ばかりに狙いを定めて。

 よくもまぁ、同じ種族にこんなに残酷なことができるものです。


 そしてこの主犯格の人物は、狡猾で見るに堪えませんね。


 一つずつ手を当てて全ての傷痕を確認すると、彼のバスローブを元に戻しました。


 「なるほど、そんなことがあったんですか。人間も色々と大変ですね……」

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