第4話 1日目の終わりに
(side 死神)
病院を出たと思ったら、また公園ですか。
この青年は、いったい何をしたいんでしょう。溜息ばかりついて。
そこまでこの公園が好きってわけでもないでしょうに。
「家に帰らないんですか?」
「…………」
「また無言ですか。そこまで思い詰めるなら、いっそのこと死んだらどうです?」
「だから、自殺はもうしないってば!」
人間というのは、面倒臭い生き物ですね。
いや、主語が大きすぎました。私にはこの青年がどうしたいのかわかりません。
まだ春も浅くて寒いせいか、虫がいないのがせめてもの救い。
あれも人間並みに疎ましいですからね。
それにしてもです。
こんな退屈な夜の公園で、溜息ばかりの人間と居ても面白くもなんともない。
かといってほったらかしにして、夜中に
仕方がありません。場所を移しましょうか。
私もシャワーでも浴びて、サッパリしたいですし。
「このままじゃ埒が明きません。私に付いて来てください」
「僕のことはほっといてくれ。今は何もしたくないんだよ」
人間のこの程度の言動、普段の私ならなんとも思わないはずなんですが……。
なぜでしょう、この青年を見ているとイライラしてしまいます。
「立ちなさい。そして私に付いて来なさい」
「はっ、はい」
大型犬に吠えられた子犬のように、潤んだ瞳で身体を震わせ始めました。
人間はそうでなくては。
私は彼を連れて、駅の近くにあるシティホテルへ行くことにしました。
◇
高い天井にはシャンデリア。ロビーのソファーも悪くない座り心地。
スタッフたちもキビキビ動いているようですし、悪くないホテルですね。
「し、死神様でいらっしゃいますか。お部屋をご所望で?」
「二名利用で一泊お願いできますか? 普通の部屋で結構ですよ」
「かっ、かしこまりました。早急にご用意させていただきます」
フロントで部屋を用意してもらい、ベルボーイに案内してもらいます。
例の彼は落ち着かない様子で、あっちを見たり、こっちを見たり。
あんなにソワソワして、ホテルがそんなに珍しいのでしょうか。
「どうかしたんですか?」
「ホテルなんて初めてだから、どうすればいいのか……」
「わからないのに格好をつけてどうするんですか。あなたは黙って私に付いてくればいいのです」
案内された部屋は最上階。
ベルボーイがドアを開くと、夜景が一望できる素晴らしい眺めです。
普通の部屋でいいと言ったのに、この部屋はスイートルームですか。
どうやら私に気を使ってくれたようですね。
「うわっ、なんだ、この部屋! こんな景色、見たことないや」
まったく騒々しい。
大きなガラス窓に、カエルのようにへばりついて。
相手をするのも馬鹿らしいので、さっそくシャワーを浴びるとしましょう……。
「凄い、このベッド、気持ち良く眠れそう。うほぉっ、なんだこの枕、柔らかすぎ」
まだやってたんですね。
私がシャワーを浴びている間中、ずっとこんな感じだったんでしょうか。
彼はベッドの上で身体を弾ませてみたり、羽根枕に顔を埋めてみたりとはしゃいでいる様子。
さっきまで『今は何もしたくない』なんて言ってたくせに、現金なものです。
「あなたもシャワーを浴びてきたらいかがですか? 目の前でそうしていられると、いささか煩わしいです」
「シャワー、使っていいの?」
「使っていいから勧めたのです。あまり私を苛立たせないでいただきたい」
「わ、わかった」
やれやれ、やっと行きましたか。これで少しは落ち着けそうです。
私はコートに忍ばせている文庫本を取り出して、のんびりと読書でも――。
「このシャワー、お湯ってどうやって出すんだ?」
「お湯が出せないのなら、水浴びでもすればいいでしょう!」
ここまで感情を昂らせたのは、どれぐらいぶりでしょうか。
人間風情が腹立たしい!
いっそのこと、今すぐに命を刈ってしまいましょうか。
いやいや、それは低俗な人間と同じ発想。そんな衝動で命を奪ったら、私も同じレベルに落ちぶれた気持ちになってしまう。
それに一度与えた猶予を感情的に取り上げるなど、私の美学に反します。
ここは落ち着いて、読書で気持ちを鎮めるとしましょう……。
「ふむ、読書はいいですね、気持ちが安らぎます。それに人間の色々な感情を知ることは、死神から見ても実に興味深い……」
おや、彼がシャワーから戻ってきたようです。
バスローブを着て、身体から湯気を立ち昇らせているところを見ると、どうやらお湯も出せたらしい。
まったく人騒がせな……。
――ぐぅ~……。
今度はなんとも情けない音が、室内に響き渡りました。
しかも一度では収まらず、繰り返し鳴り続く。これは彼のお腹の音でしょうか。
「耳障りです。その音を止めなさい」
「そんなこと言われても、朝から何も食べてないから……」
「そこにルームサービスのメニューがあるでしょう。フロントに電話をすれば、なんでも好きなものを持ってきてくれます」
「えっ、注文していいの?」
まったく、彼といると調子が狂います。
写真入りのルームサービスメニューを見て、目を輝かせている彼。
ついさっきまで公園で頭を抱えていたのと、本当に同じ人物なのでしょうか?
「えーっと、死神様は、何にする?」
「何に、とは?」
「食事だよ。お腹とか空いてないの?」
これだけ身近な存在なのに、私たちの生態はあまり知られていないみたいですね。
「それではいただきましょうか。あなたの寿命を」
「えっ? ちょ、ちょっと待って。冗談……だよね? 僕なんて食べても、美味しくないよ?」
「冗談ですよ。死神は食事をしませんので、あなたが食べる分だけ頼みなさい」
「なんだよ、冗談かよ……。ホントに食べられちゃうかと思ったよ……」
冗談も通じないとは……。
しかも、私がいただくと言ったのは寿命であって、身体ではないのに。
頭からボリボリと掻き食らうとでも思ったのでしょうか、まったくおぞましい。
しばらくして届けられたルームサービスを、貪るように食す彼。
ビーフシチューにローストビーフにビーフステーキ。さらに寿司まで。
確かに好きな物をとは言いましたが、遠慮というものを知らない。
それにしても、目を輝かせてまるで幼い子供のようです。
「こんなに贅沢していいのかな……。なんだこれ、すごく美味い!」
「まったく……騒音を撒き散らして鬱陶しかったから食事を許したのに、もう少し静かに食べられないものですかね?」
「だって、こんなにおいしい料理に囲まれるなんて、夢みたいで」
憎む相手からの施しを、恨み言を放ったその口で頬張るなんて、彼にプライドはないのでしょうか?
まったくもって、よくわからない人物です。
ん? なんだか、おとなしくなりましたね。
「…………むにゃ……」
はしゃぐだけはしゃいで寝てしまったようです。
本当に身勝手な人ですね。
ですが、これでやっと静かになりました。
死神は寝る必要がないので、さっきの本の続きでも読むことにしますか。
「おや?」
寝返りを打った彼のバスローブがはだけて、内ももが覗いています。
肉付きの悪い細い脚は、生白くてとても不健康そう。
そこに、茶色く変色した
「おや、ここにも」
気になった私は彼の腰紐をほどいて、前面を広げます。
そこにあったのは、大小さまざまな傷痕の数々。
切り傷、刺し傷、内出血に火傷の痕。
私は傷痕に手を当てて、それが出来た時の様子を読み取ります。
痕跡を遡って当時を再現して見るのは、死神にとっては造作もないこと。
「なるほど、これがイジメというものですか」
毎日のように殴る蹴る。しかも外見からは見えない場所ばかりに狙いを定めて。
よくもまぁ、同じ種族にこんなに残酷なことができるものです。
そしてこの主犯格の人物は、狡猾で見るに堪えませんね。
一つずつ手を当てて全ての傷痕を確認すると、彼のバスローブを元に戻しました。
「なるほど、そんなことがあったんですか。人間も色々と大変ですね……」
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