第5話 2日目 帰宅-前編
フカフカのベッドで一晩寝たら、ちょっとスッキリした。
単に時間が経過して、昨日の衝撃が薄れただけかもしれないけど……。
「これから家に帰るよ。寿命が1週間になったってハッキリと母さんに言う」
この時間なら母さんの出勤前に帰り着けるはず。
帰宅の準備を済ませた僕は、とっくに身なりの整っている死神に頭を下げた。
「決心がついた、というわけですか」
「昨夜はその……ちょっとはしゃぎすぎた。セレブになったみたいで、テンションが上がってたんだ」
「あの程度でセレブ気分を味わえるなんて、海斗くんは安上がりでいいですね」
昨夜のあれはセレブとは言わないのか……。
最後にスイートルームをひと眺めして、街を見下ろす眺望にも別れを告げる。
重厚なドアを押し開いておとぎの国から廊下へ出ると、死神も一緒に扉をすり抜けてきた。
「ちょ、なんで付いてくるんだよ」
「私も付き添うからに決まってるじゃありませんか」
「やめろよ! 付いてくんな」
死神を連れて帰ったら、母さんに一発でバレてしまう。
でもその方が、言葉で説明するより早いか?
なんだか混乱してきた。
「あなたに拒否権はないと、何度も言っているでしょう? あなたが何と言おうと、私は付いていきますよ。面白そうなので」
死神が薄笑いを浮かべる。
そうだった、僕の言葉なんて言うだけ無駄だった。
フカフカの絨毯が敷かれたホテルの廊下を踏みしめながら、僕は死神と一緒に家に向かうしか選択肢はなかった……。
◇
朽ちかけたボロいアパートに帰り着くと、一気に現実に引き戻される。
表面の加工がところどころ剥げている玄関ドアの前に立ったら、緊張で身動きが取れなくなった。
「決心がついたんじゃなかったんですか?」
「……うるさい。黙ってろ……」
死神にはコッソリ言い返したものの、ドアノブに手を伸ばしては引っ込める。
僕がちっとも踏ん切りをつけられずにいると、背後から死神に突き飛ばされた。
――ドンッ!
ドアに身体を思い切り打ち付ける。
「おい! なにすんだよ!」
「決断できないあなたのために、後押しをさせていただいたのですが何か?」
死神に憤りをぶつけていると、背後のドアが不意に開いた。
「海斗、帰ってきたの? あなた様は!!!」
死神のせいで……というかお陰で、僕が今置かれている状況が一瞬で説明できた。
「ただい、ま」
恐る恐る呼びかけたものの、母さんは死神を見つめたまま愕然としている。
そして「そんな……」と一言だけ漏らして、足をふらつかせながら奥へと引っ込んでしまった。
声を掛ける相手を失った僕も、気まずい気分で家に上がった。
「…………」
「…………」
「…………」
会話もなく、居間のちゃぶ台を囲んでいる三人。
母さんが無言で淹れた三杯のお茶も、誰一人手を付けていない。
『何があったの?』とか、『どうして死神が』とか聞いてくれれば『実は……』と答えられるのに、母さんはうつむいて黙っている。
僕も正座で膝を掴んだまま、何度も口を開きかけては言葉を呑み込む。
何かきっかけを作ってくれないかと目を向けても、死神は薄笑いを浮かべるだけ。
沈黙の時間が、ただただゆっくりと過ぎていく。
母さんはずっと目を瞑ったまま。
時々大きく息を吸うので怒鳴られるのかと身をすくめるけれど、結局大きく静かに吐き出すだけ。
そんな二人を見ては、再び足元に視線を落とす。
その繰り返し。
何一つ状況は変わらない。
そんな中、母さんが立ち上がった。
これで少しは状況が好転するかも……。
「母さん、仕事の時間だから……」
そう言って背中を向けると、一度も振り返らないまま母さんは出て行った……。
◇
結局何も言えなかった……。
ホッとしちゃいけないんだけど、緊張から解き放たれて脱力する。
「何がしたかったんですか?」
「言わなくてもわかるだろ? 勇気が出なくて、何も言えなかったんだよ」
面白い見世物でも見物していたように、死神は蔑み笑いをしている。
そして僕は、いつも通りの自己嫌悪で自分が嫌になる。
家に死神を連れて帰ったら、母さんはきっと泣くか怒ると思ってた。
実際は沈黙。
その予想外の行動が、今度は僕を不安にさせる。
まさか、愛想尽かされたわけじゃないよね……?
「この狭い家ともお別れか……」
見回せば想い出が詰まった家。というか、思い出しかない家。
壁に書いた落書きの跡や、ベタベタとシールが貼られたままの冷蔵庫。
襖に開いた穴にも覚えがあるし、ヒビが入った鏡も僕のせいだ。
毎日布団を敷く生活が格好悪く感じて、ベッドをねだったこともある。
自分の部屋を欲しがったことも……。
思い出に浸っている内に、気が付けばもうお昼。
お腹が空いてきたので、何かないかと冷蔵庫を開ける。
「うっ……母さん」
そこにあったのは、ラップが掛けられていたトンカツ。
フッと、自殺を図った前夜の会話を思い出した。
「ここのところ元気がないけど大丈夫なの?」
「大丈夫、大丈夫」
「ならいいけど……元気出しなさいね」
やっぱり母さんは、いつも僕のことを考えてくれてた。
それなのに昨夜の僕は、連絡もせずに……。
電子レンジで温めて、僕はトンカツに
いつもみたいにソースをたっぷり掛けて。
「母さん……」
母さんが仕事から帰ってきたら、今度こそちゃんと話そう。
絶対にもう迷わない。母さんに今までの感謝の気持ちを伝えるんだ!
母さんのトンカツは、昨夜のルームサービスよりもずっと美味しかった……。
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