第16話 4日目 お見舞い

 八神が歩けるぐらいに回復したので、僕の命を受け渡す少年のところへ連れて行ってもらうことにした。


 あの個室は面会謝絶。死神の威光がなければ、普通は入れない。


「どうして少年に会いたいなんて言い出したんです?」

「気持ちに決着をつけるためかな? でも、実際に会ったらどうなるかはわかんないけど」

「ですが、少年は薬の影響で眠っているかもしれませんよ?」

「それでもいいんだよ。僕自身の気持ちの問題だから」


 大通りに出ると、八神がタクシーに向かって手を挙げた。

 一度は通り過ぎかけたものの、耳に突き刺さる音を立てて急ブレーキがかかる。


「どちらまで?」

「総合病院まで」


 八神がタクシーを使うなんて、やっぱりまだ体力は回復してないのかもしれない。

 病院に行きたいなんて無理を言って、悪いことしたかな。


「桜が咲きそうですね」

「そうだね。だけど僕は、咲くところは見られそうもないかな」


 街路樹として植わっている桜の枝を見ながら、僕はちょっと寂しい気分になった。

 あと3日なんだな……。


 病院の正面玄関に横付けされたタクシーから降りた八神は、相変わらずのフリーパスで受付を通り抜ける。

 そして今日も面会謝絶の札もお構いなしに、少年の個室へと入っていく。


「さぁ、お入りなさい」

「お前が担当医みたいだな」


 薬臭い狭い部屋。一面の白い壁とクリーム色のカーテン。

 ベッドに横たわっている瘦せ細った少年は、たくさんの医療機器に囲まれながら、目を瞑って静かに寝息をたてていた。


 酸素マスクを着けた口に窪んだ頬。

 その青白い顔は、前回に見た時よりもさらに衰弱して見える。


「やっぱり眠っているようですね。無駄足でしたか」

「いや、無駄足じゃない。ちょっと黙っててもらえるか?」


 僕は少年の隣にあった椅子に腰かけて、ジッとその横顔を見つめた。


 正直言うと、まだ完全には割り切れてない。

 僕の命が受け渡されると思うと、まだ複雑な感情がくすぶっている。


 悲嘆や嫉妬心、どうして僕がという理不尽な思い。

 だけど今日は、それを捨てるためにここに来たんだ。


「八神。この子の名前、なんていうんだっけ?」

「この子は、末崎まつざき 風雅ふうがくんですね」

「そっか、ありがと」


 最初にここへ来たのは余命宣告をされた直後。

 あの時は心がいっぱいいっぱいで、悲観に暮れるばっかりだった。


 こうして懸命に生きている少年の姿を見つめる余裕もなかったな。


「八神が寿命を延ばそうって思ったんなら、きっといい子なんだろうな」

「ええ、病気の苦しみにもジッと耐えて、家族の前じゃ強がって見せるほど健気な子ですよ。思わず私が同情してしまったほどにね」


 当時思ったのは、死神に命をもてあそばれたという思い。

 僕の命なのに、勝手に他人にあげるなんて許せなかった。


 だけど今は八神が選んだんだから、きっと大丈夫。そんな気がする。


「風雅くんは寿命が延びるって言われて、なんか言ってたか?」

「元気になったら学校に行って友達と遊びたいって言ってましたよ。それから今まで迷惑をかけた分、家族にも恩返しがしたいともね」

「そうか、親孝行なんだね、風雅くんは」


 僕も親孝行はもっとしたい。まだまだ全然し足りない。

 だけどその思いは、この子に託そう。


 ほんのちょっとだけど、僕は母さんに恩を返せたから。

 それにあと3日だけど、まだ親孝行ができるから。


 今は眠り続ける風雅くんを見て、元気になって欲しいと心の底から思う。

 これからは、自分のやりたいことをいっぱいしてもらいたいと。


「風雅くん。僕の命、大切に使ってくれよな」


 風雅くんの表情がほころんだ気がする。たぶん気のせいだけど。

 この子のために僕の命が使われるならそれでいい。


 やっぱり会いに来て良かった……。



 病室を出た僕と八神は帰途に就く。

 そう言えば、帰りに買い物を頼まれてたっけな。


「おや、海斗くん。なんだかいい笑顔をしてますね?」

「八神、風雅くんに会わせてくれてありがとう」

「お礼を言われる筋合いはありませんね。それにしても、いつもなら姉がお見舞いに来てもいい時刻だったのに、とうとう現れませんでしたね」


 期待してなかったといえば噓になる。

 今度彼女に会えたら、思いを伝えておこうと思っているから。


 だけど今日はまだ、その時じゃなかったらしい。


「それでは私はホテルで傷を癒すとしましょう」

「ゆっくり休んで早く良くなってくれよ。僕の寿命を受け渡すって大役があるんだからな」

「相変わらずおかしな人ですね。そんなに嬉しそうに命を差し出すなんて」


 いつもなら空に舞い上がる八神なのに、歩いて別れるのはなんだか新鮮。

 こうしてみると、なんだか八神が死神に思えなくなってくる。


 頼まれた晩御飯の材料を買って家に帰ると、母さんが僕に手紙を手渡した。


「ん? これは?」

「さっき見たら、郵便受けに入ってたの。あなた宛てでしょ?」

「なんだろ」


 切手も消印もない、ただ宛名として『海斗へ』と書かれた封筒。

 首を傾げながら、中に入っている便箋を取り出して開く。


「阿久津の奴……やっぱり許せない!」

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