第19話 4日目 阿久津の復讐

 空き倉庫の勝手口を軋ませながら開くと、中には阿久津が立っていた。

 そのすぐ横には、ロープで縛られた末崎さんが床に座らされている。


「来てやったぞ! 阿久津」

「よく来たな、海斗。約束通り一人なんて、いい度胸だ」

「末崎さんを放せ。彼女を巻き込むなよ、卑怯者!」

「ちっ、海斗のくせに。この野郎、偉くなったもんだな!」


 僕の言葉に一瞬でカッとなった阿久津。

 眉毛を吊り上げ、口角がヒクヒクしている。


 すでにナイフを構えているところを見ると、正々堂々とやるつもりはないらしい。

 僕は覚悟を決めて、少しずつ阿久津に近づいていく。


 ナイフで威嚇してみせるものの、ブルブルと震える刃先。

 僕がじわじわと近寄るたびに、阿久津の表情から余裕がなくなっていく。


 これじゃどっちが追い詰められてるのか、わかったもんじゃない。


「この野郎、怖くねえのかよ。刺すぞ? 本当に刺すぞ?」

「どうせ僕はもうすぐ死ぬからな。その代わり約束してくれ、これで気が済んだら末崎さんは解放しろ」

「俺に命令するな! 畜生、なんでそんなに堂々としてやがる」


 僕に友達はいない。

 尊敬する先生もいない。

 助けてくれた人なんてどこにもいない。


 唯一、僕の味方だった母さんにはお別れをしてきた。


 その上、僕の寿命はあと3日。

 その寿命を受け取ってくれる風雅くんにも想いは託してある。


「僕にはもう、失うものがないからだよ」

「くそっ、生意気なんだよ、海斗のくせに!」


 阿久津はとうとう頭に血が上ったのか、握り締めたナイフを突き出してきた。


 いくら覚悟ができているからといって、無駄死にはしたくない。

 かすめるだけでも大怪我だから、僕は必要以上に大きい動きで避ける。


 物凄い緊張感。一度避けただけで、もう腋の下は冷や汗だらけだ。


「避けんな! 失うものがないなら、潔く死ね!」

「そう簡単に死んでたまるか! 僕は死にに来たわけじゃないんだ!」


 阿久津は頭から顔までびっしょり濡れている。あれも冷や汗なのかもしれない。


 僕は神経を研ぎ澄ませて、阿久津の構えるナイフの刃先をジッと見つめる。

 すると今度は闇雲に振り回してきた。


「おらぁっ、海斗ぉ! 死ねっ、死ねっ!」


 ヒュンヒュンと、ナイフが風を切る音が聞こえてくる。

 振り回すナイフの動きは雑だけど、その勢いは一発でも食らえばきっと致命傷。

 僕はその都度大きく避けて、反撃の機会をジッとうかがう。


「海斗ぉ! 急にケンカ慣れしやがってぇ、なんだよ、なんなんだよ!」


 ケンカ慣れなんてしてない。勝ったのは昨日の1回だけだ。


 それ以外はケンカでもなんでもない。

 いじめられて、一方的に耐えてただけなんだから。


「くそっ、海斗っ、このっ、このっ」


 しつこく繰り出してくるナイフの突き。


 今も必死に避けながら耐えてるだけ。

 だけど、反撃するために機をうかがう忍耐は、以前とは意味合いが全然違った。


「たぶん僕とお前の差なんて、そんなになかったんだな」

「なんだと! お前は貧乏でいじめられてた海斗だろうが。一緒にすんな!」


 たった一回勇気を出して立ち向かっただけで、なんだか世界が変わった。

 なんでもっと早く、阿久津に逆らわなかったんだろう……。


 ずっと刷り込まれていた弱気な態度が、僕を委縮させてただけだったんだ。


「ぜぇっ、ぜぇっ、んはぁっ……」

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」


 そうは言っても、避け続けるのも限界。さすがに辛くなってきた。

 阿久津も、ナイフを振り回し続けたせいで息を切らしている。


 そんな阿久津が、今度は体当たりを仕掛けてきた。


「くそがぁっ、死ねぇっ」


 さすがに身体ごと向かってこられると避けきれない。

 阿久津は僕の腹目掛けて、ナイフを突き出した。


 ――ボスッ。


 ナイフが僕の腹に刺さった。

 だけど思ったほどの痛みじゃない。


 嘘だろ。腹に仕込んだ週刊誌が役に立った。


 救われた僕は、阿久津を突き飛ばして奴の身体を引き剥がす。

 その拍子にナイフは遠くに飛んで行った。


「この野郎!」


 武器を失くした阿久津が、拳を握り締めて身構える。

 僕もそれを真似るように構えた。


 こうなれば対等。

 いよいよタイマンだ。


 素手になった阿久津は、思った以上に……強かった。

 慣れないナイフのせいで、動きを鈍らせてただけだったか。


「海斗になんか負けるかよ! おりゃっ」


 そりゃそうか。昨日あれだけ一方的にやられた阿久津に、気持ちだけで勝てるようになるわけがない。


 だけど阿久津のパンチは、さんざんナイフを振り回して疲れているのか、思ったほど痛くなかった。


 痛くないと思えば、僕も思いっきり向かっていける。


 腕力の乏しい僕のパンチも大して効いてないけど、少しは対等にやり合えた。


「はぁっ、はぁっ、クソっ……こんなはずじゃないのに」


 パンチや蹴りを繰り出しながらも、後ずさりを始めた阿久津。

 あんなに恐れていた阿久津に、普通のケンカでも負けてない。


 今までの我慢はなんだったんだよ……。


 ちょっとだけ僕は切なくなった。

 その直後……。


「クソだらぁっ!」


 僕に掴みかかった阿久津が、柔道技の要領で足を払ってきた。

 予想外の攻撃に、僕はあっさりと転がされる。


 阿久津が僕の腹に馬乗りになる。

 そして2発、3発と、握り拳で左右交互に打ちのめしてきた。


 だけどそれもすぐに止む。

 僕が阿久津を見上げると、その手には再びナイフが握られていた。


 こいつ、後ずさりしながらナイフが飛んだ先に誘導してやがった。


 ケンカじゃやっぱり阿久津の方が一枚も二枚も上手だった。

 一瞬でも負けてないと思って、油断したのかもしれない。


「たかがケンカで、そこまでしてどうすんだよ、阿久津」

「へん! 負け惜しみか? それとも命乞いか? 華音も見てる前で土下座して謝るなら、その間だけ見逃してやってもいいぞ?」

「殺したければ殺せばいい。その代わり、末崎さんだけは解放してくれよな」

「はぁぁ? なにカッコつけてやがんだ。本当に殺すぞ? 殺しちゃうぞ?」


 僕の上に跨る阿久津の表情が、みるみると引きつっていく。

 鼻息も荒ぶって、相当に興奮してるみたいだ。


 目を血走らせる阿久津は、手にしたナイフを逆手に持ち替えると、両手でギュッと握り締めて頭上に振り上げた。

 そして頂点に達するや否や、倉庫を震わすほどに絶叫する。


「死ねぇぇぇっ! 海斗ぉぉぉ!」


 阿久津は躊躇することなく、僕の胸目がけてナイフを振り下ろした。

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