第6話
自分がフラれているところをたまたま見かけた。ユリスの言葉に、リリィは胸がズキリ、と痛むのを感じる。
(あの日、ユリスさんにあの光景を見られていたのか……)
二年前のその日、まだ総務課に勤めていたリリィは魔法騎士団に勤めていた当時の彼氏に人気のない場所に呼び出されていた。
魔法騎士団は魔法省に属する魔法使いで構成された騎士団で、国の騎士団と共に魔物の討伐などへ向かうエリートだ。そのため出張が多く会える日も少なかった。
「悪い、他に好きな子ができた。別れたいから婚約は解消させてくれ」
突然の言葉に、リリィは唖然として何も言えない。そんなリリィに畳み掛けるように男は言った。
「お前、俺がどんなに忙しくて連絡しなくても何も言って来ないだろ。別に俺がいなくても一人で平気みたいだし。それに夜のあれも面白くないってゆうかつまんないっていうか。今好きな子はいつも俺のこと頼って可愛いこと言ってくれるし、夜もすげぇんだよ。可愛げのないお前とは大違い」
目の前の男の言葉に、リリィは頭を鈍器で殴られたような気分になった。それはつまり、今現在同時進行で他の女と付き合っていると言うことだ。
(何それ、意味がわからない)
確かにリリィは一人でも苦ではない。だが彼氏と一緒の時間はもちろん楽しいし大切で、忙しい彼の負担にならないようにリリィなりに相手を思いやっていたつもりだった。
ショックを受けつつも、リリィはどんどん心が冷めていくのを感じていた。リリィは身寄りがなく施設育ちだ、それゆえ婚約したと言っても両家の顔合わせをするわけでもなくただリリィが男の家に挨拶に行った程度だった。別に自分勝手な理由で婚約をやめてくれと言ったところで、リリィ側に男を非難する存在はいない。それをわかった上で男は身勝手な振る舞いをしたのだろう。
(……馬鹿馬鹿しい。なんでこんな人、ずっと思い続けていたんだろう)
「わかった。別れましょう」
「お前ならそう言ってくれると思った。じゃあな。あ、その前に婚約指輪返せよ」
そう言って男は手のひらを出す。この後に及んで婚約指輪を返せと言われるとは思わなかった。リリィは驚きながらも言われるがままに婚約指輪を外し、手の上に置いた。
「サンキュ。じゃ、お前もせいぜい幸せになれよ」
そう言って男はさっさといなくなった。残されたリリィは一人ぼんやりと立ちすくむ。次第にリリィの心は悲鳴をあげ、リリィの両目からは静かに涙がこぼれ落ちる。その場にはリリィの
「俺はあの日仕事で中央棟に用があったんだけど、普段ほとんど行ったことのない場所だったから道に迷ったんだ。そしたらあんたたちの姿が見えて話が聞こえてきて。なんか胸糞悪い話だし、何より俺と似たような状況のあんたが気掛かりでその場から動けなくなって」
二年後、研究課に総務課から移動してきたのがあの日の女性だとわかってユリスは驚いた。そしてつい気になって見ていたら、歓迎会での様子が心配になりそのまま連れ帰ったのだった。
「きっと、同じような境遇のあんただから近寄ったり触れたりしても問題ないんだと思う」
そう言って、ユリスはリリィの目の前に手を差し出した。
(え、握手?)
リリィが不思議そうにその手を眺めると、ユリスはほんの少し微笑んで言う。
「俺に触れられるの、嫌?」
「……嫌、じゃ、ないです」
ユリスの質問にそう答えると、リリィはユリスの手を見て自分の手を静かに差し出す。その手を、ユリスは優しく握った。
「俺も、あんたに触れるの嫌じゃない。やっぱり吐き気もしないし頭も痛くならない。それに、もっと触れたいな、って思い始めてる」
(えっ、それってどういう意味……)
リリィの不思議そうな顔をユリスはじっと見つめ、口を開く。
「俺と、リハビリしない?」
「リハビリ?」
「そう、リハビリ。俺は女が嫌い、あんたも男が本当は苦手なんでしょ。あれからずっと彼氏はいないしそういう飲み会にも参加しない、もう誰とも付き合うつもりはないって聞いた」
(ど、どっからその情報を!?確かに男の人は苦手だし、これからは一人で生きていくって決めてたけど……)
「俺、こんなだけど情報収集は得意なの。で、俺たちは似たもの同士だ。でもお互い触れ合うのは嫌じゃない。だったら二人で恋愛ごっこしてリハビリしてみようよ」
ユリスの提案にリリィは混乱する。確かに似たもの同士だし、正直ユリスに触れられて嫌な気はしない、むしろリリィもユリスにもっと触れてほしいと思ってしまっている。
「で、でも、リハビリをしたとしてそれがもしも本気になってしまったら?片方だけが本気になってしまったら、それこそもう二度と立ち直れなくなってしまうんじゃ……」
リリィがそう言うと、ユリスはリリィの手に自分の指を擦りよわせた。優しく、思いやるような手つきだがその中にも何か熱がこもっているような触り方だ。その仕草にリリィはどきりとする。
「俺としては、本気になってくれても構わないしそうなってくれたら嬉しいんだけど」
(は?え?それどういう意味?)
さらに動揺するリリィをじっと見つめながら、ユリスはさらにリリィの手に優しく指を擦りよわせる。
「で、どうする?リハビリ」
答えるまでこの手は止めないという無言の気迫を感じ、リリィは仕方なく決意を固めた。
「わ、わかりました。リハビリ、やります」
リリィの答えにユリスは満足げに微笑むと、触っていたリリィの手にそっと口づけた。
(は、はいっ?何してるの!?)
そのままユリスはリリィの手首に唇をそっとつけ、リリィの腕の袖を捲りながらあらわになった腕へとどんどん口づけを進めていき、くすぐったいのと恥ずかしいのでリリィは身悶える。
「ちょ、ちょっと!何やってるんですか!」
リリィが抗議の声をあげると、ユリスは不思議そうな目でリリィを見つめる。
「だってリハビリとはいえもう恋人同士でしょ?それに俺、もっとあんたに触れたいって言った。嫌なら言って、ちゃんと止めるから」
そう言ってまたユリスはリリィの手や腕にキスをし、どんどんリリィとの距離を縮めていく。そしていつの間にかユリスの顔はリリィの目の前にあって、ユリスの手はリリィの頬に静かに触れ、ユリスの指はそのままリリィの唇を優しく撫でた。そしてユリスはリリィの唇を見つめてそのまま口づけようとして……。
「ま、待ってください!これ以上は!まだダメです!」
リリィの両手がユリスの口元を塞ぎガードしている。ユリスは名残惜しそうにリリィから離れ、リリィの手もユリスの口から離れた。
「ダメだったか、残念」
「残念、じゃないですよ!急に進めすぎです!もう!私、自分の部屋に戻りますから!」
顔を真っ赤にしてリリィは叫び、勢いよく自分の部屋へ戻っていった。リリィのいなくなった居間でユリスは少しの間静止していたが、自分の両手を見つめながら盛大にため息をついた。
(はあ〜あっぶねぇ。リリィが止めなかったら襲ってたな)
ドクドクと高鳴る心臓、内側から湧き上がる熱を感じてユリスは胸が苦しくなり、先ほどリリィの唇に触れた指で自分の唇にそっと触れる。
(こんななって、まるで十代のガキかよ)
ユリスの盛大なため息が居間に響き渡った。
◇◆◇
翌朝、ユリスは居間から漂ういい匂いで目が覚めた。居間からは小刻みに何かを叩くような軽快な音が聞こえてくる。
(なんだろうこのいい匂い、すごく食欲がわく)
グーっと鳴ったお腹をさすりながら、ユリスは居間へ向かい、その光景に驚く。そこにはエプロンをして台所で調理をするリリィの姿があった。
「あ、おはようございますユリスさん」
「え、あ、おはよ。何してんの?」
「何って朝食作ってたんですよ。ユリスさんの部屋、食べ物決まったものしかなくて絶対栄養偏ると思うんですよね。なので自分の部屋から移動魔法で食材と料理器具移動して来ました。……えっと、あの、勝手なことしてるのは重々承知です、申し訳ないと思ってます、すみません」
後半になるにつれてどんどん小さくなっていく声に、ユリスはプッと吹き出し声を上げて笑った。
「別に、いいよ。料理してくれるなんて俺にとっては良いことでしかないし」
(わぁ、ユリスさんてこんな風に笑うんだ。ちゃんと笑った顔初めて見た)
いつもはほんの少し口の端を上げて笑うか微笑んでもすぐに真顔に戻るため、リリィは珍しいものを見る目でユリスの顔をしげしげと眺める。そんなリリィの様子に、ユリスは笑うのをやめて不思議そうな顔をした。
「何?俺の顔になんかついてる?」
「あ、いえ、ユリスさんがちゃんと笑うの初めて見たなと」
「あぁ、確かに、こんなに笑ったの久々かも」
(は?笑うの久々ってどんな生き方したらそうなるの?)
「で、何作ってるの?」
ワクワクした顔でリリィの背後に周り、リリィの肩に顎を乗せてユリスは尋ねた。その距離の近さに、リリィはまたドキドキしてしまう。
「ちょっと、料理中なんですから危ないです、あっち行っててください」
「え〜、なんかやることない?手伝うよ」
「ないです、あるとすれば出来上がるまで大人しく待っててください」
「ちぇ」
肩を下げながらソファに座るユリスを見て、リリィは不思議な気持ちになった。
(ユリスさんていつも無愛想な方だけど、恋人の前だとこんなにラフな感じになるんだ?ちょっと可愛いかも)
そう思いながらリリィは手際よく料理を進めていき、さて料理ができ上がったと一息つくと、ふとユリスの視線に気づく。その表情はいつものように真顔に戻っていたが、ほんの少し表情が和らいで優しそうな雰囲気を醸し出している。
「どうかしました?」
「いや、なんかこういうのいいなって思って。あんたが彼女役で本当に良かった。まあ、あんた以外に彼女役やってほしいなんて思わないけど」
(そうやってサラリと爆弾発言するんだから!しかもそんないい顔で!)
ユリスの言葉を聞いてリリィは顔を真っ赤にさせながら頭をブンブンとふる。
「な、何言ってるんですか。朝食できたので運んでください!」
「お、やった」
そこにいる二人は、恋愛ごっこをしてリハビリをしている二人ではなくもはや本当の彼氏と彼女のようだった。
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