第2話

「ああ、俺の部屋に連れて行って一緒に寝たけど」


 ユリスの発言にエイルとベリアは絶句する。


「ま、待って、ユリスさんが、微笑んだ……しかも女性のリリィちゃんに……」


 ベリアは信じられないものを見るような目でユリスを凝視する。エイルも口をパクパクさせて固まったままだ。


(え?え?なに?どゆこと?今はいったい何が起こってるの?ユリスさんが笑うのってそんなに珍しいことなの?てゆーかあれって笑ったうちに入るんだ?)


「おい、お前ら朝から何をしているんだ。早く自席に着け」


 突然声がして銀髪にアメジスト色の瞳、眼鏡をかけた壮年の男が部屋に入ってきた。研究課第一部門の部門長であるエデンだ。

 エデンの一言にエイルもベリアも我に返り、そそくさと席に着く。


「みんな席に着いたな。それでは朝礼を始める。その前にリリィ・ハルベルト」


「は、はいっ」


 突然呼ばれてリリィは思わずその場で跳ね上がる。


「昨日は第二部門の連中にずいぶん飲まされていたようだったが大丈夫か」


「あ、はい……」


 チラリとユリスを見るとユリスは真顔で頬杖をつきながらデスクに表示された魔法データを眺めている。


「そうか。それならよかった。来て早々の歓迎会で申し訳なかったな。すべての部門が合う日程が他になかったんだ。これから少しずつでいい、仕事と関わる人間の名前と顔を覚えていってくれ」


「わ、わかりました。これからよろしくお願いします」


 その場でお辞儀をするリリィに、エイルはニッと笑い、ベリアもウィンクしてきた。ユリスは相変わらず無表情だ。


「それでは今日の業務についてだが……」





 朝礼が終わり、リリィはユリスと共に研究棟の敷地にある庭にいた。そこにはありとあらゆる薬草が研究用に育てられている。


「ここにあるものは全て初級~中級魔法の補助に使える薬草だ。劇薬はここにはないから安心していい」


 ユリスに説明されながらリリィは目の前に表示される薬草一覧のウィンドウを眺めていた。ウィンドウは魔法で目の前に現れ、その時の状況に応じて自動で内容が表示される。

 リリィも魔法省に勤務できる位には魔法の知識も実力もそれなりにある。だが、研究としての薬草や魔法の使い方は初めてで知らないことばかりだ。


「俺たちの仕事は新しい魔法の構築や新しい薬草の発見、魔石の発掘だ。研究室にこもることもあれば、薬草や魔石を見つけるために出張もする。研究課でも時には騎士団に動向して戦いの補佐だってする」


 研究課の存在は知っていたが実際の業務がそんなに大変なことだとは知らなかった。てっきりひたすら研究をしているだけだと思っていたがそうではないらしい。


「まずはここにある薬草、あと保管庫にある魔石の種類と用途を全部覚えて。それが今週の宿題」


(こんなに大量な薬草、覚えきれるかな。魔石も覚えなきゃだし)


 リリィは目の前に表示されたウィンドを眺めながらう〜んと唸っていた。ふと、隣に人影を感じて横を見ると……。


(え、ひええっ!?)


 リリィの顔のすぐそばに、ユリスの美しい顔があった。ユリスもリリィのウィンドウを一緒に眺めているが、その距離はあまりにも近すぎる。


「なんか気になることでもあった?画面眺めて唸ってるけど」

「い、いえ!なんでもありませんっ!」


 リリィは飛び跳ねるようにユリスから離れると、ユリスは真顔でふーんと首を傾げた。


(なんでなんでなんで!?なんでそんな近いの!?女性と近くで話したりしないってみんな言ってたのになんで!?仕事だから?いやでもそれでもあれは近すぎでしょう!)


 リリィの様子を横目に、ま、いいやとユリスは真顔でそう言ってスタスタと歩きだした。慌ててついて行こうとすると、ユリスが急に振り向く。


「あ、腹減らない?そろそろ昼だし食堂行こう」



◇◆◇


 ガヤガヤ……


 ユリスに連れられて魔法省研究課がある研究棟の食堂にリリィは来ていた。廊下を歩いている途中から既にいい匂いが流れてきていたが、食堂内は美味しそうな食べ物の匂いで充満している。


(あぁ〜いい匂い!研究棟の食堂だからもっとこう薬草じみた匂いのする食堂なのかと思っていたけれど、全然そんなことなかったな。勝手な想像してすみません)


 浮立つ気持ちのままあたりをキョロキョロする。食堂は思っていたよりも広く、昼時とあって大勢の職員で賑わっていた。


(あ、れ?なんかすごい見られている気がする)


 さっきから痛いほどの視線を感じる。もしかすると異動した初日に歓迎会で飲みつぶれた職員だと陰口を言われているのかもしれない。


「大丈夫?」

「はひっ!?」


 急に声をかけられて驚き、変な声が出てしまった。そんなリリィを見ても、ユリスは表情を変えず真顔のままだ。


「なんかすごく見られてるけど気にする必要ないよ。どうせ昨日のことなんてすぐに忘れる」


(誰よりも早く忘れたいと思っているのはこの私ですけどね……)


 ほうっとため息をつくがユリスはそんなことお構いなしにどんどん進んでいく。


「ここのおすすめは日替わり定食かな。栄養も考えられてるし美味しいし」


ユリスの話にへぇ〜とメニューを見ながら歩いていたリリィに、突然人がぶつかった。その衝撃でリリィは思わず体勢を崩し、よろけてしまう。


「おっと」


 そんなリリィを、ユリスが片手で受け止める。


「大丈夫?足とか捻ってない?」

「あ、ありがとうございます、大丈夫です」


 これまた至近距離、しかもユリスのしっかりした腕に抱き止められているリリィは思わず赤面してしまった。


「お、おいあれ……」

「嘘だろ、マジかよ」

「あの女嫌いのユリスが女を助けたぞ」

「この間なんて目の前でわざと倒れた女職員に見向きもしなかったのに、なんだよあれ、ちゃんと支えてるじゃん」


 ザワザワと食堂内が騒がしくなる。女嫌いのユリスが倒れそうになった女職員を助けたことにみんな驚きを隠せないでいるようだ。


(え、なんでこんなに騒がれているの?ユリスさんが私を助けたことってそんなにすごいことなの?え?)


「あ、あの、もう大丈夫です。アリガトウゴザイマシタ」


 居た堪れなくなったリリィは、そっとユリスから離れお辞儀をした。


「あ、うん」


 ユリスは相変わらず表情を変えずに真顔のままだ。だが、リリィを掴んだ自分の手をぼんやり眺めてからぎゅっと握り拳を作る。


「あれあれ、そこにいるのは第一部門のユリスとリリィちゃんじゃないか」


 突然人の声がしたと思うと、同時にきゃーと黄色い歓声が上がった。声のする方には、長めの金髪をゆるく結んだ背の高い見目麗しい男性がいた。キラキラと眩しいほどの笑顔でひらひらと二人に手を振っている。そんな男性を周りの女性たちはうっとりした顔で眺めており、どうやら研究課で人気者のようだ。


「……ロベリオさん」


 ユリスが静かに名前を呟くと、リリィは目の前のロベリオという男を見て思い出した。


(確かこの人、昨日の歓迎会でなんかすごい話しかけてきた人だ。ずっと隣に座って飲み物をすごいたくさん勧めてきて……)


「ごめんね、リリィちゃん。昨日は飲ませすぎちゃったろ。いつの間にか消えてたけど、大丈夫だった?」


 ロベリオの言葉に、リリィが大丈夫だと言いかけると、ユリスが口を開いた。


「大丈夫です、この子は俺の部屋に連れて行ったので」

「は?」


 ユリスの言葉にまた食堂内がざわつく。何より、ロベリオが一番驚いた顔をして絶句している。


「リリィちゃん、それって本当なの?」


 ロベリオがリリィに向かってそう聞くと、リリィはおどおどしつつも小さく頷いた。それを見たロベリオの表情が一瞬険しくなるが、すぐに先ほどまでのキラキラした笑顔に戻っていた。


「……そうか、女嫌いのこいつの部屋なら問題ないかな。本当にごめんね。これから同じ研究課の一員としてよろしく」


 それじゃ、またねとリリィに笑顔を向けてから、ロベリオはすれ違いざまにユリスの耳元に顔を近づけた。何かを言っているようだが、リリィにはその言葉は聞こえない。


「先に獲物に手を出したからっていい気になるなよ」


 ポン、とユリスの肩を叩いて、ロベリオはいなくなった。


「あ、あのユリスさん……」


 ロベリオが立ち去った後リリィがユリスの顔を見ると、いつも真顔のその顔にはほんの少しだけ怒りが滲み出ているようでリリィは怯む。


(ユリスさん、怒ってる?ロベリオさん、去り際にユリスさんに何か言ったみたいだけど何を言ったんだろう?)


 リリィは湧き上がる胸騒ぎを落ち着かせるように胸元をぎゅっと掴んだ。





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