第24話

ユリスの兄ライムがユリスとリリィに会ってから数日後。ユリスの父が勝手に進めようとした縁談相手であるベラの元に一通の手紙が届けられた。


「ライムお兄様からだわ……ユリスお兄様には既に恋人がいるから諦めろ?父親とも話し合い縁談は白紙に戻す、ですって?そんな、恋人がいるからってまだその方と結婚するわけではないのでしょう、だったら諦める必要も筋合いもありませんわ」


 グシャ、とベラは手紙を握りつぶし忌々しそうな顔で呟いた。そんな時、ベラの部屋の扉がノックされる。


「ベラ様、よろしいでしょうか?」

「何かしら」


 メイドの一人が見知らぬ男を引き連れて部屋に入ってきた。その男は緩くウェーブかかった美しい金色の髪の毛を靡かせお辞儀をする。顔を上げると若草色の瞳をしており、一目でその美貌がわかるほどだった。


(まぁ、なんて美しいの……でも、なぜ顔の片側にだけ仮面のようなものをつけているのかしら。不自然ね)


「お初にお目にかかります、ベラ様。本日付でベラ様の身の回りのお世話をすることになりましたレインと申します」


 使用人の制服に身を包んだその美しい顔立ちの男は、妖艶に微笑んだ。




「お前はどこからきたの?どうしてこんな中途半端な時期に使用人が補充されたのかしら。しかも私の身の回りの世話をするなんて、お父様はただの使用人にはさせないはずなのだけれど」


 レインと部屋に二人きりになったベラが訝しげに質問すると、レインはにっこりと微笑んで答えた。


「私はとあるお屋敷で長いこと使用人をしておりました。ですが主が亡くなり行く宛がなくなってしまい途方に暮れておりましたところ、旦那様にここへ来ることを提案されました。若く美しい娘がいるのでその世話をしてほしいと」


(お父様が直々に選んだ人間であれば間違いはないはずね……)


 ふむ、とベラがレインを見つめるとレインは微笑みながらベラに近づく。


「な、何かしら」

「ベラ様は本当に可憐でお美しいですね。これならあの男も落ちてくれるでしょう」

「?お前一体何を言って……」


 そう言ったベラはいつの間にかレインの若草色の瞳から目を逸らせないでいた。頭がぼんやりとして体が言うことを効かず、目の焦点も合わなくなっていた。


 身動きの取れないベラの頬にレインはそっと手を添え、静かに口付ける。唇が触れた瞬間、ベラはビクッと体を震わせたが唇が離れると物欲しそうな蕩けるような顔をしてレインを見つめていた。


「君には僕の駒になってもらうよ」

「は……い、ご主人、様」


 レインの首に手を回し抱きつくベラ。レインはそんなベラの様子にククク、と静かに笑みを漏らす。


「女性は魅了が効きやすくて簡単だなぁ。さて駒が手に入ったことだし、そろそろ始めようかな」



◇◆◇◆



「あの男がラムダロス監獄から脱走した?」


 ライムがユリスの元に縁談を持ってきた日から一週間後。研究課第一部門の会議室でユリスが思わず声を荒げた。


 レインと名乗る男は赤い雫の事件以降捕まり、ラムダロス監獄に収容されていた。ラムダロス監獄とは、魔法省の管轄する国内最高峰の監獄であり、ネズミ一匹たりとも出入りすることは許されないほど厳重な警備を誇る監獄だ。レインはリリィの部屋を荒らし研究課のデータベースに侵入しリリィを監禁した罪に問われ、さらにハイルの研究に深く関係していた幹部の一人でもあったため危険人物と見なされラムダロス監獄に収容されたのだった。


「あんな監獄から脱走するだなんてそもそもできるはずかない……逃げたというのは本当なんですか?」

「ラムダロス監獄からの知らせでは、レインが監獄から脱走したのは二週間前だそうだ」

「二週間前!?なぜそんな前のことを今更連絡してきたんですか!遅すぎる!」


 ダンッ!とユリスは怒りに任せて机に両手を叩きつけた。リリィを危ない目に合わせた張本人が監獄から脱走したのだ、怒りと不安は如何程のものであろうか。普段滅多に感情を表に出さないユリスの荒れた状態に、その場が静まり返る。


「どうやら精神魔法によって看守たちは最初脱獄されたことすら気づかなかったらしい。数日経って意識が戻り、慌てて状況把握と対応に追われたそうだ」

「でもあの監獄、囚人は魔法が使用できないはずですよね。なぜレインは使えたのでしょうか」

「内部に内通者がいたか、あるいは外部でも手引き出来るものがいたか……」


 会議内で繰り広げられる会話を聞きながら、リリィは血の気がどんどん引いていくのを自覚していた。顔は青ざめ、手足は氷の様に冷たくなっていく。そしていつの間にかカタカタと小さく震え始めていた。


(レイン君が、逃げ出した……?あのレイン君が……)


 レインに監禁された時の恐怖は二度と思い出したくないのに今でもはっきりと思い出される。自分に執拗に執着し、説得しようにも会話にもならない相手。そんな相手が国内一の監獄から脱走しただなんて。またいつ接触してくるかわからない恐怖がリリィを侵食していく。


 ふと、リリィの片手にユリスの手が重なった。静かに横を見ると、ユリスが真剣な顔でリリィを見つめていた。


「大丈夫、俺がいるから」

「そうそう、それに私たちだっているし!リリィちゃんは心配しないで」


 ユリスに続いてベリアも両手をグーにして力強く言う。そしてエイルやエデンも同じように力強く頷いた。


(皆さん、私なんかを励まそうとしてくれてる……)


 皆の気持ちが暖かい。不安だった心がほぐれ、フワッと暖かくなっていくのを感じながらリリィはいつの間にか涙をポロポロとこぼしていた。


「あっ、えっ、あの、すみません」


 慌てて両手で目元を擦り涙を拭く。そしてリリィは精一杯の笑顔を作り言った。


「ありがとうございます」


 そんなリリィの笑顔を見て、ユリスは胸が苦しくなっていく。


(リリィのことは俺が絶対に守る、絶対に)




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