第24話 妻と夫の言い分
“愛を知らない女騎士ですが、堅物魔術師団長と政略結婚をしたら、激しく溺愛されてます!?”
バートラムの手から乙女のバイブルを受け取ったアーロンは「なんですか、これ」と言いながらページを繰ろうとした。
シェーラは、副団長にまで上り詰めた抜群の体術、敏捷性をいかんなく発揮して、その手から本を奪い取ろうと試みる。
偶然として考えるにはあまりにも出来すぎたタイミングで、アーロンがさっとかわした。
(速い……!)
正面きって一対一での手合わせは初めてであったが、アーロンの強さは誰もが認めるところ。
不意をつけばどうにでもなると思っていたシェーラにとっては、思わぬ誤算でもあった。
しかも、追撃しようにも一切隙がない。
そのまま、問題の一冊を読まれてはたまらないと、シェーラはその横顔に焦って声をかけた。
「いけない。読まないでください」
目次を開いていたアーロンは、本から顔を上げてシェーラを見た。
その唇が何か言いたげにかすかに開いて、すぐに閉じる。
心の奥底を見透かすような澄んだ瞳を瞬いて、アーロンは本を差し出してきた。
「はい。読みません。どうぞ」
何ひとつ条件をつけられることもなければ、からかいの一つもなく。拍子抜けするほどのあっけなさであったが、シェーラはほっと息を吐きだして本を受け取る。
固唾をのんで見守っていた面々が、ざわっと揺れた。
代表して、腕を組んだバートラムがアーロンに言う。
「見なくても良いのか」
アーロンは実に感じの良い笑みを浮かべて頷いた。
「シェーラさんが嫌だと言うことを、敢えてする理由がありません。興味はありましたけど、見ないで欲しいと言うなら見ません。それだけのことです」
「大人だな」
バートラムが実に感じ入ったように呟く。
あはははは、と軽やかな笑い声を立てて、アーロンは「もちろん大人ですよ」と楽しげに言ってから、バートラムを真正面から見つめ、紫水晶の瞳に強い光を浮かべる。
「たとえ冗談だとしても、人前で夫が妻に意地悪するのはよくありません。俺がシェーラさんを軽んじていると周囲に印象付けてしまった場合、『自分も同じことをして許される』と勘違いした誰かが、シェーラさんに対して大手を振って嫌がらせをするかもしれないでしょう。そういう間違いが起きないために、俺は自分がいかに妻を愛して大切にしているかをありとあらゆる相手に対して見せつける所存で」
「ああ、なるほどなるほど」
相槌を打つバートラムをよそに、口を挟まずに聞いていたシェーラは、(それは言い過ぎでは)とハラハラしてしまう。アーロンはそこで話を終えず、笑顔のままさらに続けた。
「たとえ親兄弟だろうと仕える相手だろうと、俺の妻に意地悪する人間は絶許」
「アーロン様っ!」
シェーラは、黙っていられずにそこで声を上げた。
ぐいっとアーロンのローブに掴みかかり、顔を寄せて耳元で囁く。「仕える相手にまで言及してはいけません、聞きようによっては国家反逆罪ですよ」と。アーロンは落ち着き払った様子でシェーラに囁き返す。「世界を敵に回しても構いません」とても甘い声だった。シェーラはひっと悲鳴を上げてアーロンから距離を置き、目を見開く。
「構いますよ、私は構います。アーロン様は才能あふれる天才魔法使いなわけですから、世界を敵に回せてしまいますよね……!? ぜひとも不穏な発言は控えて頂きたく、もちろん考えるのもだめです!」
「妻を愛していると全身全霊で表現しただけなのに」
切なげに目を細めて見つめられ、シェーラはぶんぶんと顔の前で手を振った。
「それこそ、人前では必要ありません! 家に帰ってからで良いではありませんか!」
しん、と辺りが静まり返り、やがてぱらぱらと拍手の音が響いた。
なぜ? と首を傾げて自分の言動を頭の中で追いかけ、シェーラはさーっと顔を赤くする。
(見世物になってしまった……!)
固まったシェーラをよそに、バートラムが「はい、解散解散」と立ち止まっていた者たちを追い払い、廊下は一応の静けさを取り戻した。
その場に残ったシェーラは、吐息してアーロンを見た。なに? と目で尋ねられ、ためらいながらも口を開く。
「私は男性の中で働いてきたので、いろんな男性の言動を見てきました。それこそ、結婚までは恋人を大切にしていた方が、結婚後急に奥様を雑に扱うようになったり……、ひどい方だと奥様の妊娠中に浮気をしてそれを自慢げに話すようなひともいて、ですね。だから、アーロン様の仰ることはよくわかるんです。妻を軽んじ、それを武勇伝のひとつのように吹聴する男性の奥様は、かなりお立場が悪くなることもあるので……」
アーロンは、ほとんど瞬きもせずに真面目な表情で聞いている。
その顔を見ながら、シェーラはとても歯切れ悪く続けた。
「とてもありがたい反面、これまで浮いた噂がなかったアーロン様が、妻とはいえ女性に骨抜きになっているということに、眉をひそめる方もいるのではという危惧もあります。つまり、今日のような場面はともかく、この先職場においては過度に夫として妻たる私をかばって頂く必要はないのではないかと。私は私で、自分に降りかかる火の粉は払えるといいますか」
守られることに慣れていないだけに、かばわれると居心地の悪さがあるのだ。それは、これまで独り身を通してきたがゆえに要職にもついた、その責任からくるある種の罪悪感でもあった。こんなに楽をしてはいけないのではないか、という。
(リルさんに食ってかかられたときは、弱みを見せないように突っぱねたけど……。実際、結婚した途端に私が夫であるアーロン様の「庇護下に入る」とあらば、騎士団でもよく思わない者は出てくる。それこそ恋情や男女といった問題とは関係なく)
仲間を裏切るのか、と。
魔術師団と騎士団が一枚岩の仲間という意識を持てるようになれば、縄張り意識は薄れるだろうが現実問題難しい。まだまだシェーラとしては、バランス感覚が試される時期だと考えている。
さらに言えば、お前もしょせんは女か、という目にさらされるのも間違いない。
同じことはアーロンにも言える。
そのためには、シェーラとしては大っぴらにアーロンに肩を持たれるのはまずいという意識もあった。
シェーラが言い終えるまで真摯な表情を崩さず聞いていたアーロンは、「わかりました」と頷いた。
「それでは、俺の方でももう少し対応を考えようと思います。シェーラさんにご心労をおかけして、申し訳ありませんでした」
アーロンの笑顔にはくもりはなかったが、シェーラは胸騒ぎを覚えた。しかし、全面的に意見を肯定されただけに、それ以上言葉を重ねることはできず「ありがとうございます」と返すにとどめた。
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