第31話 変わる空気

 業火に骨まで燃やされたのではなく、氷槍に全身を貫かれたわけでもないので、魔海狸アーヴァンクたちに目立った怪我はない。

 全身を打ち付けていても、人間や動物とは体の強度が違うのでいずれ立ち上がるだろう。

 とはいえこの時点では見渡す限りすべてアーロンの一撃によって倒れていて、すぐに起き上がれる個体はいないようだった。


「出た~。アーロン団長の一人勝ち~」


 圧倒された騎士たちの間で、エリクが冗談めかした口調で言った。

 一人いるだけで、騎士たち数人分の働きを軽く凌駕してしまう実力。

 美味しいところは全部かっさらってしまうという、武功を競う戦闘集団においてはとかく煙たがられる能力である。

 なにしろ、騎士は面子めんつへのこだわりがことのほか強い。


「アーロン様にかかればこんなの、物の数ではないからなっ」


 ここぞとばかりに、リルが鼻で笑って得意げに言った。

 いつもの光景で、普段ならここから一気に騎士団の空気が不穏になる。

 しかしそこで、バリーがすかさず横合いから口を挟んだ。


「たまたま団長が来たから事なきを得たとはいえ、僕とリルに同じことはできません。騎士団の警護がなければ、ここまで来ることもできませんでした。リルなんて慌てただけで何も役に立っていませんし」


「バリーだって、何もしていない!」


 むっとした表情でリルが言い返すも、バリーは落ち着いた調子で答えた。


「そうそう。何もしていない。つまり魔術士団は、今回の任務でいまのところ全く成果を上げていない。アーロン団長は任務の正規メンバーではないので、貢献度はひとまず考えないとして。こんなところで、喧嘩をしている場合じゃないよ。なぜかリルは鼻高々だけど、アーロン団長の実力はアーロン団長の個人のものであって、リルの実力ではないから、リルが得意になるのも違うよね~」


 リルよりやや年長のバリーが、いまにも騎士団と喧嘩を始めそうだったリルを正論で黙らせる。

 険悪になりかねなかったところで、バリーが「どうもすみません」と目を糸のように細めて穏やかに言い、騎士団員たちは毒気が抜かれたような顔つきになる。


「なるほど、お目付け役か」


 うまく場を収めたな、とエリクは感心して呟いた。

 以前、バリーと同じ任務に参加したことがあるエリクは、彼の言い分が多分に謙遜を含んでいるのはわかる。アーロンが来なくても、彼がいれば対処は十分できただろう。だが、騎士団より前に出ないように状況をよく見ており、喧嘩っ早いリルのこともうまく押さえきった。

 これまでなら、この流れになると騎士団と魔術士団が一触即発になり、こうして諌める者もいなかったのだが、魔術士団側からの歩み寄りや気遣いが感じられた。

 エリクは、この変化のきっかけとなったシェーラとアーロンの方へと視線を向ける。


 バランスを崩して転びかけたところを、アーロンに抱きかかえられていたシェーラは、その腕を押し返して自分の足で立ちつつ「どうしてここへ?」と驚いた様子で尋ねていた。



 * * *



 アーロンはいつになく髪が乱れており、退廃的な雰囲気を醸し出していた。

 疲労を気合で押さえつけたような気迫が、その笑顔に漂っている。

 明らかに、これまでシェーラが目にしてきた彼とは、様子が違っていた。


(徹夜明け……?)


 よほど体に負担がかかっているのでは? と、シェーラとしては気持ちが落ち着かずに「どうしてここへ来たんですか」と尋ねた。

 アーロンは、いつものように爽やかな口調で答えた。


「今朝、出立するシェーラさんに『いってらっしゃい』を言っていませんでしたので」


「それは、アーロン様もお仕事があったからですよね? 昨日はお帰りになりませんでしたが、まさかそのままここに来たのでは? 少しは休めていますか?」


 魔術士のローブを羽織っているが、屋敷に帰って着替えることもなくここまで直行したのでは、とシェーラは心配になって尋ねてしまう。

 聞かれたアーロンは、笑みのまま顔をこわばらせて「すみません」と謝罪を口にした。

 

「昨日はシェーラさんに『おやすみなさい』も言えなくて朝の『おはよう』も……。俺の方は、決して緊急の仕事ではなかったんです。研究をしていたら、やめ時を見誤って徹夜したあげく魔力枯渇で昏倒してしまいまして」

 

「アーロン様が!?」


 本気で驚いて聞き返したシェーラに、アーロンはばつの悪い表情になってため息をついた。


「以前はよくあったんです、職場で朝を迎えるのも倒れるのも。シェーラさんとの交際期間から、結婚に至ったここ最近は、そういうことはしないようにしていたんですが。そうやって、『無理をしなくなった』自分に対して、腑抜けてしまったような罪悪感があって。家庭を持てば生活が変わるなんて、当たり前だと思っていたはずなのに。意地を張って、朝帰りすらせず」


 実のところそれ以外の葛藤もあったのだが、仕事に没頭して一晩過ごした後のアーロンの頭の中に残っていたのは、結局のところこれからの仕事との付き合い方について、であった。

 それは仕事人間同士理解しやすい内容であり、シェーラは「わかります……!」と同意してアーロンの手を取る。


「私も、アーロン様のことを考える時間が増えたことで、まだまだ現役なのに一線を退いたような感覚があるんです。これまで仕事しかしてこなかったし、この結婚も仕事上の事情なのだから、仕事に良い影響があると思いこんでいたのに、どうも勝手が違うなって。昨日もアーロン様をお待ちしていて寝そびれて、あ、これは私のせいなんですけど」


「やっぱりそうか。シェーラさんの性格なら待つだろうなって思っていたのに。本当に悪いことを……」


 手に手を取り合って二人の世界を築くシェーラとアーロンを、やや遠巻きに見ていたエリクであったが「お二人とも、あのですね」と控えめに口を挟む。


「目下の危機には対処できましたが、現在はまだ任務途中です。魔海狸アーヴァンクの変異種の件をどうするかと、怪魚オロボンの増加について調査を続行しなければ」


魔海狸アーヴァンクは俺の妻に求婚したので許さない」


 一切のためらいなく発言をしたアーロンに対し、魔術士のバリーが「アーロン様」と声をかけた。


「理性で対応願います」

「許す余地ないよな?」

「わかりました。外れてください。本件はもともとアーロン様の管轄外です」


 言う事は言うらしいバリーは、上司に対して笑顔で進言すると、シェーラに向けて「引き続き指示をお願いします」と非常に謙虚な態度で頭を下げた。


「すごい、できる先輩だ……。憧れる」


 まさにこれこそ仕事に必要な理性ですよ、とエリクは拳を握りしめ、絶賛。

 その後、シェーラの指揮により調査は続けられ、任務は無事終了。


 手出し無用と言われたアーロンは魔海狸アーヴァンクの変異種との意思疎通を図り「人妻への求愛だめ、絶対。そこは種族の壁を超えられない」と説得にあたっていた。

 最終的に、合同調査とアーロンの得た情報から、シェーラが結論を出す。


「食糧が豊富で生活に当面の心配がないことから、お嫁さん探しをしていたみたい。凶暴性が上がったわけじゃないけど、集団行動の知恵があることで遭遇時の危険度はむしろ上がっているから、今後は入山制限や最低護衛人数の設定が必要になりそう」


 こうして山での調査任務は終わり、揃って王宮への帰還。

 その夜は、参加した団員や非番の団員たちでの「交流会」と称した宴が用意されていた。


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