第15話 少し違って、どこか似ている

「朝までひとりで本当に大丈夫ですか? 誰か、信頼できる人についていてもらう必要は? というか、真面目な話、部屋は変わった方が良くない?」


 倒れたマドックを、集まってきた騎士団の数名が担いで部屋から運び出した後。

 シェーラに付き添っていたアーロンから、再度確認をされた。

 その場にはまだ、事務方も担っているエリクを含め、三人の騎士団員が残っている。

 部下の眼前でぐずぐずとした自分を見せてはいけないと、シェーラは少しだけ無理をして、何でも無いように笑ってみせた。


「大丈夫です。このたびはご迷惑をおかけしました。たまたま騎士団寮に来たアーロン様を、巻き込んでしまって」


 手紙の不備に気づいて、わざわざ出向いてきたとアーロンは言っていた。

 結果的にそのおかげでシェーラは助かったが、これ以上世話になるわけにはいかない。

 その拒絶に対して、アーロンもさらに食い下がることはなかった。

 ただ、シェーラの目を見て、事務的な口調で告げる。


「シェーラさんを守る呪法や魔導具をいくつか置いて行きます。何か危機があれば発動して、俺に伝わる。遠隔の監視というより、単純な警報のようなものです。ドアや窓に仕掛けておくと、開閉時に作用しますが、シェーラさんのことは識別しますので普通に過ごして頂いて大丈夫です」


「わかりました。お願いします」

 

 アーロンは、シェーラの言質を得たことにより、早速窓へと歩いて行き、呪文を唱えながらガラスに触れていた。「念のため、確認します」とエリクがその側で立ち会えば、アーロンは「君はもう、魔術師団に来なさい」と軽口を叩いている。

 にゃーんと鳴いて猫の真似までして、朝まで一緒にいると言っていたくせに、いざとなれば引き際はいかにも鮮やかだ。

 それはシェーラの望み通りでもあるのだが、妙な寂しさもある。

 

(アーロン様に気遣ってもらうのが居心地良くて、欲張りになってる……。いけない)


 ずっと一緒に働いてきた騎士団の青年たちに対しては、抱いたことのない感情だ。

 彼らに期待するのは、シェーラが命令として口にした通りの内容を曲解することなく、そのまま理解し行動に移すことだけ。

 シェーラが一人になりたいと言ったら、一人になりたいのだと即座に退出してくれればそれで良い。

 だけど、アーロンに対しては「そうではなく」と甘える気持ちがどうしてもある。


 作業はすぐに終了し、後は退出するのみというところで、エリクが気を利かせて騎士団の面々とともに「先に玄関ホールに向かいます。お見送りしますので」とアーロンに声をかけて、出て行く。

 シェーラは戸口まで向かうアーロンに続き、別れの挨拶をしようと前を歩く背を見上げた。


「本当に帰って大丈夫?」


 肩越しに振り返って尋ねられて、心臓が跳ねた。

 期待しているのを見抜かれている。

 あとは素直に「やっぱりお願いします」と言えばいいのに、シェーラはどうしてもその一言を口にすることができない。


「大丈夫です」

「無理しなくても良いのに。と、言いたいのはやまやまだけど、君の場合はどこからどこまでが無理なのか、俺にもよくわからないので。尊重します。昨日の今日で、俺を全面的に信用するのも難しいかと思います」


 その言葉に、腹の探り合いめいた意図は感じられなかった。

 アーロンも、ごく普通の青年なのだと、そこでシェーラは思い知った。

 ここでシェーラが自分の気持ちに蓋をして、よそ行きの言葉を告げれば、アーロンは「尊重して」距離を置こうとするに違いない。

 シェーラが、アーロンの人となりを知って意外だったように、もしかしてアーロンもいま同じように目算のズレを感じて、シェーラとの接し方について考えているのかもしれない、と気付いた。


(距離を置いて、時間をかければ、私達は歩み寄れなくなるのでは?)


 直感的に、ここは意地を張ってはいけない場面だ、と悟る。


「正直に申し上げますと、アーロン様に守られるのも大切にされるのも、すごく心地よいです。だけど、それを認めてしまったら、『強い私』はどこへ行ってしまうんだろうと。私は今まで、アーロン様がいなくても全然平気で生きてきたのに。この先の私は、いつもあなたが気になってしまうのかと思うと、複雑で。あなたに勝手に期待して、小さな失望を積み重ねて……私はそんな自分が怖いといいますか、大変に鬱陶しいのです!」


 ただの自己嫌悪の吐露になってしまったが、アーロンは真面目くさった顔で頷いた。

 

「これまでのシェーラさんの生き方において『他人に期待しない』というのはとても大きかったと思います。他人に左右されないで、常に自分でコントロールできる範囲で行動していると、メンタルが安定します。そういう女性は、周りより賢く特別に見えるものです」


 それはつまり「周りを馬鹿だと思って、見下している」という意味? とシェーラは引っかかりを覚えつつも、ひとまず頷く。


(私はそういう振る舞いをしているように、見えていたかも。恋愛もせず、他人に寄りかからない自分は、過度に感情的にならない「わきまえた、賢い女」だと)


「私はもしかして、かなりいけすかない女でしたでしょうか」


「俺はそう思わないけど、ここで俺が適当言える男だったら『君は少し肩の力を抜いて今より馬鹿な女になりなよ、その方が可愛い』って言うとは思う。そう言われたら抵抗あるかもしれないけど、理性の声だけ聞いていても、恋愛なんかできないからね。馬鹿になるのは、有効だよ」


「アーロン様は、馬鹿で不安定で弱い女が好みなんですか」


「それなら君との結婚をすすめようとは思わない」


 ひやり、とするほどの怒りをその言葉に感じた。

 シェーラは、手を伸ばしてアーロンのローブを引っ掴んだ。まるで子どものようにすがってしまった、と気付きながら精一杯素直に言った。


「怒ったまま、帰らないでください。次に会うまで私、ずっと不安になります」


 驚いたように、アーロンが目を見開く。きつくローブを握りしめたシェーラの手を見下ろし、「怒ったわけでは」と呟いた。


「怒ってないなら、なんなんですか?」


「ふつうにびっくりしたし、正直に言うとときめきました」


 これ以上は踏み込まないほうが良いと頭ではわかりつつ、シェーラはアーロンの顔を見上げて、正直に言ってしまった。


「ときめくってなんですか?」

「聞かないでください。いまのはうっかり口がすべりました」


 早口で言うと、ローブを掴んだシェーラの手に手をかけ、外させる。

 そして「じゃあ、今日のところは本当に帰ります」と背を向けた。あまりにも、そっけなく。

 考えるより先にシェーラは腕を伸ばして、アーロンの体を背中から力任せに抱きしめた。


「……あのさ……、俺、帰るって言ってんのに……。せっかく、帰るつもりになってるのに」


 ぶつぶつと言われて、シェーラは腕に力を込めて、答える。


「帰って良いですよ。引き留めません。ただ少し、こうしていたいだけです」

「ああそう。君がそうするなら、俺だって、自分のしたいことさせてもらう」


 言うなり、アーロンはシェーラの腕に手をかける。さっと外してその拘束から逃れ、振り返ると腕を広げてシェーラを抱きしめた。

 その力の強さにシェーラが抵抗もできずに固まったところで「キス。三秒以内に拒否しないなら合意とする」と、宣言される。

 三秒、長いような、短いような、奇妙に間延びした時間がゆるりと流れて。


 アーロンは、シェーラの顎に手をかけ上向かせ、唇に唇を重ねた。


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