第29話 木立の間の気配

怪魚オロボンって実戦で遭遇したことないけど、どうなんだ……? 弱点はなんだっけ?」


 休憩した地点に馬を残してきて、木々に囲まれた傾斜のある道を、隊列を組んで徒歩で進んでいる。

 騎士団の新兵たちがいまさらそんな会話をしているのを、シェーラは聞くとはなしに聞いていた。


「僕もないですけど、そもそもこの辺にはあまりいないはずなんです。もっと南の国の、海の近くにいる魔物なので。大量発生っていうのは、誰かがこの国まで生きたまま運んできて、このへんの川で放流しちゃったって線が有力です。人知れず繁殖していた二世、三世だとすると、外来種として独自進化しているのは確実で、特性も一般的に知られている種とは違いそうです。弱点も、そのままということはないかも」


 答えたのはエリクで、その説明が届く範囲にいた者たちの間から「えぇ~」という声が上がる。

 すかさずシェーラは、背後を振り返って一喝した。


「事前のミーティングで話した内容だ。聞いていなかったのか?」


 睨まれた者たちがこそこそと、視線を逸らした。

 その様子がなおさら覚悟の薄さに見えて、シェーラは思わずむっとした。

 しかし、くらっとめまいがして、口をつぐむ。そのまま、唇を噛みしめる。


(不調、厄介すぎる。私が不調では空気が締まらない。二度とこんな事態は招いてはいけない。次回があれば)


 シェーラは上官である。

 命がかかっているので、部下に注意すべき場面はきちんと注意をしなければならないのだ。「たるんでいるのは私もです! ひとのこと言えません!」などと弱気になって、遠慮をしている場合ではない。

 少なくとも、これまでのシェーラは体調管理ができていないということがまずなかったので、叱るときに躊躇などしなかった。

 それなのに、今日は声が喉の奥に詰まって出てこない。頭も鈍くなっているのが、さらに悪い。

 滅入る。

 深刻に滅入る。

 そんな状況なのに、出掛けにすでに判断力が低下していたゆえに、交替も思いつかぬままここまでのこのこ来てしまったことが、どんどん重くのしかかってくる。


「シェーラ副団長も、魔海狸アーヴァンクの異常行動に関しては、怪魚オロボンと関係しているとお考えですか?」


 シェーラの横から、魔術師のリルが声をかけてきた。

 直接攻撃に加わらぬ魔術師とはいえ、実戦に参加する者たちはある程度体も鍛えている。それは、山歩きに遅れないでついてこれるという意味で、戦士のような反射神経があったり、接近戦対応ができるわけではない。そのため、今回参加している魔術師二人は、一番安全なシェーラのそばに配置されている。

 すぐに答えず、シェーラは記憶を探った。

 失言に気をつけながら、前を向いて口を開く。


魔海狸アーヴァンクは主に水辺に出現し、人間と遭遇すれば襲いかかってくる凶暴な魔物だが、なぜか女子どもは攻撃対象にはしないという習性が……。それが、今回の証言だと男性にも襲いかかってくる気配がなかったと。異常と言えば異常だが、そこだけ見れば意外と悪くない異常だ。会議では結論は出ていないが、考えられるのは食糧が足りているという線で、その意味では怪魚オロボンの恩恵かもしれない」


 言いながら、内心首をひねる。


(これ、会議で話した覚えがあるんだけど、違っただろうか。アーロン様と、夜に二人で話していたときに、アーロン様が推測として言っていた……?)


 よく思い出せないでいたそのとき、さらに反対側から魔術師の青年バリーがにこやかに笑いながら口を挟んできた。


「そのまま魔物同士で潰し合ってくれているなら、人間としても言う事なしですね」


 参加予定だったユリウスの代わりに、急遽加わってきた相手だ。

 別段悪印象もないが、なぜユリウスが外れたのかは若干気になっている。

 アーロンが朝帰ってこなかったのと、関係しているのかと。


(もしかして、二人で何か魔術師の力を必要とする、不測の事態に対応しているとか? 私に報告がなかったのは、心配させないように……。そんなわけないか)


 いい加減、アーロンのことを考えるのはやめようと思考を断ち切り、シェーラはバリーに返事をした。


「増えた怪魚オロボンを、魔海狸アーヴァンクが捕食して満腹になり、人間への被害がなくなるなら悪くはないが、現実はそんなに甘くない……。完璧に食物連鎖に組み込まれているなら怪魚オロボンの個体数が目立って増えるわけがない。増えている以上、食べ切れていない。また、このまま餌が豊富な状態が続いたときに、魔海狸アーヴァンクが増え過ぎてしまえば今度は食糧が足りなくなる日が遠からず来る。そのとき、一転してそれ以外の獲物に魔海狸アーヴァンクが牙を向ければ、当然駆除に乗り出さねばならない。その前に食い止めねば」


 人間の世界でも、生産力が高まって食べ物が口に入るようになると、人口は増える。

 同じ理屈が魔物の間でもまかり通るとすると、そうなってからの対処は非常に困難が予想されるのだ。エリクが先に指摘したように、外来種は従来の種より強めの進化を遂げている可能性が高く、それを主な栄養源とした魔物にも変化が現れる可能性は、極めて高いからである。


「……今回はあくまで調査任務ですよね?」


 ふと、何か不安に駆られたように、リルが呟いた。シェーラは特に否定するような内容でもないので、「そうだ」と答える。


魔海狸アーヴァンクが増えているという報告は、まだ無い。もし群れで襲いかかってきたら、無理せず撤退を……」


 会議の段階では、より危険性の高い魔海狸アーヴァンクの個体数の増加は想定していなかったし、その段階ではたとえ外来種を取り込んでいるとしても、進化に近い変化を遂げているという話までは出ていなかった。

 あくまで調査任務。

 そのつもりの編成だったのだが。


「私の探知魔法に、いま相当数の魔物が引っかかっているんですが、これは怪魚オロボンで、さほどの脅威ではないと考えて大丈夫ですよね?」


「どうして、いまそれを言う!?」


 もっと前に言うべき内容では!? とシェーラは言い返しながら、緊張して辺りを探る。

 そして、リルの指摘が嘘ではないことを知った。


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