第10話 明日思い出す光景

 シェーラにとって、人に頼る、より掛かる、お願いするというのは、考えるだけで気が重いことだった。


 仕事なら、ある程度は大丈夫だ。

 部下を適切に配置して使うのは上官の責務であり、力量が問われる部分である。

 その結果に責任を負うところまで、仕事の範囲として誠心誠意取り組むことができる。


 私生活では、そこまで割り切って考えられない。

 なにしろ、自分以外の誰かに何かを託すというのは、賭けのようなもの。

 シェーラは、不確かな結果を思ってやきもきするのが非常に苦手な性分だった。


(相手の力量や状態によって、得られる結果が変わってくるというのが、しんどい)


 良い結果ならともかく、悪い結果で「これなら自分でやった方が」などと考えてしまえば、もう目も当てられない。

 その不満は絶対に、相手に伝わってしまう。どうあっても、摩擦が生じる。

 アーロンの澄んだ目を見つめ、シェーラはぎこちなく言葉を紡いだ。


「私は子どもの頃、『奥様』になるようにと言われていました。どういうわけか、私にはそれが怖かったんです。奥様になるには、旦那様が必要ですが、そうして他人に自分の人生を預けたとき、楽になるというより、気を張って疲れてしまうのではないかと。いろんなことが相手次第となり、予測がつかなくなって、不安になったり、失望したり、それを相手に気づかれてぎくしゃくしたり。そういう、悪いことがたくさんあるような気がして」


 その考え自体は、子どものときにいきなり芽生えたものではない。

 ただ、成長過程で言語化したら、そういうことではないかと気づいたのだ。

 それがよりいっそう、シェーラを剣の道へと邁進まいしんさせた。


「結婚に、夢がなかった?」


 言葉少なに確認される。

 シェーラは即答を避けて、なんとか自分の考えを説明をした。


「嫌な思いをしそうだな、という警戒心です。それで、『奥様』以外の生き方も選択肢にあればと思い、努力をしてきました。それで、自分が優先しなかった、できなかった生き方には、苦手意識があります。つまり……、私生活において『男性に頼る自分』というのは、受け入れ難いものがありまして」


 面倒なことを言っている自覚は、ある。


(私は恋愛に至るだいぶ手前で、諦めてしまう。「相手を信じる気持ち」が、ひとより脆いんだ。だけどこの心の弱さを「愛される自信が無いから」と言い換えられるのも嫌で)


「頼る気にならなかったのは、頼りたいと思える相手に出会わなかっただけでは? 俺はどうですか」

「えっ……」


 ぐずぐず考えている間に、さらっと、返されてしまった。


(アーロン様、いまの私の話、聞いていましたか? 普通なら、ここは面倒な女だなって了解して「そっか、頑張ってね」って突き放して、そそくさと去って二度と連絡しようと思わない場面ですよ!)


 不思議がるシェーラに対し、アーロンは真面目くさった顔で言った。


「シェーラさんは仕事に力を入れてきたということですが、そのシェーラさんより、俺は仕事において出世していまして、実力も地位も収入もあります」

「はい」


 シェーラは副騎士団長だが、アーロンは魔術師団長だ。単純に比較して、きっちり上だ。


「さらに、シェーラさんほどではないにせよ、戦闘職なので体も鍛えています。その点でも、大きく引けを取ることはありません」

「……そうですね」

「その他諸々、客観的に見てシェーラさんに特に負けているつもりはないんですが、それでも俺は頼り甲斐がないですか? デートの舵取りすら任せられない?」


 結論が、デートの舵取りであることに、シェーラは内心(あれ?)と引っかからなくもない。国内屈指のハイスペックエリートの能力の見せ所が、デートとは。

 むしろそれはやらせてはだめなやつでは、エリートの無駄遣い、とシェーラは若干焦って早口となる。


「アーロン様にとって、負担ではと、思っているだけです。不当な仕事配分といいますかもっと違うことに能力を使うべきひとで」


「不当だなんて思わない。今この場には俺とシェーラさんしかいなくて、デートという共同作業中で俺が舵取りそれを引き受けないってことは、シェーラさんが全部引き受けるってことですよね? 俺はその方が嫌だ。だいたい、こういうことは、負担じゃないしむしろ嬉しい。頼られるの大好きだし、会話に詰まるくらいならがんがん喋るし、行き先が決まらないならさっさと決めたいタイプ。俺はそういう性格。怖い? 嫌? 支配的でヤバい?」


 矢継ぎ早に尋ねられて、シェーラはもはや、感心の域だった。


「頼られるのが好きだなんて、そういうひと本当にいるんですね。利用されても構わないってことですか」

「構わないですよ。俺、全然余裕なので。そのへんの男よりよほど何でも持っているので、たとえ悪意ある人間に近づかれてむしり取られても、ノーダメージです。減り過ぎたら稼ぎます。あまり侮らないように」


 最終的に、にこっと微笑まれた。

 そこに言い知れぬほどの強い圧を感じて、シェーラは「はい」とお利口さんな返事をした。


(そっか、そうかも。アーロン様は、私より全然強いんだ……。たぶん私以上に、自分ひとりでなんでもできる。そんな相手に私がいくら吠えても)


 お前ごときに何ができるんだ、と。「俺に任せておけ」がこれほど似合うひとも、世の中にそうそういないんだな、と納得してしまう。


「私も、頼るよりは頼られる方が、自分でいろいろコントロールできるという意味で楽なんですけど。そのくせ都合よく使われたり、利用されるのは嫌だなって思ってしまう小者です。アーロン様は、格が違いますね」


 決して、阿諛追従あゆついしょうではなく、心からの称賛を口にする。アーロンは笑みを浮かべたまま、爽やかに尋ねてきた。


「少しは安心した?」

「安心した……かも?」


 自分でもまだ整理がつかず、シェーラは首を傾げる。

 その曖昧な態度を受けてアーロンは、さらに押すことに決めたようで、立て板に水のごとく並べ立てた。


「俺は寄りかかられても倒れたりしないし、俺といた方がシェーラさん一人で行動するより良かったと思えるように力を尽くします。そのうち、シェーラさんは一人だとつまらなくて、二人でいる方が楽しいって思うようになる。つまり、シェーラさんは俺に会いたくなるんです。頼るためじゃなくて、ただ顔を見たいだけ。利用したいんじゃなくて、些細なことでも助け合いたい、相手の力になりたい、そういう気持ちだけで。一緒にいることが、二人の喜びになる」


 ダメ押し。

 もしそれを口にしたのがアーロン以外の人物であったら、シェーラは戸惑っただけかもしれない。頷くことはできなかっただろう。

 アーロンが相手でさえ、迷いはある。


(会いたくなる……。一緒にいたくなる。アーロン様と)


 一緒に食事をして、会話をする。

 こんな面倒くさい話をぶつけても、躊躇なく自分の考えを言ってもらえて、話し合える。そういう関係。

 それは即座に愛とは呼べないにせよ、心地よい。


「私はそれで良いとして、アーロン様には何か見返りがありますか?」

「あります」


 即答されて、シェーラは「ああっ」と大きな声を上げた。

 忘れるところだった。真の目的を。


「そっか。騎士団と魔術師団の仲直り、ですね。アーロン様の場合、魔術師団長としてメリットがある、と。すみません、個人的な会話が弾んでしまったせいで忘れるところでした!」

「ん? シェーラさん、ん? いまかなり良い空気になりかけたのに、最後の最後で明後日の方に話が飛んでないかな。え~っと」

「飛んでないですないです、むしろ軌道修正しました。は~、政略結婚ですもんね! 私、完全にアーロン様に恋をしている気分になっていましたけど、これ、政略結婚ですもんね! あ~、ドキドキしたなぁもう。アーロン様、かっこいいんだもん。政治的な話だってわかっていても、恋愛みたいでした!」


 大事なことなので、何度も繰り返す。

 忘れないように、自分に言い聞かせるために。

 アーロンはぼさっとした、寝起きのように腑抜けた顔でシェーラを見て、小さくため息を付いた。


「わかりました。今日のところはそれで良いです。明日朝起きたときに、今日楽しかったことを思い出して頂けるように、この後も全力で思い出づくりをします。景色の良い場所に行ったりして。デートなので」

「良いですね!」


 シェーラが同意すると、アーロンは繋いだ手を離し、「失礼」と言って、シェーラの細い腰を片腕で抱き寄せた。「え、わ、あれ?」とシェーラは焦ったものの、アーロンの腕の力は強く、押しのけることができない。

 そのまま、アーロンは遠くの空を見上げて言った。


「それじゃ、景色の良い場所まで飛びますよ。暴れないでください、落とすと危ないので」


 地面を蹴り、空へと飛び上がった。




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