第3話 いざ尋常に、見合いを

 王都街中の、噴水広場にて待ち合わせ。


 天気は快晴。陽射しはあたたか。

 周りには腕を組んで幸せそうに連れ立って歩く男女が多数。

 ぼんやりと見ていたシェーラの視線の先で「待った?」「ううん、今来たところ」と出会い頭の男女が、そのまま濃厚な口づけをはじめて、慌てて視線を逸らした。


(う、うわー!? 目のやり場に困る……っ。も、もう少し爽やかにできないのかな? 音まで立てて……っ)


 居合わせた自分が悪いような気まずさに、シェーラは噴水を振り返る。

 空に向かって弾ける水しぶきに、集中しようとした。

 水はキラキラと光を撒き散らしながら、音を立てて降り注いでいる。明るい陽射しにあてられて、シェーラは目を細めた。


(場違い感がすごい。お互い王宮勤務なのだから、わざわざ外で待ち合わせなどしなくても。見合いなら食堂ですればいいだけでは。こんな、デートのような)


 団長に呼び出されて見合いを命じられた翌日、アーロンからは丁寧な筆致の手紙を受け取っていた。

 待ち合わせ場所と時間の他に、見合いを受けてもらって嬉しいという旨が記されていた。

 忙しいひとだけに、自分で書いた手紙ではないかもしれないが、それにしても良い代書屋もいるものだ、と感心するほどの出来栄えだった。


 シェーラがあと五歳若く、行き遅れにしてもぎりぎり適齢期の末期に引っかかっていて、まだ恋に夢を抱いている頃ならときめいたかもしれない。

 しかしシェーラとて、現実は見えている。これはそんな甘いものではない。

 はあ、と我知らず重い溜息がもれてしまったそのとき、背後から声をかけられた。


「シェーラさん。お待たせしました」


 ハッと息を止めて振り返る。

 少し離れた位置から声をかけてきていたのは、黒髪の青年。

 陽射しにさらして良いのか気遣いたくなるほど白くなめらかな肌の、玲瓏たる美貌の持ち主。それでいて女々しい印象はなく、光を湛えた紫の瞳が楽しげに微笑んでいる。

 服装はひとめで仕立ての良さの知れるジャケットにズボンと貴族的であり、彼のどこにも無駄のない体つきを引き立てていた。

 きわどいまでに普段着すれすれの男装で来たシェーラとしては、漠然と相手も普段の魔術師の装いで現れると思っていただけに、完全に意表をつかれてしまった。


(えっ……だけど、そういえば私、アーロン様のお顔をよく知らない。もしかして人違いでは?)


 冷静に考えればそんなはずないのに、わずかの可能性に賭けて尋ねてしまった。


「私のお待ちしている方は、アーロン様という魔術師なんですが」


 にこり、と青年が薫るほど鮮やかに微笑んだ。


「いま、あなたの目の前に。今日はデートに応じてくださってありがとうございます。王宮勤めをしてきた日々の中で、一番の役得です。楽しみにしすぎて、ここ一週間ほとんど寝られませんでした。今も少し、震えています」


 蕩けるよう笑みを浮かべて、歯が浮くほどの口説き文句を口にしてくる。シェーラとしては、面食らう、どころではない。

 シェーラは服装こそみすぼらしくはないにせよ、こんな男性が連れて歩くのは楽しくないであろう、筋肉質な女。

 顔立ちに女性的な柔らかさは無く、動作もいかにも俊敏で、たおやかさなど望むべくもない。

 せめてもう少し女性に見える服装をしてくればよかった、と一瞬にして猛烈に後悔しつつ、俯いてしまった。


「本当に申し訳有りません。仕事の延長といいますか、仕事そのものと考えておりまして。なぜ待ち合わせが職場ではないかといぶかしんでおりましたが……、これはやはりデートなんですか?」


 間抜けなことを尋ねてしまった。

 ちらりと見たアーロンはおどけたように目を瞬き、しっかりと頷いた。


「強引にお誘い申し上げてすみません。騎士団におけるあなたの周りはいつも鉄壁の守りの布陣でした。長年こんなにそばにいたのに、到底声をかけることもかなわず。最終的に、陛下まで引きずりだして権力に物を言わせて呼び出してしまいました」


 変なことを言い出した。シェーラの感覚がある程度真っ当であると仮定するならば、「陛下」は引きずり出してはならない。それがどこであっても。

 目をぱしぱしぱしぱし、と瞬きつつシェーラは目の前のアーロンをじっくりと見つめてしまった。アーロンは、楽しげな表情でその視線を受け止める。


(いまの言い分を聞く限り、ご自身から陛下に私との仲介を願い出たような……。いや、この場合「私」ではなく、相手は「騎士団」ですね)


 あくまで目的は、騎士団と魔術師団の不和の解消なのだ。

 シェーラは軽く咳払いをし、真面目な口調で答えた。


「まず、今日の件に関しては、謝って頂くことではありません。騎士団と魔術師団の仲が悪いのは事実です。私は騎士団の人間なので、どう公平であろうとしても騎士団寄りの考え方になりますが、騎士団にも悪い部分は多々あったと思います。このまま王宮内で戦闘職が二大派閥になっているのは、絶対的に良くないことと理解しています。陛下が問題視するのはもっともであり、いい加減解決すべき事案です」

「私も同じ考えです」


 愛想よく答えたアーロンの紫水晶の瞳は熱っぽく、見つめていると落ち着かない気分になる。


(顔に……、私の顔に何かついていますか? そんなに見ないで頂けますか……!?)


 ただでさえ、白皙の美貌。シェーラは目のやり場に困っているというのに、アーロンは素早く数歩進んで距離を詰めてきた。


「あなたは本当に素敵です。こんなに近くでお話できる日がくるなんて、夢みたいです。ずっとこうして、あなたとともに過ごす時間を持てることを願ってきました」

「ひっ、あ、あまり大げさなことを言うのはやめてください! 私が本気にしたらどうするんですかっ」

「俺は本気です。本気にしてください」


 見つめていられずに、シェーラは顔を背けた。

 胸がばくばくと痛いほど鳴っていて、しずめようにもどうにもできない。


(あの目に何か秘密があるのでは……!? 「魅了」の魔法のような!! この動悸息切れ。虚弱体質でもないのに、まだ私の体は鍛え足りないということ? 魔法耐性の低さが問題? 相手が悪いのかな。史上最強魔術師団長の前には、副騎士団長とはいえ、なすすべがないと……)


「どうしました? 深刻な顔をして」


 絶妙なタイミングで声をかけられたせいで、思ったことがそのまま口をついて出てしまった。


「帰ったら、鍛錬しなければと思いました。心臓を鍛えます。心臓を」

「心臓?」

「いま、ダンジョンの奥で九竜大蛇ヒュドラを相手どったときよりも心臓が落ち着きを失ってしまって……。こんな街中で人間を前にしているだけなのに、不覚です」

「不覚、ですか」

「はい。アーロン様は我が国最強の魔術師なわけですから、九竜大蛇ヒュドラより威圧感があってもおかしくはないと思うんです。でも、いまは武装しているわけでもなければ、私に戦闘を仕掛けているわけではありませんよね? それなのに私だけがこんなに緊張するのはおかしいと思うんです。副騎士団長なのに、情けない」


 真剣に話すと、アーロンもまた真面目くさった顔で耳を傾けており、「なるほど」と真摯な様子で頷いた。


「シェーラさんの周りの男性が、牙を向いて男性を近づけないようにしている理由がいまよくわかりました。戦場ではあなたの武勇に守られている下っ端でさえ、あなたを『日常の脅威男性』から遠ざけるために敷いている包囲網といったらないですからね。あなたのその心臓の弱さは、男性への耐性の無さです、間違いありません。この上は俺が『心臓の鍛錬』のお手伝いをさせて頂きます。ぜひに」

「ご、ご親切に、ありがとう、ございます?」


(手伝い?)


 半信半疑で尋ねたシェーラに、アーロンは微笑みながら手を差し出してきて、言った。


「かなりの荒療治となりますが、頑張って下さい。まずは今日一日俺としっかり手をつないでデートをすることです。これでかなりに対する耐性は上がります」

「男性に対して強くなるということですか」

「男性全般へはどうかわかりませんが、少なくとも俺に対しての耐性はすごく上がりますね。上がったら上がったで、俺の方でもさらに全力で仕掛けさせて頂きますので。平たく言うと、ずっとドキドキさせてますよって意味なんですけど」

九竜大蛇ヒュドラよりも」

九竜大蛇ヒュドラには負けられない」


 言うなり、アーロンはシェーラの手を取った。細い見た目に似合わぬ、強い力。引き寄せられてその顔を見上げると、アーロンは紫水晶の瞳に不敵な光を宿して宣言した。


「行きましょう。あなたが女性で最初の副騎士団長まで上り詰めたのは素晴らしいことだと思います。まさに、鍛錬の賜物ですね。脇目も振らずの邁進だったとお見受けしますが、そろそろこの先の未来についても考えましょう。仕事と結婚。両方獲得するというのは、そういうことであって」


 ――仕事と結婚はどちらか一方だけを選ぶものでもないと、考えている。君は、将来結婚だけをするつもりで体を鍛えていなければ、騎士にはなれないけど、騎士になるつもりで鍛錬を怠らず、その上で結婚するなら、両方叶えられる


 ふっと胸に浮かんだ言葉。心の底でいつも大切にしてきた子どものときの記憶。


 シェーラはまじまじとアーロンを見上げた。

 見返されて、そのあまりにも真っ直ぐな瞳に心臓が落ち着かなくなり、どうしても不甲斐なく目をそらしてしまう。

 しかし、あまりにも過剰に顔をそむけてしまえば、敵意があるかのようだ。シェーラは、大いに自分の弱さを反省した。


(これは心臓の鍛錬のため。そう。心臓の)


 自分に言い聞かせながら、繋いだ手に力を込める。

 すぐに、きゅっと握り返されて、またもや心臓が跳ねた。その勢いで、叫んだ。


「やっぱり、手をつなぐだなんて、あんまりです! 私の心臓は弱すぎるんです! アーロン様には勝てません!」


 わかりました、と答えたアーロンは速やかに手を離した。その鮮やかさに、ほんの少しの名残惜しさを覚えつつも、助かった、とシェーラが息を吐いたところで。


「勝ち負けの話にしてしまうと……。あなたは、今日団に帰ってから、俺に負けましたと報告するんですか」

「報告」


 それがどのような悪夢を引き起こすか、シェーラはまざまざと想像ができた。


(騎士団の名折れ、面汚し、風上にもおけない。副騎士団長など務まらない……、喧々諤々けんけんがくがくの騒ぎになる。魔術師団との和解どころではない)


 全・面・戦・争。


「できません……。私がここでアーロン様に負けてしまったばかりに、王宮全壊の危機だなんて」

「全壊。そこまでですか。騎士団の本気は」


 シェーラはそこで、がばっとアーロンに飛びついて、両手でその手を掴んだ。「えっ?」と困惑した声が耳をかすめたが、構ってはいられなかった。


「今日一日、どこへ行くにも私に手を握られていて頂けませんか? それこそ、いつ誰に偵察されていようとも、このデートは大成功で私の大勝利……、そこまで言ってしまうと言い過ぎなので、引き分け的な」


 言葉尻を濁したシェーラとは対照的に、アーロンは光り輝くばかりの笑みを浮かべて力強く頷いた。


「デートが大成功なら、俺は負けでも大敗でも構いません。勝利その他必要なものは全部あなたに差し上げます」


「謙虚ですね……っ! アーロン様、本気ですか? すみません、私、いままでアーロン様のことを誤解していたと思います。もっと勝利に貪欲な方かと……。よく知らないのにイメージでひとを判断してはいけませんね。謝罪します」


「それこそ、謝らないでください。今日一日仲良く手を繋いで……手を」


 そこで、アーロンが不自然な間を置き、黙り込んでしまった。


「……アーロン様? どうなさいましたか?」

「今さらながら罪悪感が」

「なぜ? 私は無理やり拘束されているのではなく、むしろ拘束している側ですよ? 拘束されているアーロン様が罪悪感を覚えるというのはどうしてですか?」

「ああ、なるほど。ではこの状況は、俺が捕まった、と」


 繋いだ手を持ち上げて示すアーロンに対し、シェーラはにこにこと笑いながら答えた。


「はい! 捕まえました!」




 このとき、当然にしてこの二人を遠巻きに監視している者が多数いた。

 魔術師団精鋭(休暇中)数名、騎士団精鋭(休暇中)数名、それぞれ、二、三人の組み合わせもしくは単独で噴水前の二人を監視していた。

 彼らは見た。

 シェーラの笑顔を前にしたアーロンが、まるで敗北を認めるかのように、ゆっくりと膝をつき、その場にくずれ落ちたのを。



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