第4話 伏兵は気づかない
(ずしゃ?)
シェーラの耳には、そう聞こえた。
目の前でアーロンの体が傾ぎ、石畳に片膝をついたのだ。その寸前、まるでシェーラを巻き込まないようにするかのように、繋いだ手は離されていた。
ずしゃ、という乾いた音は、膝が砂利を擦った音であろうか。
顔色はどうだった? 持病でもあるのでは? もしくは、遠隔攻撃を受けた?
まさか史上最強と名高い魔術師団長相手に、一撃を加えるような刺客が!?
思考はめまぐるしく、体の反応はさらに早かった。シェーラは一切ためらわずに踏み込んで、自分より上背のあるアーロンを両腕で抱き上げた。
「衛生兵!」
澄んだよく透る声が、青空の下、広場に響き渡る。
男装に近い身なりのシェーラは、見た目こそ細身の美青年であるが、大の男であるアーロンをその腕に抱えてもびくともしない。
周囲の注目が集中する中、シェーラは索敵するが如く、視線を抜かり無く辺りにすべらせる。
広場に面した店舗の影で、道にまでせり出したカフェのテーブル席で、あるいは遠くの高い建物の窓辺で、さっと姿を隠した者がいたが、絶妙にシェーラの視線から逃げ切っていた。
一方、抱き抱えられたアーロンは、はっきりと狼狽した様子で、シェーラへと訴えかけた。
「すみません、シェーラさん! 大丈夫です大丈夫! ただの立ちくらみです!」
だから、と逃れようとするアーロンをがしっと抱き直して動きを完全に封じ、その顔に視線を落として、シェーラは毅然とした口ぶりで言った。
「不覚を取りました。私がついていながら、団長に傷を負わせるなど。狙撃ですか?」
長い睫毛が頬に優美な影を落とし、水色の瞳は憂いを帯びて細められる。
至近距離で見つめ合ったアーロンは、一切の抵抗をやめて、滲むような笑みを浮かべた。
「傷は負っていません。いままさに現在進行系でハートが若干傷ついていますが、べつにガラス製というわけでもないので、すぐに立ち直りますから」
「ハート? まさかの心臓狙い撃ちですか! 手練れの伏兵がいるようですね……! 私に気配も悟らせず、団長にダメージを与えるなんて、並の相手ではないでしょう。市民の避難誘導、同時に友軍との合流をはかる必要が。……アーロン様?」
まるで天に召されたのかという安らかさで、アーロンは瞑目していた。
心配になったシェーラが名を呼ぶと「大丈夫です、ただの瞑想です。手を離して頂けますか?」と言って、シェーラの腕から下りて軽やかに立ち上がる。
並んでしまえば身長差は歴然であり、アーロンはシェーラを見下ろして穏やかに言った。
「市民の避難誘導は必要ないでしょう。たしかにいろんな意味で心臓を狙い撃ちにされて、いま俺こう見えてかなりドッキドキしてますけど、大丈夫です。衛生兵も召喚しないでください。手に余るでしょうから」
冗談めいた明るい口調で言い終え、胸に手をあてる。指の長い、骨ばった大きな手。心臓の位置をかばうようなその手の動きを前に、シェーラは痛ましいものを見るように眉をひそめた。
「脅威は去ったということでしょうか。もしかして団長、いま私が気づかぬうちに、敵に反撃でもなさったんですか? すみません、私、全然力不足ですね。敵影もとらえられませんでしたし、攻撃も防げなくて。何やってるんだろう。非番だからって気を抜きすぎました」
「いえ、非番なのですからそのくらいで大丈夫です。というかあなたはもう少し手加減を覚えた方が良いくらいです。これ以上頑張られると俺の心臓がもたないのでいろんな意味で」
やけに早口で、会話を打ち切ろうとしているかのようなアーロン。それがまたシェーラの、いたたまれない思いを加速させる。
「アーロン様、心臓が弱いとは存じ上げませんでした。それも当然と言いますか、騎士団と魔術師団は長らく不和の状態あったわけですから、弱点など公表できるわけないですよね。私も、知ったからといってそれをネタにどうこうするつもりはないです。できる限り、
「お気遣いは大変ありがたいですが、この場合、忘れて頂くのが一番です。自分自身の心臓が強いか弱いかについて、俺はよくわかっているつもりです。断じて弱くはない」
だから、ね? と言わんばかりに小首を傾げて微笑まれ、シェーラは「うっ」と手で口元をおさえた。
(アーロン様って、けなげで気遣いのできる大人の方なのだわ。いままで何も知らないでいけすかない男だなんて言っていて、本ッ当に申し訳ない……!)
アーロンはうっすらと笑みを浮かべたまま「君が何を考えているか、手に取るようにわかる気がするけれど」と前置きをしつつ、手を差し伸べてきた。
「ひとまず、移動しましょう」
「はい、いつ敵が戻ってくるかもわかりませんからね! ですが、いつまでも泳がせたままではいられません。撃退する好機があればすぐに合図をください。今度は私も不覚を取ることはないでしょう」
勇ましく断言しながら、シェーラはアーロンの手を取る。そうするのがごく当然とばかりに、自分から手を繋いだシェーラ。それを面白そうに紫の目を輝かせて見つめて、アーロンはくすっと笑い声をたてた。
「その通りだ。泳がせたままではいられない。ここぞというときには、捕まえないと、ね」
そして、繋いだ手を持ち上げると、唇の端をつり上げて実に魅力的にシェーラに笑いかけた。
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