第8話 誤解と思い込み

 完食。


 ボリュームのあるパンケーキを、特に困惑する様子もなく食べ終えたアーロンを前に、シェーラはひそかに舌を巻いていた。


(「私の行きつけの店で、私と同じ物を注文しても食べきれないかもしれませんよ」と注文するときに警告くらいはできたのに、言いそびれてしまって……)


 意地悪をするつもりはなかったが、親切ではなかったと思う。

 言えなかった一番大きな理由は、これまでアーロンとはほぼ会話らしい会話をしたことがなかったということ。

 気を使わない相手なら「多いですよ」くらい言えるのだが、そもそもシェーラはアーロンの標準食事量がどの程度かわからないこともあり、まごついているうちに忠告の機会を逃したのだ。

 かくなる上は、どんな状況になっても自分が責任を持って食べよう……! と決意していたのに、杞憂に終わった。


 思った以上に話が弾んで、気づいたときには二人とも皿は空となっており、追加の茶を頼んでいた。

 アーロンは、食べ過ぎで苦しんでいるということもなく、至って平然とした態度である。シェーラはその端正な顔を見つめ、思い切って尋ねた。


「アーロン様、いまさらなんですけど、パンケーキ多くなかったんですか?」


 ちらっと視線をくれたアーロンは、目を細めてふわっとはにかむように微笑んだ。


「若干、多かったですね。確認すれば良かったんですけど、俺が舞い上がっていたせいです。ろくにメニューを見なくて。食べ切れて良かった」


 ごく自然な口ぶりで返されて、シェーラは「多かった、ですよね!」と前のめりになった。


「言えば良かったんですけど、アーロン様がどのくらいお召し上がりになるか想像もつかなくて……。試そうとしたわけじゃないんですが」

「いえいえ、全然気にしないでください。すごく美味しかったです。普段は入らないお店なので、勉強になりました。こういうの、楽しいですね」


 そこまで言われてしまえば、「でも」などと食い下がることはできない。

 ただひたすらに(出来たひとだな……!!)と感心してしまっていた。


(騎士団の手柄まで強奪しまくりの横暴な天才とか、女性を泣かせてばかりいるいけすかない男だとか、本当に今まで良くない評判ばかりで、私も敢えてこの方には近づかなかったけど……)


 仕事で必要があれば、話すのはやぶさかではないと思っていた。

 しかし、彼の場合は「女泣かせ」の件がある。

 恋愛の意味では異性との接触がまったく無いシェーラの場合、うかつに近づくのはやはり怖かったのだ。

 一切、彼の虜にならなければ恐れるに足らずだが、もし好きになってしまえば相当深い傷を負うものと、危ぶむ気持ちもうっすらとあった。


 だから、というのは逃げが過ぎるにせよ、周りが「近づくな」と言うのに甘んじて、彼を避けてきたところはあるのだが……。

 全然嫌なところがない上に、話しやすく気遣いもしてくれる。

 これならば女性に人気があるのもわかる、と噛み締めながらシェーラはしみじみと言った。


「私、アーロン様を知りもしないまま、ずっと苦手意識を持っていたんですけど、今日お話をしてみてわかりました。想像の500倍くらい優しかったです」


 それまで余裕そうにしていたアーロンだが、落ち着きのない様子で足を組み直した。


「逆に500分の1の俺の言動は、どのくらい鬼畜外道として想定されていたのか興味があります」


 今までどう思っていたんですか? という確認らしい。

 シェーラは今日この場に来るまではアーロンに冷ややかに対応されることを想定していただけに、「ええとですね」と思い返しながら答えた。


「『お前のような野蛮な女が見合いだの嫁入りだの百年早いわ。俺を誰だと思っている? この、山から下りてきたばかりの野猿め!』って私を冷酷に罵る感じですかね」

「誰ですかその男。今から殺してきます」


 速やかにアーロンは立ち上がる。

 その右腕にはすでに暗黒めいた魔力が渦巻いて絡みついており、バチバチと火花のようなものが散っていた。

 あっ、と声を上げてシェーラも立ち上がる。


「感じ悪いver.アーロン様(概念)です! 非実在です!」

「非実在だろうと、俺がその気になって倒せない相手はいません。絶対に許さない」

「あぁぁ……、その……ここは私に免じて収めてください」


 強烈な魔力を帯びた右腕に手を伸ばし、シェーラはぼそぼそと告げる。

 その指先が触れるかどうかの距離で、アーロンは溢れ出していた殺気と魔力を収めた。

 シェーラはほっと息を吐きだしながら、ためらいつつ指先でアーロンの手に触れた。


「ものすごく女性にモテる男性なら、私のような女は相手にしないだろうって、勝手に思い込んでいただけです。でも、そんなわけないですね。私みたいな相手にも優しいから、女性にモテるんですよね?」


 当初は「モテるがゆえに女性を軽んじる男性」と悪い方に考えていた。

 しかし、アーロンの場合は「モテるくらいに性格が良い」ということがわかってしまった。


(……だと思う。私、甘く考えすぎかな? 男性に耐性がなくて、騙されているだけ? だけど私は騙すほどのメリットもない相手だし。それとも、アーロン様は騎士団と魔術師団の抗争の終結のために無理をなさってる?)


 ぐるぐる考え始めた理由は、いたって単純。

 シェーラ自身が、アーロンはだと信じたいのだ。

 アーロンは、シェーラの指先が触れた手を見下ろして、軽く指を絡めながら、口元をほころばせる。


「あまり、自分のことは卑下しないようにしましょう。それ以上言うと、あなたが嫌だと言っても、俺はあなたの良い点を並べ立てて追い詰めますよ?」

「……あれっ?」


 言動が鬼畜外道になっていませんか? とシェーラが首を傾げたところで、アーロンは優しく手を引いた。


「それでは、食事も済んだところで、少し歩きましょうか」


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