第10話 噓でしょ



「えっと、それじゃあ......行ってきます」

「はーい!言ってらっしゃい傑さん!」


 そっと目を閉じるエマさん。......ん?


「エマさん?」

「はい」

「どうしたの、急に目を閉じて」


「え、いってきますの......キスは?」


 いやもしかしてこれはキスを求められているのかな?とは思ったがキスだったーーー!!!

 ど、どうする俺......やってしまっていいのか、これ。


 再び瞼を閉じて、こちらに顔を向けるエマさん。すらりと伸びるまつ毛、綺麗な鼻筋、そして......ふっくらとした桃色の唇。


 嫁だから、良いんだよな。なにをビビる必要があるんだ。そうだよ、嫁だよ?この人(妖)は。


 顔をゆっくり近づける。彼女の微かに聞こえてくる吐息が生々しい、ふんわりと鼻腔をくすぐる優しいフローラルな香り、緊張しているのかぴくぴくと動く獣耳......。


(もう少しで鼻先が触れる......)


 ――俺は瞼を閉じる。


 ドッドッドッと心臓が爆音で鳴っている。目を閉じる直前まではっきりと顔が見えていた分、昨日の夜のあれより緊張感がすごい。

 ヤバい、心音が聞こえてないか......童貞まるだしで引かれないか......てか、そろそろか?どこだ?エマさんの唇は......くそ、目を閉じてるからわからん!!


 ここでクソエイムを披露してしまうのか、俺は......間違えて鼻先とかにキスしちゃったらドン引きされるだろうか。額や頬ならセーフなのか。


 くそがぁ!世の夫婦はこんな難易度の高い戦いを毎朝繰り広げているというのかぁ!?

 どこどこ!?もうエマさんの顔がどこにあるかすらもわからんくなっちまった!!


 駄目だ......もう、薄目で位置を再確認するしか。


 おそるおそる、そっと瞼を薄く開ける。


「......あの、流石にそろそろ......恥ずかしいんですけど」


 超至近距離のエマさんのご尊顔。湯気が出てきそうな程の赤い顔。ジト目でこちらを見ていた。


 あまりの近さに固まってしまう俺。多分、彼女と同じく顔が真っ赤なんだろうな。


「......えっと、その......」


 するとその瞬間、背を伸ばし顔を近づけてきた。密着する体。


 ちゅっ、という微かな音。それと同時に頬に触れた柔らかな感触が残る。


 彼女は一歩しりぞき、潤っとしたジト目で俺を睨む。顔が赤く、俺と同じくらいに恥ずかしさを感じているのだとわかるほど。その感情に同調するように、尻尾がばったばったと激しく動いていた。


「......では。行ってらっしゃい、傑さん。お気をつけて」

「うん、行ってきます」


 俺は今までの人生で最も甘く、刺激的な朝の時間を終え、会社へと向かったのだった。



 ――



 さてさて、傑さんが帰ってくるのは早くて十七時。今が八時半なので、それまでに掃除と洗濯、夕飯の用意を終えねばなりません。

 時間はあっという間に溶けて消えてしまうので、さっそくやっていきましょうか。


 まずはお掃除から。とりあえず明らかなゴミであるものを分別して処理。そして傑さんのつかっている形跡のあるものは横によけといて、後で判断してもらいましょう。


 本来であれば神通力を使えばらくに掃除もできるし、分身をだせば同時にすべてをこなすこともできますが、呪力も残り少ないので今日は一人でこなします!


(......朝のチューで多少の呪力回復が望めるかと思ったのですが、それも叶わなかったのでしかたありません)


 そういえば、傑さんから呪力を殆ど感じないですね?昨晩も一緒に寝たのに呪力があまり得られませんでしたし......あ、いえ、呪力目的でご一緒したわけではありませんが。


 力が弱まっているんでしょうか。出会った時は供給できるほどの呪力量をお持ちでしたのに。


 と、そんな事考えてる場合じゃない。しっかり家事をして、傑さんに喜んでいただかないと。


「さあーて!覚悟して下さい、傑さんの汚部屋......じゃない!今の無し!!お部屋です!!お掃除開始です!!」


 傑さんに聞かれてないので、せふせふ!あっぶねぃ!


 とりあえずこの床に置かれている空き缶と雑誌、空き箱の類やその他色々を集めて、始末しましょう。


 ゴミ袋を用意し、ひょいひょいと集めていく。


(......あれ、そういえばこの部屋)


 ゴミ箱がなくないですか?それにお掃除用具も無いような。

 何でしょう......ちょっと色々確認しなければならないことがある気がしてきました。


 ――十分後。


 ふぅむ、なるほどなるほど。これはあれですね。色々と買ってこなければなりませんなぁ!

 しかし、買い物は物量的に時間がかかりそうですね。あと夕食の材料も考えて買わねばならない。


 そして、掃除も並行してやらねば......うーん、どう考えても時間が足りない。


「ま、しかたないか!」


 分身使っちゃいましょう!


 ボンボンボン!と私を二人作り出す。六つの尻尾のうち、二つが消えエマの分身体である、一尾のイチコと二尾のニコが出現した。


 分身体は見分けがつくように(他人から見て)髪型を一人ずつ変えてあり、イチコはショートでニコはツインテールで設定してある。


「さてさて、お二人をお招きした理由はもうおわかりですね?夕飯の買い出しと必要雑貨の買い出しを頼みたいのです......よろしいですね?」


 イチコ、ニコは真剣な表情で頷きこう言った。


「いやだ!」「ちょっとイヤかも」



 嘘でしょ!?嫌なのっ!?




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