第5話 ぬくいねえ
すぅっと吸い込む冷気。コンビニを出た俺とエマさんを包む空気は、来るときよりもしばれているように思う。
はぁ、と彼女は両手に息をあてて温めていた。
携える買い物袋。一歩踏み出した足音に遅れ、雪を踏みしめる音が重なっていく。
鼻腔をくすぐる冬空の独特な匂い。
(......隣には嫁を名乗る美少女アイドル)
夢のような話ではあるがこの痛いくらいに凍てつくしばれた空気がそうではないことを知らせてくる。
「ホントにしばれますねえ、北海道の夜は」
「え?......ああ、そっか。これまではどこに住んでたの?やっぱり東京とかかな......あ、でも分身があるなら住む場所はどこでもいいのか。便利だな」
いいなぁ、分身。俺も欲しい。
「いえ、今まではどうしても必要な時以外は分身を出してはいませんよ。あれかなり呪力消費重たいので。燃費悪いんですよねぇ」
「へえ、そうなんだ」
「なので東京にずっと住んでましたよ。アイドルにもならないとだったし、色々と都合が良いので十四で上京しました――」
――楽しそうに身の上話を語る彼女。
けれど、まだ今日再会したばかりで、俺はこの子の事は殆どなにも知らない。
ただわかっているのは、この人が誰もが知る大人気アイドルだということだけ。
(......ホントに綺麗な人だな。や、妖なんだけど)
人となんら変わらない、十七の女の子の容姿。
凍りついている長いまつ毛、呼吸の白い煙ですら美しくその魅力に取り憑かれそうになる。
いや、そういう意味でいえば、人をこえた美しさ。人ならざる魅力がある。
「――まあ、傑さんをさがすのにもアイドルになったほうが手っ取り早いかなぁって思ってたんですよね。わんちゃんそちらから見つけてもらえるかなって考えもあったり......いや、人間時の姿を見せてなかったんで結局意味が無かったんですけどねえ、あはは」
俺には......そんな彼女ほど魅力的な人間じゃない。だからこそ考えてしまう。
「諦めようとは思わなかったのか?ただの口約束だったのに」
ただの口約束。彼女がこれほどに頑張れた理由を俺は不思議に思った。
すると彼女がムッ、と赤い頬を膨らませた。お、怒った?
「あーあ。なんでそんな事いうかなぁ」
「いや、大変だったろうし。それに十年前の約束だぞ。なのになんでそこまでして......」
「私、言いましたよ?傑さんだから好きになったって」
彼女の語気が少し強まった。
「でも、エマさん十年前の俺しか知らなくない?」
「それで十分じゃないですか」
彼女は星空を見上げた。
「傑さん知ってましたか?呪力って色々な情報が流れていてるんですよ?ある種、生命エネルギーや血液みたいなものなので、持ち主の情報が宿っているんです」
「そうなんだ。呪力ながされたこと無いから知らんかった」
って、事は彼女に呪力を分け与えたあの時。
「......私、傑さんの事知ってます。呪力から感じ取れたあなたはとってもぬくくてなまら優しかった。だから、あの時から私は、傑さんのこと好きになってしまったんです。ふぁ、ぁ......へくちゅんっ!」
盛大にくしゃみをして「えへへ」と照れるエマさん。ネックウォーマーも手袋も忘れたこのしばれ空の下、無理もない。
「すみません、しまりませんねえ。あはは」
俺は自分がしている黒い手袋の左を脱いだ。不思議そうにみているエマさん。そんな彼女に俺は脱いだ手袋を「はい」と言って手渡した。
そして次に首に巻いてあったマフラーを外し、彼女の首に巻いてやる。
「......へ、ええっと?」
「いや、ほらこれで顔が隠れるだろ。また妖術使われたら困るし」
「あ、ありがとうございます。でも、手袋は......片手だけで、傑さんしゃっこくないですか?」
「ん。大丈夫」
戸惑う彼女をよそに、左手に手袋を履かせる。白くて小さい。
「あ、ありがとうございます......」
そして俺は買い物袋を右手に持ち、彼女の素手に触れた。
「嫌だったら言ってくれ」
「え?」
彼女のひんやりした右手を左手で握る。まだ今日再会したばかりの知らない人......けれど、どうやら俺は彼女の旦那らしい。だからこれくらいは許されるだろう。
「......これで少しはマシかな」
驚いた表情でこちらを見上げるエマさん。その頬はさっきよりも赤くなっているような気がする。彼女は答えた。
「......なまら、ぬくいです。えへへ。傑さんはやっぱり優しくてあったかいですね」
こてん、と頭を俺の腕にあてる彼女。
「来たばかりで風邪ひかれたらこまるしな」
「おやおや、ツンデレというやつですかぁ?そんな傑さんもなまらめんこいですねえ」
「か、からかうな......手、はなすぞ」
「!?、すみませんでしたぁ!?」
「元はと言えばエマさんが忘れてくるから」
「はうう。すみませんでした、ふぇ」
泣き真似をするエマさん。何故だろう、ひんやりとした彼女の手が、なまらしゃっこいはずなのにじんわりとぬくく感じる。不思議な感覚だ。
「てか、ツンデレとか知ってるんだな」
「そりゃあ色々勉強してますからねぇ。傑さんのお嫁さんとして恥ずかしくないように」
「......それ、なんの勉強だよ」
「あれ?アニメとか観ないんですか?漫画とか」
(......この嫁、オタクなのか?)
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