第12話 すき焼き



「......ふぅ」


 少し熱めのお湯の張った湯船。俺は肩まで浸かりながら、疲れがとれるのを感じていた。


「めちゃくちゃぬくい」


 ぽちゃん、と天井についていた水滴がひとつ落ちて跳ねた。


 こうしてのんびり湯船に浸かるなんて久しぶりだ。ここ最近はずっとシャワーで済ませていたからな。

 今までは時間が勿体無いからといって、まるでゲームのTAのように時間を短縮し切り詰められる部分はできるかぎり削いできたが......こうしてゆっくり風呂に入るのも悪くないな。


 ふと帰路を思い出す。外から見える俺の部屋。明かりが灯り、俺の帰りを待つ人がいる。


 実家を出てから数年。自ら出てたとはいえ、ずっと一人でいることに寂しい気持ちがないわけもなく。


 暗く寒い部屋へと帰り、ストーブをつけ、部屋が温まるまで布団に包まり熱を求める毎日......。


 寂しさを紛らわせる為に酒を飲み、眠りにつく。これまでずっとそうした何かの代替で上手く行かない毎日と心を誤魔化してきた。


(それが......まさかこんな風に一変するなんてな)


 誰かが迎えてくれる事がこれほど嬉しい気持ちになるなんて。扉をあけて向けられた微笑みは、外の寒さを忘れさせるほどの温もりを感じた。


 ......いつまで居てくれるんだろうか。


 少し不安になる。いくら嫁に来たとはいえ、昔の約束だ。もしあれが人と妖との縛りであっても、一応は嫁に来たという条件はこれでクリアしている。


 離婚という形で解消されてもおかしくはない。


 だって、あれだけのスキルをもった美人だぞ。俺とは釣り合わないし、俺よりも良い人はこの世に腐る程いる。それに彼女は世界的人気アイドルだ......だから、芸能人やモデル、イケメン配信者、有名アーティスト、引く手数多だろう。


 こんな田舎の一人の男に留まっている理由なんて。


 ネガティブな思考が頭の中を侵食する。しかし、ふいに彼女の言葉が浮かんだ。


『――私は、傑さんだからお嫁に来たのですよ』


 あの言葉......信じても良いのかな。



 ――



「あ、お食事、もう召し上がれますよ」


 風呂上がり、髪を拭いて浴室から出てきた俺に彼女は言う。


「ありがとう。何から何まで......助かる」

「なんもですよぅ!だって、私は傑さんのお嫁さんですからね!えっへぇ」


 にこにこと笑うエマさん。テーブルに用意されたカセットコンロの上に置かれた鍋。中に敷き詰められた椎茸、白菜、えのき、焼き豆腐、しらたき、そして牛肉。


 テーブル横には炊飯器が置かれ、俺の席だと思われる場所にはグラスと瓶ビールが置かれていた。


「豪華だな......これ、結構な出費になったんじゃないのか」

「今日はちょっと奮発しちゃいました!あ、でも大丈夫ですよ?私も稼ぎは良い方なので、食費はご心配なく」

「あ、いや、そういう意味じゃなかったんだけど.....嬉しいよ」

「なら良かったです。えへっ。あ、そうそう、朝食、夕食......それとお休みの日は昼食ですね。あとオヤツ?傑さんなにかリクエストがあればお作りしますので、言ってくださいね」


「まじで?」

「もっちろん!なにかありますか?」

「......カレー、カレーが食べたいな」


「カレー、ですね?甘口辛口?」

「どっちも好きだけど、それじゃあ甘口で!」

「了解です!では明日の夕飯をカレーにしましょうか......っと、すき焼き煮詰まっちゃいますね。食べましょう。ささ、お座り下さい」

「うん」


 席に座ると彼女は瓶ビールの栓をポンッと抜いた。とくとくとくっとグラスに注がれる金色。いい塩梅に泡が盛られる。


「どうぞ」

「ありがとう」


 口をつけ喉奥へ流し込む。少し痛いくらいの刺激が心地よく、鼻から抜けるビールの香りで幸福感が満ちる。

 注がれたビールを半分くらい飲み干した。


「美味しいですか?」

「なんっっまら、上手い!!」


 ふふっ、と笑うエマさん。彼女はパコッと炊飯器をあけ白飯をよそい俺に手渡した。


「ありがとう」

「いえいえ。すき焼きは自分で?」

「うん、自分でとるよ」


 買った覚えのない青い陶器の器。おそらくエマさんが買ってきてくれたんだろう。あの炊飯器もカーテンもこの敷物も。

 ほんとに色々してもらってるな......何かしらお返ししたほうが良いよな。


「はい、卵です」

「あ、ありがとう」


 俺は手渡された卵を割り器へとあける。エマさんがすっと殻を片付けてくれる。再び礼をひとつ言って卵をかき混ぜる。そして、焼き豆腐としらたきを取り溶き卵に浸ける。


 口元に器を近づける。あつあつの焼き豆腐としらたき。ふわりと湯気が顔にあたった。

 箸で引き寄せ絡む卵ごと口へと運ぶ。


 甘みのあるすき焼きのタレが絶妙に卵と具材に絡まり、幸せが口の中で爆発する。焼き豆腐は噛むとほろり崩れ、染みていた味わいが広がる。あつあつの豆腐にはふはふと慌てて冷まそうとする俺。


 それを見てエマさんがクスクスと笑いながら口元を手で覆っていた。


「お、美味しい!」

「そうですか。良かったです......お肉もいっぱい食べてくださいね」


 しらたきを口にかきこみ味わう。俺はしらたきのこの触感が好きだ。うめえ。

 次に牛肉をつかみとり、卵に潜らせる。そして一口。


 肉の旨味とタレが混ざり合い、卵でまろやかに整えられている。今までに食べたことのないほどこのすき焼きの肉は美味い。思わず白飯を口に含み咀嚼。


「美味すぎる......エマさん、すげえ。なんでこんなに料理の腕あるんだ」

「それはですねえ、傑さんに喜んで欲しくてですよ。いろんな事を頑張って習いましたから」


 ......俺の為に。複雑だな......嬉しい反面、縛り付けているような気がして。


「あの、お食事の途中で申し訳ないのですが......大切なお話が」



 ――ドクン、と心臓がはねる。



 改まったその物言いで、俺はこの幸せが終わることを察する。


(......ま、そりゃそうだよな)




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