第16話 頑張れそう


 ふとパンの焼ける匂いで朝目が覚める。


 音で俺を起こさないようにだろう。寝室の閉められた扉の向こう、リビングからは微かに物音がする。


 エマさん、呪力......大丈夫かな。


 出社の準備をする為に布団から体を起こす。その時、妙に体が重い事に気がつく。

 原因は、おそらく昨日の呪力供給だろう。


(......一度に多くを渡しすぎたな)


 本来なら、相手が怪我などをして緊急性の高い時以外は、少しずつ日を分けて供給する。でなければ、こうして負荷がかかり体調不良を引き起こしてしまうからだ。少し頭もぼーっとする。


 でも、昨日。エマさんが消えてしまうかもしれないと思った時、怖かった。だからこれで良い。


 重い腰を上げ、扉を開く。するとエマさんはテーブルに朝食を並べ始めていた。


「おはよう、エマさん」

「傑さん!おはようございます......お体、大丈夫ですか」

「うん。昨日のエマさんのマッサージが効いてるのかな。疲れはとれたよ」

「......えっと、それは、そう言っていただけるのは嬉しいのですが......そうでは無く」

「?」


「ほ、ほら、私......たくさん呪力をいただいたでしょう。そのせいで疲労感とか倦怠感があったりしないのかなって」


 確かに彼女の言う通り、体調に影響してはいる。正直、徹夜した時と同じくらいの怠さと疲労感があるが......でも、俺がしっかり渡す呪力の加減をしていればこうはならなかった。


 多くを渡したのは俺の判断で、こうなっているのは俺のせいだ。だから、エマさんは気にしなくていいし、気にさせたくない。


「大丈夫だよ。ほら、俺って無駄に呪力たくさん内包してるし。あれくらいならなんとも無い」

「そ、そうですか......?」

「うん。だからそんなに気にしないで大丈夫」


 ぽん、と不安げなエマさんの頭に手を乗せる。すると彼女は少し笑ってその手に指先を触れた。


「傑さんがそういうのであれば......わかりました。もう少しで朝食の準備が終わります。座っていてください」

「ありがとう。なにか手伝える事ない?」

「大丈夫です!ありがとうございます」


 それからあっという間にテーブルに料理がならべられ、朝食の準備が完了した。

 珈琲、サラダ、トースト、ベーコンエッグ。


「昨日の朝食と似ててすみません、明日は和食にしましょう」

「あ、いや気にしなくていいよ。エマさんが作る料理美味しいし、同じでも全然いい」

「そ、そーですか?ありがとうございます......」

「それに、こうして一緒に食べられるだけでも嬉しいから」


 ずっと一人だったからな。そもそも朝食をとることすらあまりなかった。


「わ、わたしも!」

「!」


「傑さんと一緒、嬉しいです」


 にんまりと笑うエマさん。ぴょこぴょこと耳が動き尻尾をばたつかせる。


「うん」


 俺は微笑み返し、手を合わせた。


「いただきます」

「召し上がれ!私も、いただきますっ」


 サラダをスプーンですくう。一口サイズにカットされているトマトやアボカドなどの野菜と鶏肉のササミがあえられている。

 食べてみると、オリーブオイル、醤油、酢などで味付けされていてさっぱり美味しい。


「サラダ美味しいね」

「ホントですか。良かった、お野菜いっぱいとってくださいね」

「はーい」


 わざと子供っぽく返事をするとエマさんがくすくすと笑う。


 トーストはバターがぬられていて焦げ目がこんがりきつね色。テーブルに並べられたジャムを塗るかベーコンエッグを乗せて食べる感じかな。


 ジャムは苺と......これは。


「久しぶりに見たな、ハスカップのジャム」


 俺はハスカップのジャムの容器を手に取る。


「それたまにつくるんですよ」

「え、これ......エマさんのお手製なの?」

「ですです。東京住んでたときも時々作って食べてましたよ」

「ハスカップ好きなのか?」

「好きですねえ」


 スプーンですくい取ったジャムをパンに塗る。


「味が好きなの?」

「まあ、味もそうですが......傑さんに初めて出会った場所がハスカップの名産地だったので。恋しくて」


 エマさんがざくりとハムエッグを乗せたパンに齧り付く。もぐもぐと咀嚼し、尻尾をひとふりした。


「あ、そうだったか」

「そうです。そうなのです」


 あの日は確か、任務で父さんと遠出していたんだよな。エマさんと出会ったのはその任務先で、たまたま山の中で見つけたんだった。

 あの時は父さんが別行動していて、だから助けることができた。


 けど、もし一緒にいたら.......エマさんは今ここに存在していることは無かっただろう。


(そう思うと、この出会いは運命なのかもな......って、朝からなに恥ずかしいこと考えているんだ俺は)


 俺もざくりとパンを口にする。


「......どうでしょう。美味しい?」


 口いっぱいに広がっていく香りと酸味、そして優しい甘み。


「うん、美味しい。さすがエマさんだね」

「えへへ、ありがとうございます」


 ぴょこんと耳が動く。めんこすぎるだろ、俺の嫁。唇の左下にパンの食べかすがついているのも、まためんこい。ふふ。


「今日のカレーも楽しみにしていてくださいね」


 あ、昨日俺がリクエストしたやつ。


「うん、楽しみだ。おかげで、仕事が頑張れそうだよ。ありがとう」

「はい!」



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