第8話 二人


「......ん、っ......朝、か......」


 体を起こそうと手をついた時、ふにっ、という柔らかい触感がした。それと同時に「はぅっ」という艷やかな色っぽい声がした。


「え?」


 いつもなら寝ぼけて使い物にならない寝起きの頭が一瞬で起動する。なぜならその声の主と現状が直感的に理解できたからである。


 おそるおそるその手を見てみると。


「......あ、あの、その」


 そう狼狽しながら赤面して戸惑うエマさん(人間の姿)。そして彼女のふくよかで柔らかなあれをわしづかみしている俺の左手があった。


 ――俺の中の時が止まっていた。


 もじもじとエマさんは口元に手をあてながら言う。


「あの、その......手をはなして、もらえますか」


「ご、ごめん!」


 ぱっ、と離し俺は天井を見上げた。彼女の裸体を視界に入れないために、だ。


「いえ、こちらこそ......寝ぼけて人の姿になってしまってて......えへへ、へ」


 照れながらも、その羞恥心を誤魔化すように彼女は笑った。やがて側にあったパジャマを引き寄せ着用しはじめた。


「......あ、あの、誤解されていたらあれなので今言っておきますね......別に嫌だってわけではないんです。ちょっと急だったので......恥ずかしかったから」


 正座するエマさんが俺の左手を指先で触れる。


「傑さんなら、私のこと好きにしてくれて......大丈夫ですよ?.....お嫁さんなので」


「ち、違う!今のは事故で!!そりゃそういう気持ちがあるのはあるけど、今のは事故なんだ!!おきたらたまたまそこに......あの、あれがあったってだけで!!誤解しないでくれ!!」


 きょとんとするエマさん。


「あ、あー......そうだったんですね、すみません誤解してしまいました」


 照れっ照れっと頬に両手をあてる彼女。うぬぅ、めんこすぎる。

 その時、彼女のおよぐ視線があるところを見て止まった。


「......あっ」


 あ?


「......」

「......どうしたの?」


 聞くと視線を逸らし立ち上がった。なんかそわそわしてる。


「......なんでも、ないですよ。シャワーいただいてもいいですか?」

「え、そりゃ勿論」


 リビングへ歩いていく彼女の背を見送り、俺も立ち上がろうとした時その理由に行き着いた。すっ、と再び布団の上に座り静まるのを待つ。


 ......なにこれ恥ずかしい。


 しかしなんだろう。元気いっぱいな明るい女の子が羞恥心でしおらしくなっているのを見ると、胸の高鳴りを感じてしまう。あれ、俺もしかして変態?


「......仕事いく準備しよ」


 静まった気配を感じたので、立ち上がりリビングへ。テレビをつけ、ニュース番組が映る。

 左上にあるデジタル表記の時計が6:06となっていて、俺は驚いた。


(......あっ、きのう目覚ましかけるの忘れてた)


 いつもは六時に鳴るよう携帯のアラームをセットしている。そして、それを止めて十五分......薄目を開けて十五分、理由をつけて十五分。そして、ギリギリの時間に無理矢理起き上がってバタバタと慌てだす。


 だから、こんな余裕のある朝は久しぶりだった。窓の外には青空が澄んでいて、鳥の声すら聞こえてくるほど落ち着いている。


 ガチャリと浴室からエマさんが出てきた。上は白いTシャツに下は薄いピンクの短パン。主張の激しいシャツ越しに膨らむ胸と、スラリ伸びる白い美脚には否が応でも視線が向かってしまう。


「......お、おはようございます」

「おはよう」


 気まずそうに挨拶をするエマさんに俺も返事を返した。


「ちょっとキッチン使ってもいいですか」

「キッチン?良いよ」

「ありがとうございます」


 そう言って彼女はにこりと微笑む。しかし少し疑問がわく。

 冷蔵庫には殆どなにも入ってない。あるのは缶ビールに調味料、他は特に食べられそうなものは無かったきがする。


 彼女はそんなろくに食材も無いキッチンで何をするつもりなんだろうか。


 そんな事をかんがえているとエマさんが「あ」と言い玄関へ向かった。そしてすぐに鍵を開ける音と、誰かの気配。「ご苦労さま、ありがとうございます」とお礼の言葉が聞こえてくる。


 気になってリビングから様子を見てみる。するとそこには信じられない光景があった。


「......え?エマさんが......ふ、二人?」


 驚く俺にエマさん(Tシャツ)が微笑む。そして外にいるエマさん(コート)もまた笑顔で手をひらひらとこちらに振っている。


「ちょっと欲しいものがありまして。分身のこの子にお使いを頼んだんですよ」「いえい♪」


 ピースしながらウィンクを飛ばしてくる外のエマさん。と、その時突然ポンッという音と共に煙が出てエマさん(コート)が消えた。


「なるほど......その分身の能力、めちゃくちゃ便利だな」


「はい!でも呪力いっぱいつかっちゃうのであんまり多用はできませんが。今はできるだけ傑さんのお側にいたかったので分身、だしちゃいました。えへへ」


 分身のエマさんが買ってきた物。ちらりと見える中身からして、おそらくは食材であった。


 ......この可愛らしい妖狐は、どれだけ俺を虜にすれば気が済むのだろう。


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