第20話 カップルとして



(う、わ……)


 猫カフェでのランチタイム……奏は、サンドウィッチを頼み、それを食べていた。

 同じくランチを注文した猫屋敷 星音ねこやしき しおんは、カルボナーラのスパゲッティを食べていたのだが……


 奏の頼んだサンドウィッチ。それも、奏が今食べていたサンドウィッチを食べたいと、言った。

 迷った奏だが、結果として星音にサンドウィッチを食べさせた。


 差し出したサンドウィッチの端を、星音の口が噛みちぎった。パンと卵とを口の中に含み、小さな口で咀嚼している。


(な、なんだこの気持ち……)


 これやり取りは、いわゆる『あーん』だ。

 『あーん』と言えば、箸を使って食べ物を食べさせる構図が浮かぶが……これだって、立派な『あーん』だろう。


 同い年の女の子に、それもクラス一の美女に、あの猫屋敷 星音に。

 なんだかとんでもないようなことを、してしまった気がする。


 ちなみに、サンドウィッチを食べる際に意識的か無意識か、髪をかき上げる仕草をしたのが奏的にはぐっときた。


「あむ……んっ」


「……っ」


 ただ、パンを食べているだけの仕草。

 ただそれだけのことに、どうしてこうも、ドキドキしてしまうのだろうか。


 何度か咀嚼を繰り返し、星音は口の中のパンを、飲み込んだ。


「……うん、美味しいですね」


 じっくりと味わって一言。

 星音は、にっこりと微笑んだ。


 なんと反応していいかわからない奏は、サンドウィッチのかじられた箇所を見る。

 奏が食べていたのとは反対側とはいえ、最終的に奏が食べることになる箇所でもあるわけで。


 星音が口をつけた場所に、奏もまた口をつける。

 なんだろうこれは。


(い、いやいや、周辺を千切って渡せば済む話じゃないか!)


 今星音が口をつけた部分。その周辺を千切って、それを星音に渡す。

 そうすれば、なんの問題もないはずだ。


 しかし、そんなことをしてどう思われるだろう。そんなことを気にしているなんて、小さい男だなんて思われないだろうか。変なこと考えててキッショとか思われないだろうか。


 奏の頭は、ショート寸前だった。


「あ、私ばかり貰うのも悪いですよね。

 ……はい、立宮くん」


(猫屋敷さぁああああああああん!?)


 先ほどから奏が固まっているのを見て、自分のスパゲッティを食べたいと解釈したらしい星音。

 なので彼女は、手に持っていたフォークで、スパゲッティをくるくると巻き上げる。


 ……正真正銘、星音が今の今まで使っていたフォークで。


「えぇと……」


「はい、どうぞ」


(猫屋敷しゃぁああああああああぁあああ!?)


 奏の脳内は、これまでにないほどにフルスピードで回転を始めていた。

 回転しても、なんの意味もないわけだが。


 これはなんだ。これにはいったい、どういう意図があるのか。


 これは、間違いなく『あーん』だ。サンドウィッチの端を食べさせたのとはわけが違う、正真正銘の『あーん』だ。

 スパゲッティをフォークに巻いて、相手の口の前に差し出してからの『あーん』だ。


 正直、叫ぶのを脳内に押し留めているのだけで精一杯だ。


(い、いいのか!? いっちゃっていいのか!?)


 女子からの『あーん』など、人生で初めてだ。

 星音からの『あーん』など、この先二度とあるかわからない。


 ……いや待て、考えろ。自分たちはここでは、仮にもカップルだ。

 どこでさっきの店員が見ているかわからない。だから怪しまれないよう、カップルのフリをしなければいけない。はずだ。


 それに、星音からしてくれているのだ。

 ここで断るのは、男として……沽券に関わる問題だ。


 なので、奏は覚悟を決める。


「あ、あーん……」


 口を大きく開け、差し出されたフォークへ……スパゲッティを、パクリと口にした。

 その様子を、星音はにこにこした様子で見ている。恥ずかしくて、奏は目を閉じていた。


 そのままフォークを口に含んだまま、というわけにもいかず、すぐに口を引き抜いた。

 口の中には、カルボナーラ味のスパゲッティ。


 何度か咀嚼し、飲み込むが……


「どうでしたか、立宮くん」


 正直、味なんてわかったもんじゃなかった。


「あ、うん、おいしかったよ……」


 なんとか、絞り出した言葉がこれだった。


 まさか、『あーん』をされるとは……奏は、今でも信じられない。

 そして、それをまったく気にしていないように見える。星音にとって、『あーん』など大したことではないのか、奏を男として見ていないのか。


 すると、星音は奏の顔を見て「ふふっ」と笑った。


「立宮くん、口の端についてますよ」


「え?」


 そう言って、星音はハンカチを取り出し……奏の口元についていたカルボナーラを、拭う。

 その仕草に、奏はまた恥ずかしくなって……


 しかし、彼女の持つハンカチを見て、あることを思い出す。


「あ、ありがとう……って、あっ」


「?」


 不思議そうに首を傾げる星音を前に、奏は鞄の中を探り……


「猫屋敷さん、これ」


 チャック付きの袋に入れた、ハンカチを取り出した。

 白い生地の、猫の肉球がプリントされたハンカチだ。


「! これ、私の?」


 それを見て、星音も思い至ったようだ。


 これは、奏と星音がシロを通じて出会った、あの日……星音が、ベンチに忘れて帰ってしまったハンカチだ。

 それを奏は、大切に保管していた。チャック付きの袋に入れてまで。


「あの雨の日、忘れてるの見つけてさ。

 本当は、もっと早く返すつもりだったんだけど、タイミングが……あっ、汚れとかは、ないはずだからっ」


「……よかった。無くしたと、思ってたんです」


 慌てるように話し始める奏。一方の星音は、きょとんとした表情を浮かべていたあと、両手でハンカチを受け取った。

 柔らかく微笑み、大切なものを慈しむように。


 その、星音の姿に……奏の胸はまた、高鳴るのだった。

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