第27話 知っています



「ふんふーん♪」


「……」


 現在、星音しおんが暮らしているアパートの一室に、奏はお邪魔している。

 静かな室内に響くのは、トントントン、と食材を切る音。そして鼻唄だ。


 これは、奏が歌っているものではない。星音のものだ。

 キッチンに立つ星音は、食材を切り料理の準備をしながら、鼻唄を歌っていた。


 その姿に、なんだかかわいらしさを感じる奏である。


「立宮くん」


「は、はい!」


 奏に背を向けている星音が、手の動きは止めないまま話しかけてくる。

 ジロジロ見ていることが、バレてしまっただろうか。


 だが、多少は目をつぶってもらいたい。なんせ星音は今、エプロンを着用しているのだ。

 同級生の、エプロン姿……それは、なんだかぐっとくるものである。


 この先、授業で調理実習なんかあれば、他の生徒も星音のエプロン姿を見ることになるのだろうか。

 ……ちょっと、もやっとする。


「テレビ、つけてもいいですよ。音がないと寂しいでしょう」


「いや、俺は……」


 テレビをつけてしまえば、星音の鼻唄が聞こえなくなるからつけたくない……とは、さすがに言えない。

 奏は、膝の上のシロを撫でながら、言葉を選ぶ。


「俺は、シロを愛でてるだけで充分楽しいしさ。もちろん、猫屋敷さんが音があった方がいいって言うならそうするけど」


「ふふっ、そうですか。私は、後ろからシロと立宮くんが遊んでいる音が聞こえるので、充分です」


「さ、さいですか」


 奏はソファーにもたれ、ゴロゴロ喉を鳴らすシロの頭を撫でる。

 先ほどは、足下にすり寄ってきて動けなかった奏だが、今はソファーに深く腰掛け、シロを膝に乗せている。


 あのままだったら、ずっと立ったままを覚悟していたが……

 あの後、シロは奏の足下から離れ、かと思えばソファーに飛び乗り、じっと奏を見ていた。


 まるで、お前もここに座れ、と言っているように。

 そして座ったら、シロが膝の上に乗ってきたわけだ。


「それにしても、猫カフェの猫でもここまで懐いてはこなかったのに……」


 リラックスしているシロを撫でながら、奏は思う。

 猫カフェでは、存分に猫と戯れることができた……が、シロほどリラックスして触れ合った猫は、いなかった。


 猫にも人を好むタイプと、そうでないタイプがいる。だが、猫カフェの猫は、少なくとも人に慣れた猫のはずだ。


「よっぽど人懐っこいってことかなー、シロは」


「……そうですね」


 じゅー、となにかが熱せられる音を響かせ、星音が背中越しに答える。

 卵のいい香りが部屋の中を漂っていく。


 本当に星音が、女の子が自分のために料理しているのだと思うと、ちょっと優越感があった。


「あの、猫屋敷さん。なにか手伝えることとかないかな」


「ふふっ、立宮くんはシロと遊んでくれて大丈夫ですよ」


「でも……」


 さすがにこのまま待っているだけなのも、気が引ける。

 とはいえ、ここは人の家。それも初めての女の子の部屋だ。勝手に動き回るわけにもいかない。


「そのお気持ちだけで、嬉しいです。それに、シロが離れないでしょう?」


「それは、まあ……」


 すっかり、我が物顔で奏の膝の上を占領している、シロ。

 こんなかわいいシロを放っておく選択肢など、奏の中にはない。


「猫屋敷さんは、なにを作ってくれているの?」


「オムライスです。それに、ハンバーグも」


「おぉ」


 今、星音が作っているものを聞いて、奏は目を輝かせた。

 オムライスとハンバーグ。なんせ、二つとも奏の大好物だからだ。


 一人暮らしの女の子の冷蔵庫事情など奏は知らないが、もしも奏のために買いそろえてくれたのだとしたら……

 なんて考えるのは、傲慢だろうか。


「そっか、すげー嬉しいよ。俺、オムライスもハンバーグも大好きなんだよ」


「……えぇ、知っています」


「え、なんて?」


「なんでもありませんよ」


 自身の好物を吐露する奏に、なにか言葉を返す星音だが……その言葉は、じゅわーっというフライパンの熱した音に、かき消されてしまった。

 奏が聞き返すも、星音が素直に答えることはなかった。


 ……奏は、知らない。教室で「好きな食べ物はなにか」で盛り上がっていた奏と新太の会話を、星音が聞いていたことを。


「……あのさ、聞いちゃいけないことだったら、答えなくていいんだけど」


「なんでしょう?」


 料理の音が、心地いい。

 それでも、やはり緊張はあるままだ。なので、会話をして、気を紛らわせたい。


 料理の邪魔に、なったりしないだろうか。


「猫屋敷さんが一人暮らししているのって、なにか理由が……?」


 今まで、気になっていたこと。しかし気になっていたことを聞いて、すぐに奏は後悔する。

 理由もなにも、理由がなければ一人暮らしなんてしないだろう。女子高生の一人暮らしなんて、あぶなっかしい。


 そもそもこんなこと聞けるほど、自分たちは親しくもないだろうに。


「理由、ですか。たいしたことではないんですよ。両親が海外出張に行っていて、今両親がいないだけです」


 その理由を、星音はなんでもないように答えた。


「海外出張……」


「えぇ。高校に入る少し前に。

 もちろん、私も一緒に行かないかと誘われたのですけれど……海外は不安で。それに……」


 奏から、料理中の星音の表情は見えない。

 いつものように凛とした顔をしているのか。それとも寂しがった顔をしているのか。


 あるいは……


「それに?」


「それに……離れたくない人も、いましたからね」


 そう言って振り返った星音は……これまでにないほどの、微笑を浮かべて奏を見つめていた。


 離れたくない人、とは友達のことか。海外に行けば、会うことも難しくなる。

 そう理解した奏だが……なぜだか星音が、自分のことを"見て"いるように、感じた。

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