第4話 連絡先、交換しませんか?



 ……それは、誰もが驚く光景だった。

 起こった出来事としては、クラスメイトが挨拶を交わした……ただ、それだけのこと。


 だが、挨拶をしたのが猫屋敷 星音ねこやしき しおんで、挨拶をされたのが立宮 奏たちみや かなでであることが、それだけのことではなくしていた。


「? どうかしましたか?」


「い、いや……その、えー……お、おはよう」


「はいっ」


 固まっていた奏に、きょとんとした表情を浮かべていた星音だが……奏から挨拶を返してもらい、満足そうに今度こそ、自分の席へ行く。

 きょとんとしているのは、しかし奏も同じだ。


「おおお、おい、どういうことだ!?」


 去っていく星音に、遅れて新太が反応する。

 クラスメイトがクラスメイトに挨拶することなど珍しくないが、奏と星音は先週まで関係のなかった間柄だ。


 そもそも、星音が自分から挨拶をする男子なんて、席が近くの男子だけだ。

 現在星音の右隣のみが男子であり、彼は星音に挨拶されたいがためめちゃくちゃ早くから登校して席に座っている。


 なので、他の男子からは嫉妬のまなざしを向けられるが……その男子にあやかり自分も挨拶されたいがために、その男子の席周辺に他の男子も集まっているのは、もはや男子の悲しき性だ。


「だってのに、わざわざ自分の足で、お前の前まで来てお前に挨拶するとか……どういうことだよ!?」


「と、言われましても……」


 質問攻めを受ける奏だが、正直本人が一番困惑している。

 なぜか、と言われたら、昨日のアレが原因には間違いないだろうが……



『では、また明日学校で』



 別れ際のあの言葉は、せいぜい社交辞令的なものだと思っていた。

 だが、まさか彼女自らが、奏に挨拶をしに来るとは……


「ぁ……」


 そこで奏では、思い至った。あまりの衝撃で忘れていたが、今のやり取り中にハンカチを返せばよかった、と。

 というか、彼女はハンカチを忘れたことに気付いているのだろうか。もし気づいているなら、ハンカチを奏が持っている可能性にも至っているはず。


 それを聞かれなかったということは、ハンカチを忘れたことに気付いておらず……むしろ今話しかけてくれたのが、ハンカチの行方を問うだけのものだったら、こんなにも考えずに済んだのに。


「……なあ、視線をひしひしと感じるのは、俺の気のせいか?」


「これが気のせいならよかったけどな」


 ふと周囲に気を配れば、視線をひしひしと感じる。主に男子からの。

 その理由は……まあ、考えるまでもない。


(ってか、ハンカチ返す難易度めちゃくちゃ上がってる……!)


 ただでさえ、猫屋敷 星音に話しかける、というミッションは難易度が高いというのに、今ので無駄に注目を浴びてしまった。

 これで自分から話しかけに行こうなんて……恐ろし過ぎる。


 こそこそと周囲からはひそひそ声が聞こえる。もしも柄の悪いやつに絡まれたらどうしよう……と、奏は気が気でない。


 そのタイミングで、チャイムが鳴る。


「お、ホームルームか……じゃ、まぁ、頑張れ」


「なにを!?」


 チャイムが鳴り、早々に去っていく新太。

 先生が入ってきて、ホームルームの間は誰にも話しかけられることはなかったが……休憩時間になった途端、クラスメイト主に男子に囲まれたのは、言うまでもない。



 ――――――



「はぁ……」


「お疲れさん」


 結局あのあと、クラスメイトに質問攻めにあった奏は、精神的に参っていた。

 昼休み、購買で買ったパンを片手に、中庭のベンチに座りため息を漏らす。


 隣に座る新太は、おにぎりを食べている。中身はしゃけだ。


「あんなにクラスメイトと話したの初めてかも……」


「ほぼ一方的に詰め寄られてただけだけどな」


 クラスメイトに詰め寄られたその理由は、当然星音との関係のことだ。

 だが、関係もなにもないので、「わからない」とだけ答えておいた。


 ……昨日星音に会って親睦を深めた……という理由は、なんでかあまり話したくはなかった。


「見てる分には楽しかったけどな。よかったじゃねえか名前覚えてもらってて」


「他人事みてえに言いやがって」


「他人事だからな」


 この苦労は、実際に詰め寄られなければわかるまい。

 それを説明しても、もうどうしようもないことだが。


 おにぎりを食べ終えた新太は、ぴょん、と立ち上がる。


「さてと、俺はトイレにでも行ってきますか」


「ほぉか(そうか)。はぁふっふいひへへ(まぁゆっくりしてけ)」


「パン咥えたまま喋んなよ」


 この場を後にする新太の背中を見送り、奏はぼんやりと、昨日のことを思い出す。

 あれから、約一日。だというのに、奏にとっては濃い一日だ。


 とはいえ、あんなことはめったにないだろうし。あとはハンカチを返すだけだ。

 その、ハンカチを返すが難易度が高いのだが……


「どうすっかなぁ」


「なにがですか?」


「なにがってそりゃ……!?」


 軽くため息を漏らす奏に、奏のものではない声が割り込む。

 もう新太が戻ってきたのかとも思ったが、口調も声色も違う。


 というか、この声は……


「ね、猫屋敷さん!?」


「見つけました、立宮くん」


 振り向くと、そこには星音の姿があった。

 まさかの人物の登場に、奏は驚きを隠せない。


 なぜ、ここに……たまたまだろうか?

 いや、それならば奏を指して「見つけました」はおかしい。


 この文脈は……まるで、奏を探していたかのような……


「ね、猫屋敷さん。今朝は……」


「あの、立宮くん」


 今朝のあれは、どういうつもりだったのか……それを聞く前に、しかし星音の声が割って入った、

 彼女は、スカートのポケットに手を入れ、ごそごそと動かして……スマホを、取り出した。


「連絡先、交換しませんか?」


「……へ?」


 その、思いもよらぬ言葉に……奏は、今日何度目ともなる思考停止に、至った。

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