第36話 かわいいって言ってくれないんですか?



 中庭のベンチに座る二人は、盛り上がっていた。


 星音しおんはスマホを掲げ、隣の奏にも画面が見えるように身を寄せる。

 奏もまた、画面を見るため同様に、身を寄せていた。


 すると当然、奏と星音の肩が、触れ合う。普段ならば、こんなことになればどちらともなく、身を引く光景だ。

 しかし、そうならないのは。スマホの画面に映っているものの影響に他ならない。

 夢中になっていて、それに気づいてすらいないのだ。


 星音のスマホには、彼女の飼い猫シロが映し出されている。それは写真ではない。

 動画だ。しかし、それは端末に保存していた動画ではない。


「はぁあ、これがペットカメラの力かぁ。欲しいぃ」


「立宮くん、ペット飼っていないではないですか」


「そうだけどさぁ」


 それは、星音の家のペットカメラを通して映し出された、現在のシロの姿。

 家に設置してある、ペットカメラ。それとスマホの端末を連動することで、スマホからの遠隔操作が可能。


 さらに、ペットカメラで映し出した映像を、リアルタイムでスマホに送り届けることも、できるのだ。それを観ることも。

 そのおかげで、生のシロをこの場から見ることができる。


「あっ、シロのおしりだ。キュート……!」


「立宮くん、言い回しが変態さんみたいですよ。気持ちはわかりますけど」


「あっ、シロがこっち向いた! おーい!」


「立宮くん、こっちから声は聞こえませんよ」


 いちいちリアクションを見せてくれる奏に、星音は笑いながら答える。

 ……思えば、こうして誰かと生のシロを観賞するのは、初めてだ。


 頼めば、月音つきねも見てはくれるだろう。だが、"犬派"の彼女と真にこのかわいさを理解し合えるか、わからない。

 もちろん、"犬派"だからといって猫を、犬以外の動物を可愛いと思わない、なんてことはないが。


 その点を考えると、奏の存在は大きかった。

 彼は自他ともに認める、猫好きである。


 こうして過ごしていくうちに、本当に猫が好きなんだなと実感した。自分と、同じくらいに。もしかしたらそれ以上に。

 一緒にいる時間が、楽しくて仕方がなかった。


「はーっ、やっぱりシロはかわいいなぁ」


 名残惜しくはあるが、昼休みが終わる時間も迫ったため、シロ観賞会は終了。

 シロのかわいさに魅了された奏が、満たされた表情でつぶやく。そんな中で。


 それを聞いた星音は……どうしてか、少しいたずらを言ってみたくなった。


「立宮くん」


「なんでしょう」


 空を見上げる奏は、ぼんやりと星音の言葉に反応する。

 今日は、あたたかな一日だ。日差しはぽかぽかな気温を届けてくれて、風が心地良い。


 目をつぶれば、眠れてしまいそうだ。

 奏はすっかり、心地の良い空間に身を任せている。これからなにを言われるか、気付きもせずに。


「……猫だけじゃなくて、私にはかわいいって言ってくれないんですか?」


「んー…………

 ……ん……!?」


 ぼんやりと、その言葉を聞いていた奏……しかし、その言葉を頭の中で反復させ、意味を理解する。

 すると、ベンチの背もたれにもたれていた奏はカッと目を見開き、起き上がる。


 驚くほどに素早い動きで、奏は星音の顔を見た。

 その表情は、なにが起こったのか理解できない……といった表情だ。


 その表情が、おかしくて。


「ぷっ……っ、ふふ……!」


「ね、猫屋敷、さん……?」


「冗談ですよ」


 つい、吹き出すほどに笑ってしまった。

 とっさに口を押さえたが、はしたないところを見られてしまってないだろうか。


 きょとん、と、あっけにとられている奏。

 その姿を横目に捉えつつ、ようやく落ち着いた星音は、ベンチから立ち上がった。


 パンパン、とスカートを軽く叩く。膝上のスカートが、ふわりと揺れた。


「ごめんなさい。ちょっといたずらをしてみたく、なりまして」


「い、いたずらって……」


 ここまで、誰かに対してからかってみたいなどの気持ちが動くなど、星音にとっては初めてのことだ。

 もっと、いろんなことをしてみたいし……もっと、いろんな表情を見てみたい。


 けれど、それを本人に言ったら、きっと怒られるだろうから。

 その気持ちは、心の内に秘めておく。


「さ、もうすぐお昼休みも終わりです。戻りましょう、立宮くん」


「あ、そうだな……」


 遅れて、奏も立ち上がる。

 まだ先ほどのことを、頭の中で処理しきれていないのだろう。妙に真面目な彼は、深く考えてはいないたろうか。


 少しだけ心配になる星音だが、少しくらいは自分のことで思い悩んでほしいと、思ったりもする。


「〜♪」


 つい鼻唄を歌ってしまっているのに、果たして星音本人は気づいているのだろうか。

 教室に向かって、二人は足を進めていく。


 今朝、あんなことがあったばかりだ……

 その日のうちに、昼休み教室から消えていた二人が一緒に戻ってきたら、クラスメイトはどんな反応をするだろうか。


 奏はおそらく、その可能性に気づいていない。


「なんだか、ちょっと楽しみですね」


「猫屋敷さん、なにか言った?」


「いいえ、なんにも」


 なんだか二人だけの、秘密を持っているかのようで。星音の心は、踊っていた。

 教室に近づいてきたところでようやく、奏は事態を理解した。が、もう遅い。


 どうしようかと辺りをキョロキョロする奏を、星音は強引に引っ張り、教室へと向かっていった……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る