1-10 暖炉の中

 香菜は手始めに、暖炉の上部のあたりを火かき棒で叩いてみた。


 暖炉らしいずっしりした音ではなく、レンガ一枚の壁を叩いているような空洞音がする。

 暖炉は煙を上へ逃がすために中が煙突になっているのはわかるが、それにしても音が薄すぎる。


「【アキュアス】」


 慎重に水を出してスーザンの焚いてくれた火を消し、火かき棒で燃料の木を左右に押しのけ、思い切って下から暖炉の中を覗き込んでみた。


「ひっ」


 空が見えて、香菜は思わずのどを鳴らした。

 煙突はそのまま上へ開いており、ここが高い塔の最上階であることがうかがえる。


 恐怖心を感じないようになるべく上を見ないようにし、煤にせき込みながらもう少し奥へ体をねじ込んでみると、暖炉の中に空洞を見つけた。

 この空洞があの音の原因のようだ。


「何かしら、これ」


 空洞の中に白い何かを見つけて手を伸ばす。


 出てきたのは、端の焦げた一冊の手帳と、布の切れ端をつなぎ合わせたもの。

 切れ端は手品師の出す国旗のつながった長い紐のように、引っ張れば引っ張るだけするすると出てくる。


 結局、長いロープ状の布は30メートルほどの長さがあり、暖炉の前にこんもりと山をつくった。

 明らかに暖炉の中に隠してあったそれらは、何に使うのか見当もつかない。


「もしかして」


 カナリア姫が隠したのだろうか。

 スーザンは、カナリア姫が火を怖がっていたようなことを言っていた。もしかして、カナリア姫は火が怖いのではなく、このロープと手帳が燃えないように気を使っていたのだとしたら。


 香菜は手帳を開いてみた。

 紙束を紐で結わえ付けたような簡素なつくり。中には、指に煤をつけてむりやり書いたような薄くて太い乱雑な文字が連なっていた。


「うーん……」


 手帳をひっくり返したり、倒してみたりするが、全く読めない。文字は日本語でもアルファベットでもない、横書きのぐにゃぐにゃした形で、何が書いてあるのかよくわからない。

 ファンタジー世界も、すべてこちらの都合よくいくわけではないらしい。


 諦めて手帳を放り出そうとして、ふと文字に触れたとき。


 香菜の頭の中に、強烈な映像が流れ込んできた。


 美しい女性が男性たちに押さえつけられ、泣き叫びながら塔の中へ連れて行かれる様子。

 古いシーツの端をちぎりとって暖炉の中に隠す女性。風貌は今の香菜にそっくりだ。


 驚いて香菜が文字を指でなぞると、映像がちかちかと瞬きながら切り替わった。


 シーツをより合わせて、ロープにする女性。しきりに耳をすませて誰かが部屋に入ってこないか気にしているように見える。

 指でノートに字を書く女性。文字は日記だ。ロープのありかや「精霊」「逃げ」「侍女」のような言葉が並んでいる。

 そして、煙突の先からロープをつかんで外へ飛び降りる女性——とんでもない高さから――。


「ぎゃーっ」


 香菜は悲鳴を上げてノートを放り出した。頭の映像がぷつりと消えた。

 心臓がばくばくと鳴りやまない。


 なんだ、あの恐怖映像は。


 頭に浮かんだ女性は明らかに、香菜が今憑依しているカナリア姫だろう。ということは、今のは彼女の記憶か何かだろうか。


 なぜカナリア姫はロープなんか作っていたのだろう。あんな高さから飛び降りて、無事でいるはずがない。


 もしかして。

 カナリア姫も、この塔から脱出しようとしていたのではないか。中からではなく、手っ取り早く「外」から……。


 となると、このロープと手帳をスーザンに見られるのはまずいかもしれない。


 香菜はどうにかロープを抱えて、暖炉の中の空洞に押し戻し、スカートの煤をはらって再び手帳に向き合った。


 もう一度、手帳を覗いてみなきゃ。

 あの高所から飛び降りる映像が流れませんように……。


 香菜は手帳の文字に触れた。


 煙突の先からロープをつかんで、超高所から外へ飛び降りる女性の映像。


「ひいいいいっ」


 やっぱりやめだ。香菜は暖炉の中に手帳をしまいこんだ。


 二度と手帳なんて開くものか。

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