1-17 89階の画家パレット
「うわっ!」
3人は飛び上がって振り返った。
そこに立っていたのは、猫背の女だった。
どこから現れたのだろう。近づく気配を全く感じなかった。
年齢はカナリア姫と同じくらいだろうか。紫色の長い髪はタオルの頭よりぼさぼさ。大きな三白眼の下には、青黒いクマが張り付いている。
黒い服には白や赤の汚れがまだらについいた。
「お、おばけ?」
タオルが恐る恐るたずねた。
女にじろりと見降ろされ、タオルは首を引っ込める。
「おばけ、ですか。そうかもしれませんね。あたしの名前はパレイドリア。長くて面倒なら、『パレット』でいいです」
「パレットね。私は香菜よ。こっちがタオルで、こっちがレイヴナー」
「れ、レイヴナー様と呼んでくれたまえ」
レイヴナーはなぜかもじもじしている。
「カナさんに、タオルさんに、レイヴナー様ですね。89階の出口はあっちです。では」
「あ、ちょっと!」
立ち去ろうとしたパレットを香菜が引き留める。
「待って! もう少し、この塔やあなたについて教えてほしいの。ここはどんなところ? あなたは何者?」
眉をひそめて振り返ったパレットの目の前に、ちょうど香菜の火かき棒の先端があった。
「ひいいいいっ」
パレットがものすごい勢いで後ずさる。
「それ、なんですか、それ」
「それって、この火かき棒のこと?」
香菜が火かき棒を見せると、パレットは逃げようとしているのか、壁を後ろ手にがりがりひっかいた。
「そのとがった棒をあたしに近づけないでくださいっ!」
「なんだか高いところにいるときのカナみたいだね」
タオルが呟いた。
香菜ははっとする。
「もしかして、とがったものが苦手なの?」
尋ねると、パレットは両手で顔を覆ったままこくこくと頷いた。
香菜は上着を脱いで、火かき棒に巻き付けた。
「ほら、これでもう怖くないでしょう?」
パレットは指の隙間から火かき棒を見た。
「はい、それならもう大丈夫……って」
パレットが香菜の顔を凝視する。
「カナさん、あなた……」
「私?」
「もっのすごくすてきなお洋服!」
パレットががばっと香菜に駆け寄った。
「なんですか、この美しい生地は! ところどころほつれているあざとさ! そしてこの起伏の激しいシルエット! 胸元のフリル、それどうなっているんですか! ボディラインを隠すように見せてはっきり浮かび上がらせる編み上げのライン! これは確実に乙女の処女性に対するアンチテーゼですよ! ぜひ絵に残したい。いや、描かせてください。さあこちらへ」
パレットが香菜の腕をぐいぐい引っ張った。
89階の廊下を進んだ奥に、部屋の入口があった。
小さな扉をくぐって、香菜は息を飲んだ。
だだっ広い部屋に、絵を立てかけておくイーゼルが10台ほど無造作に置かれ、部屋中に画材のにおいが充満している。
床には絵の具まみれのバケツや布、描きかけのキャンバスに、紐で適当にまとめられた筆の束などが転がっていた。
「パレット、あなた画家さんなのね?」
「はい。でもそんなことどうだっていいじゃないですか。ほら、座ってください」
パレットは床に倒れていた木の椅子を立てて、汚い布でごしごし拭くと、上に香菜を座らせた。
香菜の正面にごろごろ落ちているものをざっとどけて、1台のイーゼルを正面に置き、白いキャンバスの角度を整え始める。
「うーん、ちょっと斜めの方がいいですかね」
タオルとレイヴナーも怪訝な顔をして、部屋に入ってきた。
「うわー、すごい汚れてるね。雑巾で拭いても取れなそうだ」
タオルが床をじろじろ眺めて言った。
パレットは右手に先のけば立った筆を持ち、香菜をものすごい形相で睨みつけながら絵を描き始めた。
「すごい、なんというか、ぼろぼろの筆ね」
「はい、とがったものを見ると冷や汗がでるので、わざとこうしているんです」
パレットの筆の動きはよほど繊細とはいえず、べちゃっばちゃっ、ぐりぐりぐりっと絵の具を大胆に塗りたくっていく。
後ろでうろうろしていたレイヴナーが、ふと壁際に適当に積み上げられた画板の山に目をつけた。
「ま、まさかこれはっ!」
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