1-16 壊れた結界と人の影

 床に響く足音で、レイヴナーの目がうっすらと開いた。


 見慣れぬ高い広間の天井。寒さと腹部の痛みにレイヴナーがうめくと、


「あ、気が付いた!」


というタオルの声がした。


「カナ、レイヴナーがようやく起きたよ」


「あら」


 香菜はパタパタとレイヴナーに駆け寄った。


「大丈夫? あなた、丸一日眠っていたのよ」


「うう……水……」


「水ね、はいはい。【アキュアス】」


 香菜が出した水を、床にこぼしながらレイヴナーが飲んでいく。


「ぶつけたお腹の調子はどう?」


「ああ、折れてはいないが打撲したみたいだ。内臓に支障がなければいいが」


 レイヴナーは体を起こし、目を丸くした。

 香菜は手に箒を、タオルは雑巾を持っている。


「お前たち、何をしている?」


「何って、お掃除だけど」


 よく見れば、散乱していたはずの岩は広間の隅に寄せてある。レイヴナーが気絶している間に片付けたのだろう。床の埃や小石もあらかた掃除されていた。


「年増の女は?」


「スーザンなら、90階に居室を見つけたからそこのベッドへ運んだわ。掃除用具は上の階から持ってきたの。スーザンが目覚めたときに、散らかったままだと悲しいでしょう?」


「まったく、お前たちは本当に」


 レイヴナーが笑い出し、腹の痛みで顔をしかめる。


「そんなにお人よしでは、この先心配だな」


「いいのよ。スーザンにはなんだかんだお世話になったし」


 香菜は床を掃きながら、ぶるっと身震いをした。


「寒くなってきたわね。風が吹くたびに床も揺れるし」


「ああ。精霊の気配も強くなっている。早いうちに下へ進もう」


 レイヴナーがうなずいた。


 90階の支配者アルコンであるスーザンが眠ったことで、建物を守り安定させていた結界のようなものが壊れつつあるのだろう。


「ところでだ、あの年増の女は、お前のことを『姫様』と呼んでいたな。お前は、その、なんだ。本当にあのカナリア姫なのか?」


 香菜はあいまいに笑った。

 香菜はたしかにカナリア姫でもあり、そうでなくもあった。


「そうか。どうも調子が狂う」


「いいのよ。今まで通り、普通に接してくれれば」


「ああ、そのつもりだ。お前が僕の手下であることに変わりはない」


 相変わらず元気そうね。

 香菜は心の中で思った。


 あらかた掃除と片付けを終え、出発の時がきた。


 スーザン97階辺りの小部屋に置いてあった防寒用の上着を拝借した香菜は、ちぎれたペンダントを見つめるタオルに声をかけた。


「そろそろ行くわよ。タオル」


「ああ」


「それ、持っていかなくていいの?」


「いいんだ」


 タオルは小さくうなずいた。


「でも、スーザンは家族なんでしょう?」


「塔の下にはおいらの本当の家族がいるかもしれない。だから、いいんだ」


 タオルは広間の出口の脇にペンダントを置くと、すっと背筋を伸ばして立ち上がった。


「さあ、出発だ!」


「おい雑巾、僕の決め台詞をとるんじゃない」


 レイヴナーがわめいた。


 香菜は笑って、広間の出口の扉を開けた。




     *     *     *




「ひいいいいっ」


 階段の中腹で壁にへばりつく香菜を、レイヴナーとタオルがあきれて見上げていた。


「何をそんなに怖がっているんだ。さっさとおりてこい」


 だって、だって。


 89階へと続く階段は、今までと違って木製で、ぎしぎし音が鳴るし、足場も細い。

 しかも、下の床が丸見えだ。 


 十数段の階段を下りるのに、香菜は20分以上かかっていた。


「あひゃあああ」


「仕方のないやつめ。【ソアラ】」


 香菜の体がふわっと浮く。


「きゃあ、ちょっと待ってレイヴナー! ほんと無理! 浮かぶのだけはほんと無理!」


「うるさい」


 レイヴナーが手を振ると、香菜はどすんと床に落ちた。


「ちょっとお姫様相手に乱暴すぎないかい?」


 タオルが上目遣いで見ると、レイヴナーはふんと鼻をならした。


「今まで通りにしろと言ったのはこの女だ。ほら立て、カナ」


 いてて、と腰をさすっていた香菜は、目をぱちくりさせてレイヴナーを見上げた。


「いま、私の名前を呼んでくれた?」


「何を喜んでいる。名前を言うくらい当然だろう」


「あ、もしかして照れてる?」


「照れてなどいないっ!」


 ようやくレイヴナーに仲間と認められたように感じて、香菜は嬉しかった。


 ぎゃあぎゃあと騒いでいたとき、謎の人影が3人の後ろに突然ぬるっとあらわれた。


「あのー、さっきからうるさいんですけど」

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