1-6 干からびた男

「おそいよカナ」


 95階の階段下でタオルが待っていた。


「ごめん、スーザンに見つかりそうになっちゃって」


 95階に降り立った香菜は、ぜえぜえと息をついた。

 5階分階段を下っただけなのに、すでにかなり疲れている。


「へえ」


 タオルは香菜の姿を上から下までじろじろ眺めた。


「悪いお姫様だっていうからどんな悪人面のやつなんだろうと思ってたけど、全然そんなことなかったな」


「そういえば、顔を合わせるのは初めてね」


 タオルは黒い縮れた髪をぼさぼさに伸ばし、服もぼろぼろ。かなりやせていて、頬がこけている。

 みすぼらしいなりに不釣り合いな、緑のペンダントを首にかけている。


「ねえ、そのペンダント」


「ああ、これかい。スーザンにもらったんだよ。お守りだって。それより、おじさんの部屋に案内するよ。もうかなり虫の息なんだ」


 タオルの案内で、香菜はくねくねと廊下を曲がって一番奥の部屋にたどり着いた。


「開けるよ、おじさん」


 タオルがドアを押すと、ぎいと音を立てて蝶番が動いた。


 月明りの差す部屋のむしろの上に、男性が一人、横たわっていた。


 目を閉じた顔は、彼の銀髪よりも青白い。

 分厚い黒のマントを羽織っていて体つきはよくわからないが、タオル以上にやつれているように見える。


 口からはかろうじて息が確認できたが、確かに今にも死にそうだ。


「み……ず……」


 男性がかすれた声で呟いた。


「おじさん、カナを連れてきたよ。死ぬ前に水をたんと飲みな」


「み……ず……」


「ああ、もうおいらの声も聞こえていないみたいだ。さあカナ、水を」


 香菜はうなずいて、両手を皿の形にした。


「【アキュアス】」


 両手から水があふれ出る。そのまま男性の口に手をつけて、水を流し込んだ。


 飲み込む力が残っていなければ、そのまま窒息してしまうかもしれない。と頭をよぎったが、男性はうまく水を飲み込んでくれたようだ。 


「みず……もっと……」


「もっと? わかったわ。【アキュアス】」


 香菜が再び水を飲ませると、男性は「もっと……足りない……もっと……」と催促する。


「ああ、もういくらでも飲みなさい。【アキュアス】」


 香菜が少し多めに水を出そうとすると、なぜか魔法が暴発し、どかんと大きな水の塊が出た。


「タオル、避けて!」


「うわっ!」


 とっさに壁際に避難したタオルの膝のあたりまで、ざぶんと水が押し寄せる。


「きゃっ」


 波に足を取られて香菜も水の中に転んでしまう。


「おじさん!」


 タオルが叫んで、香菜ははっとした。

 このままでは、あの男性がおぼれて――。


「え?」


 水がぐんぐん減っていく。

 どこかから漏れているのではない。男性の顔の上に渦が出来て、口の中に吸い込まれていく。

 あの人が、飲んでいるのだ。


 尻もちをついた香菜の腰まであった水が、手首の高さになり、水たまり程度の位置までぐんぐん下がっていく。


 香菜とタオルがぽかんとして男性を眺めていると、彼はいきなりむくりと体を起こした。


「ぎゃっ」


 悲鳴を上げる香菜とタオルの方へぐるりと首を回して、男性が口をひらいた。


「ぎゃ、とは何だい。人をバケモノみたいに」


「喋った!?」


「そりゃ喋るだろうさ。人間なんだから」


 男性はコキコキと首を鳴らして立ち上がり、濡れたマントを手で絞った。


「水をくれたのは君かい? おかげで助かったよ。僕を助けられたのを光栄に思うことだね」


「あ、あなたは?」


 香菜が尋ねると、月明りを背にした男性は逆光の中で目を丸くした。


「僕を知らないだって? なんて不躾なやつだ。いいだろう、教えてやる。僕は誇り高き水竜の末裔・ネプチュメロス族の、大魔法使いレイヴナー。レイヴナー様とお呼び」

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