1-19 パノプティコン
大きな絵の具まみれの袋に絵をつめて、香菜は廊下をえっちらおっちら歩いていた。
絵を5、6枚抱えさせられたレイヴナーは、先頭を歩くパレットに何度も話しかけようとしては諦める、を繰り返していた。
88階へ続く階段に到着する。怖がる香菜を見上げて、先に階段をおりていたパレットが呟いた。
「なるほど、カナさんは高所恐怖症なんですね。私は先端恐怖症。誰にも怖いものはあるものですね」
「レイヴナーはおばさん恐怖症だしね。いてっ」
タオルが口をはさんで、レイヴナーに余計なことを言うなと小突かれる。
パレットがふっと笑った。
「それなら、いずれあたしやカナさんのことも怖くなるんですね、レイヴナー様は」
「何?」
レイヴナーが顔をしかめる。
「だって、あたしもカナさんも、そのうちおばさんですから」
レイヴナーは「そんなことは……」ともごもご言いながら口ごもった。
考えたこともなかったのだろう。
どうにかこうにか階段をおりた香菜たち4人は、短い廊下の突き当りにたどり着いた。
鍵のない扉を開くと、廊下が左右に伸びていた。
「どっちへ進むの?」
「どちらでも同じです。塔の外側をぐるっと囲むように廊下があるので、いずれ元の場所に戻ります。今から向かうのは、86階の集会所です。ダークウルフさんたちの中でも経済力のある方々は、今はそのあたりにいるでしょうから」
パレットは左の廊下を進み始めた。
廊下の左壁には高い位置に小さな窓がある。右壁には等間隔に簡素なドアが配置され、たまに中からうめき声が聞こえたり、黄色く光る目が見えたりする。
廊下はまっすぐではなく、少しずつ右に曲がっているのがわかる。パレットの言う通り、大きな円状になっているようだ。
「ここに住む人たちは出入りは自由なのかしら」
「81階から89階まではダークウルフさんたちも自由に出入りできます。あたしの住むところまで登ってくる方はほとんどいませんが。この監獄は特殊なつくりになっていて……」
パレットは適当なドアを開いて、勝手に中に入っていく。
お、おじゃまします。と言って、香菜も首をすくめてついていった。幸い、中には誰もいない。
部屋は6畳半ほどの狭さで、ベッドがわりのむしろや脱ぎ捨てられた衣服など、若干の生活感がある。
目を引くのは、入り口と反対側に壁がなく、上から下まで格子がはめられている点だ。
格子の壁に近づいて、香菜はひゅっと喉を鳴らした。
壁の向こうは吹き抜けになっていて、はるか下にあるはずの床は暗くてよく見えない。
「あれ、見えますか」
パレットが指さす先には、下から天井まで続く長い筒のような構造物が見えた。
「あれは、看守たちが昇降するためのからくりです。この建物は、中央に看守が見張る昇降機があり、その外側を取り囲むように、囚人たちの居室があります。そしてさらにその外側に廊下があるということです」
香菜はなるべく格子から離れて、昇降機を眺めた。昇降機のあたりは暗くてよく見えない。
「なるほど、居室側には光源の窓があるから、一方的に看守がこちらを監視できるという構造なんだな」
レイヴナーが言った。
「はい、ダークウルフさんたちは
「パレット、あなたはなぜこの塔に囚われているの?」
香菜は好奇心からそう尋ねた。
パレットがあいまいに笑う。
「ムーングロー市ってご存じですか」
香菜とタオルは首を振ったが、レイヴナーは知っていたようだ。
「もしや、大虐殺があったというあの?」
「そう、私はあのムーングロー市の住民でした」
「つまり、君は虐殺事件に巻き込まれてここに来たということか……?」
「いえ。虐殺後の荒廃した町で、どうせならと思って春画を売っていたら、王都から来た兵士さんたちに見つかって猥褻物陳列罪で捕まったんです」
レイヴナーが拍子抜けした顔をした。
「先へ進みましょう」
パレットの言葉に香菜はうなずいて、上着で隠した火かき棒と絵の入った袋を担ぎ上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます