1-13 スーザンの広間へ

 夜が近づいてくる。香菜はそわそわしながら、100階の狭い部屋を歩き回っていた。


 今日が決戦の日だ。と言っても、スーザンと戦うつもりはない。

 うまく説得して、下へ通してもらうのだ。


(スーザン、ものすごく怒るだろうな……)


 ノックの音がして鍵が開き、スーザンが部屋に入ってきた。


「失礼いたしますカナリア姫様。お夕飯はちゃんと召し上がりましたか?」


「いえ、あんまり……」


 緊張でほとんど手を付けられなかった。


 スーザンは眉をひそめる。


「やはり、最近の姫様は少し変でいらっしゃいますね」


「そ、そうかしら」


「お薬をお持ちしましょうか?」


 香菜はぶんぶんと首を横に振った。

 あの苦い薬草はもう二度と飲みたくない。


「姫様」


 スーザンの目が光った。香菜の背筋が凍る。


「何度も申し上げますが、もし変な気を起こされたら、わかっていらっしゃいますよね」


「え、ええ」


 スーザンの視線が、香菜を探るように射抜いた。

 香菜は思わず目をそらす。


「あなたは罪を背負った囚われの姫君。そのことをお忘れなきよう」


 スーザンはそう言って、部屋を出て行った。


 しばらく放心していた香菜だったが、だんだんと怒りが込み上げてきた。


 何が罪だ。囚われだ。私何も悪いことなんてしていないんですけど!?

 いいかげん頭にきた。狭い部屋に閉じ込められて、平常心でいられるものか。こんな塔、絶対に脱出してやる。


 香菜は背中に手を伸ばし、コルセットの紐を引っ張った。

 どうせ今後スーザンと関わることもないのだ。こんな窮屈なもの、さっさと外してやる。


 外付けタイプのコルセットは、複雑な構造になっていて、後ろ手に外すのに少し難儀した。


 がばっと上から脱ぐように外すと、体がすっきり軽くなるような感覚がする。実際に締め付けが緩くなったのもあるだろうが、気分の問題が大きいだろう。


 香菜は火かき棒でベッドを動かして岩をずらし、穴から下の階へそっと降り立った。

 冒険の始まりの予感に、胸を高鳴らせながら。




     *     *     *




「無理! やっぱり無理だっ!」


 嫌がるレイヴナーをタオルと二人で引っ張りながら、香菜の胸の高鳴りは早くも冷めていた。


「レイヴナー! あなたの強さを証明したいんでしょう? それに、塔を出ることができたらあの絵を描いた人にも会えるかもしれないし」


「それでも嫌なんだ! 年増の女に会うのはやっぱりどうしても無理だっ!」


 ごねるレイヴナーに向かって、香菜は大きくため息をついて見せた。


「あらそう。ならいいわ、私とタオルふたりでいくから」


「え」


 レイヴナーの目が丸くなる。


「やっぱりあなたに期待したのが間違いだったわ、レイヴナー。ずっとこの塔にいたいならそうすれば?」


「僕に期待したのが……間違いだと?」


「ええそうよ。あなたはずっとこの塔にいて、名声も名前もみんなから忘れ去られるの。それでいいんでしょ、臆病者」


 タオルがはらはらしながら二人を眺めている。

 レイヴナーは両肩を震わせて、「僕は臆病ではないっ! 見ていろ、女の一人や二人、すぐに説得してみせるさ」と言った。


 作戦成功みたいね。香菜がタオルに向かってウインクをする。


「カナ、もうすこし言葉を選ぶべきだよ。あの人を怒らせたらおいらたちは到底下へ行けないんだからさ」

 

「そうかもね。今後もうまくレイヴナーを操縦していかないと」


 操縦って。タオルはあきれたように香菜を見た。


 3人は95階から階段を探して下へ降りた。

 階段は下へ行くほどカーブの角度が小さくなっていく。


 階段の高さにおびえて、火かき棒を杖のようにしてそろりそろりと歩く香菜を、タオルはあきれたように急き立てた。


 塔は上が狭く、下に行くほど広くなるような構造のようだ。とはいっても、完全な円錐形ではなく、あっちやこっちを無理に増設したので、左右にでこぼこしたような形らしい。


 92階の手前で、タオルが立ち止まった。


「ここから下は、おいらも行ったことがない。この先から、スーザンの魔力を強く感じるよ」


 ひっ、とレイヴナーがのどを鳴らした。

 やっぱり怖いんじゃない。と、香菜は心の中でこっそり思った。


 93階から92階へおりていくにつれて、気温がぐんぐんと下がっていくのを感じた。


「うう、ちょっと寒いわね。なぜかしら」


 普通、高いところに行けば行くほど寒くなるはずだ。気温が逆行しているのはなぜだろう。


 3人はすんなり90階へ向かう階段を見つけた。


「途中でスーザンに見つかるなりして邪魔されるものだと思っていたけれど、案外簡単に着いたわね」


「そんなことないよ」


 タオルが眉根を寄せて言った。


「気を付けて、スーザンはもうおいらたちに気づいている」


 階段の先には扉があった。錠前はついているが、鍵はかかっていないようだ。


 無言になってしまったレイヴナーと、緊張した面持ちのタオルに先立って、香菜は火かき棒を持っていない方の手で扉に触れた。


「開けるわよ」


 香菜は唾を飲み込んで、扉を押す手に力を込めた。

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