1-21 車輪の部屋

 ファングの自室は、他の部屋よりやや広く、広間よりはずっと狭かった。


 全体的に清潔でものが少ない。家具はなく、ところどころに椅子やテーブルの代わりの車輪が置かれている。

 窓はなく、片面の壁は他の部屋と同じく格子がはめこまれている。光源は中央に置かれた灯油ランプだ。こんな高層階にランプの燃料があるのにも少し驚きだった。


 入口の反対側の壁にはもう一つドアがある。部屋はここだけではないらしい。


 パレットは手際よく絵を並べていく。絵に付着した埃が清潔な床に舞った。


 このトンチキな絵を見せられてファングは怒らないだろうか。

 香菜は部屋の端から彼の顔色をうかがった。


 ファングは絵の中でも、特によくわからない、白と黒がぐちゃっと混ざり合ったような絵を手に取った。


「この絵を見ていると、昔のことを思い出す。俺がダークウルフとして生きるという覚悟を決めた日のことだ」


「ダークウルフとして生きる?」


 タオルが首を傾げた。


「ああ。ノーマンとダークウルフのハーフだった俺は、最初はどちらにもなじめなくてな。それが変わった。きっかけはある絵だった。ちょうどこんな白と黒の構図の絵だ……」


「それたぶんあたしの絵ですね。同じの何枚も量産してるので」


 パレットがつぶやいたが、ファングは聞こえているのかいないのか、言葉を続ける。


「その絵の黒があまりにも美しくて、俺はどっちつかずの自分を悔しく思った。そして、ダークウルフとして生きることを決めた。最初はだれにも認められやしなかったが、実力でねじ伏せた。ダークウルフ全員を配下に置くまでにのし上がった。だが」


 ファングは絵の白い線を指でなぞる。


「どんなに仲間が増えようと、俺は孤独だ。この監獄にぶちこまれて、何年も腐っていた時、再び絵に出合った。パレイドリアさんの絵にな。また俺は絵に救われた。俺のために一生絵を描いてほしい。パレイドリアさん、俺と結婚してくれ」


「け、け、結婚だと!?」


 レイヴナーがわなわなと震え始めた。

 パレットはため息をつく。


「お断りします。いつも申し上げていますが、あたしは絵を売りに来ただけなんですよ。まあ、自分の絵が人に影響を与えるのは嫌な気はしませんけど」


「もちろん、すべて買い取ろう。干し肉30枚でどうだ」


「わかりました。交渉成立です」


 ちょっと待て! とレイヴナーが叫ぶ。


「干し肉30枚だと? 少し安売りが過ぎないか?」


 ファングがぎろりとレイヴナーを見た。


「貴様が何者かは知らないが、貴様は金を払えるのか? 肉を出せるのか? この階では力がすべてだ。持たざる者が何かを勝ち得ることはできない」


 ファングが立ち上がり、奥の扉を開く。

 奥にはもう一つ部屋があり、壁という壁にパレットの絵が飾られていた。


「これは……」


「すべて俺がパレイドリアさんから買い取った絵だ。俺自身の力でな」


 ぐっ、とレイヴナーが歯ぎしりをする。

 ファングはパレットに向かって言った。


「他にも絵があれば、買い取ろう。明日にでも持ってきてくれ」


 ダークウルフの縄張りを出て廊下を歩きながら、香菜はパレットに尋ねた。


「いつもあのファングって人はあなたに求婚してくるの?」


「そうですね。まったく、どいつもこいつも」


「どいつもこいつもだと!? 他にも求婚されたことがあるということか!?」


 レイヴナーがわめいた。


「まあそうですね。あたしは誰とも結婚する気はありませんが」


 レイヴナーがショックを受けた顔をした。飛び火してしまったようだ。


「だが……だが、あいつはどうも気に食わん。奴は君の絵を消費しているだけではないか」


「まあ、消費のために描いてますから。ただの春画ですし」


 ぐぬぬ、とレイヴナーがうめいた。



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