第12話 公爵さま、帰宅
「なんの騒ぎだ?」
その時ふと馴染みのある声が聞こえた。
振り返れば公爵さまの姿。
外出用の羽織すら脱ぐ前のその姿は、公爵邸に戻ってすぐにここへと来たことを物語っている。
少し前から使用人たちがバタバタとしていたと思ったら帰ってきていたのか。
その隣には今まで姿が見えなかったディグナーさんもいる。
公爵さまは私の姿を目にすると目を見開いてつかつかと速足に歩いてきた。
「どうしたフラリア。何があった?」
手袋をしたまま頬に触れる指は優しくうつむきかけた私の顔を上げさせる。
目の前に待ち望んでいた公爵さまがいる。
けれど私は彼の顔を見ていたくなくて、そっとその手をどけて距離をとった。
「……おかえりなさいませ。随分とお早いご到着ですね? そんなにこのネルとかいうお気に入りのメイドに会いたかったのですか?」
「は?」
黒いモヤモヤが胸の中に湧いてくる。
その感情が何なのか今の私では分からないけれど、このまま公爵さまを見ていてはこの感情が増えていく一方だというのは分かった。
公爵さまはポカンという顔で私を見ているけれどそれにすら
ふいっと顔を背けてネルを見れば、取り押さえていた使用人たちから解放され小走りにこちらへと向かってくる。
「旦那様ぁ~! 聞いてください! 奥様がわたしに毒を飲ませようとしてきたんですぅ~! ぐすっ」
器用に涙を浮かべて公爵さまへとしなだれかかるネルに頭がおかしくなるほどの怒りを覚えた。
無差別に毒をばらまいておいて自分だけ助かろうとしているネルが心底憎い。
今感情的になるのは
「ずっと、なぜ毒のある女なんかを妻にしたか疑問だったんです。でも
私は必死に手を握りしめることで赤いモヤが出るのを抑えることしかできない。
うつむいて唇をかみしめる。
「……なるほど」
そう低くつぶやいた公爵さまは私に背を向ける。
それにずきりと心が痛みを訴えた。
(……ああ結局、彼も私を捨てるのね。あんなに都合のいい言葉を並べていたのに)
この家が、彼が好きになれそうだったのに。
絶望で押しつぶされそうだ。
――ザシュッ
けれど次の瞬間公爵さまはぞっとするほどの威圧感を放った。
そしてネルの絶叫がこだまする。
「ぎゃあああああ!!」
顔を上げれば倒れ込みながら後ずさるように距離をとっているネルの姿。
その腕は鮮血で濡れていた。
恐らく肩口を切り裂かれたのだろう。
「……え?」
私はこの状況が飲み込めずにぽかんとしていた。
感じていた怒りも黒いモヤモヤも忘れてぼうっと眺めていることしかできない。
公爵さまからはなおも威圧感が放たれていて、少しでも動けば切りつけられてしまうような錯覚を覚える。
「答えろ。なぜフラリアはこんなにも辛そうな顔をしている? なぜフラリアは貴様が俺の情婦だと言っているのだ? 俺は貴様の名前すら知らないが……あぁそう言えば、公爵という地位にすり寄ってきている女がいたな。確か貴様のような顔をしていた気がするが……」
「ぁ……あぁ……」
いつの間にか剣を抜き放ちネルの喉元に向ける公爵さまの顔は見えないが、その背中からは激しい怒りを感じる。
ネルはもうしゃべることすらできないほど震えて涙を落としていた。
「答えろと言っている」
公爵さまは剣の先をネルの首に僅かに刺して脅している。
いや、脅しなどという生半可なものではない。
きっとこのまま彼女が何も答えなければすぐにでもあの首を撥ねてしまうだろう。
その姿は血塗られた公爵と呼ばれるのも頷けるほど冷徹なもので、私は思わず身震いをしてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます