第6話 公爵さまの事情
公爵さまのいない公爵邸は平和そのものだった。
私を構い倒そうとする人もいないし、不用意に触れてこようとする人もいない。
おかげで快適な時間を過ごしている。
とはいえ使用人たちの暖かい目はそのままだった。
(公爵さまがいなくなれば私みたいな気味の悪い人間に好意的な目線なんて向ける必要なんてないのに……)
彼がいないところであっても私の近くには侍女のイニスがついており、ほとんどの時間行動を共にしている。
つまらなくないのかと思って目線を向けるけれども、彼女はいつだって笑顔のままだ。
それが不思議でならない。
「ねえイニス」
「はい奥様!」
「せっかく公爵さまがいなくなったのだから自由にしていていいのよ? 私にずっと付いていなくても……」
「いいえ! 旦那様の不在時はわたしが奥様をお守りするんです!」
「……そう」
疑問をぶつけてみても彼女が離れようとすることはなかった。
くすぐったいような、
イニスは無駄に意気込んで拳を握っている。
「奥様をお守りするという大役をお任せくださったんですもの! 張り切りますよー!」
「守るって……そんな
ヴェールを取って我が物顔で歩き回る私はいわば
そんな爆弾が屋敷にいて嫌じゃないのだろうか。
そう思えどもイニスの態度は変わらない。
「いえ! 奥様がいらしてからの旦那様は明らかに変わりました! それはこのお屋敷全体が明るくなったのと
「希望って……」
どちらかと言えば絶望が正しいだろう、とは言えずに口ごもってしまう。
彼女の曇りのない笑顔がまぶしい。
「……私が来る前の公爵家って、そんなに暗かったの?」
ふと疑問に感じた。
私が知っている公爵家は伯爵邸よりもほのぼのとしている。
そしてそれはシルヴェート家の黒い噂を忘れさせるほどだ。
「ええ。秘密が秘密ですので」
イニスは胸を痛めるような悲しい笑みを零している。
公爵家の呪いのことはこの家に長く勤めているディグナーさんやイニスのような人間は知っているそうだ。
とはいえ皆が知っているわけではないので口外は決してしないらしい。
(そりゃあ呪いだなんて信頼できる人にしか話せないわよね)
呪い持ちだなんて知られれば
それでも公爵さまに話されるまでシルヴェート家の呪いは全く知らなかった。
それを考えるとこの家の使用人たちの口の堅さが分かる。
私は素直に
「それに旦那様も昔はあまり笑うことがなかったのに今はとても穏やかに笑われるようになって……」
「ちょ、ちょっと待って! 嘘でしょう!?」
信じられない発言に思わず声を上げてしまう。
「いえ、嘘ではありませんよ? いつも難しい顔で研究に取り組まれていて。……それに前公爵様やご兄弟のこともありましたし」
「前公爵さまのことって……あの噂の?」
彼女は無言で頷いた。
その反応から見ても、どうやらあの噂は本当のことのようだ。
――両親と十数人いた兄弟を皆殺しにして公爵の地位についた
という残酷な噂は。
「……なんでそんなことを?」
「それは……わたし達からは申し上げることができません。いずれ旦那様からお話があると思いますが……」
「そう……」
私が接してきた公爵さまは意地悪ではあるが、そんな簡単に
……たぶん。
断定するにはまだ共に過ごした時間が短すぎるけれど、もしも彼がそんな悪意の塊のような人間だったなら、この屋敷にはもっと多くの堕ちた精霊がいるはずだ。
一族を皆殺しにした、という話が本当なら恐らく何らかの事情があったのだろう。
「……はあ。事情が込み合いすぎなのよねあの人は」
ため息混じりにそうつぶやくと、途端にイニスは目を輝かせた。
「……なに?」
「いえいえ! 旦那様にご理解があるんだなあって!」
「はあ?」
「だってそんなに簡単に飲み込めないですよ普通は! さすがは奥様!」
彼女は一人でキャーキャーっと盛り上がっている。
なんだか変な想像をしているようだ。
「あのねえ、私たちは本当にそんな関係じゃ……」
「いえいいんです! 何も言わなくても伝わる思い……愛ですからね!」
「……」
私は思わず無言になってうすら寒い顔をしてしまった。
どうやら彼女は妄想力のたくましい侍女のようだ。
きっと何を言ってもそっち方面に繋げられてしまうだろう。
(黙っておくのが吉よね)
これ以上何を言っても無駄だろうと即座に察した私は諦めて調べものをしようと書斎へと足を向けた。
私は公爵家のことを知らなさすぎる。
知らなかったからこそ騙され呪いに巻き込まれ面倒ごとを押し付けられているのだ。
公爵家がなぜこんなに強い呪いを受けているのか。そして何に呪いを受けたのか。
それらを知らないと対策のしようがない。
家の事情を知りたいのなら歴代当主などの手記や領地経営の書物を見るのと同じで、呪いや精霊に関係することを知りたいのなら既に研究がされているという資料を見ないという
せっかく先人が集めてまとめた本があるのに使わない手はないのだ。
(やっぱり知識は身を守るための一番の武器よね)
伯爵邸ではお父さまが亡くなるまでは教育を受けていたし、物置部屋に押し込められても幸運なことにはありとあらゆるジャンルの本が一緒に詰め込まれていたから知識は豊富にある。
多少難しい内容が書いてあっても理解することはできるだろう。
「ところで書斎は勝手に入っていいのかしら?」
「大丈夫ですよ~! 奥様にはどのお部屋も解放しろと言われてますから!」
「そうなの?」
「はい! 書斎などは限られた人しか入れないのですが、そちらも自由にしてよいとのことです」
ちゃっかりとついてきていたイニスがなんてことないように言うが、それは大丈夫なのだろうか?
私との契約内容とか、その他の情報
(……まあいいというのならありがたく使わせてもらうけど)
そんな話をしながら書斎へ向かっていると、ふと鋭い視線を感じて立ち止まる。
振り返れば廊下の端からこちらへ向けて視線を向ける女が数名駆けていくところだった。
一瞬だったので顔は見えなかったけれど、一部の露骨に嫌ってくるグループの人のようだ。
(なんだか久しぶりに浴びたわ。ああいう視線)
しばらく触れてこなかった敵意の
それでも伯爵邸にいた時の比にならないほど微弱なものだ。
(ああいう態度が普通なのよね。忘れないようにしないと)
ここの使用人達のような態度で接してくる方が異常なのだ。
ああいうのが居ると分かってなんとなくほっこりしてしまった私は、そのまま書斎へと踏み入れた。
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